黄金の夜明け団とは、19世紀末にイギリスで創設された隠秘学結社のことを言います。
魔術、占いに興味のある人は一度は聞いたことがある名前からもしれません。
黄金の夜明け団とはどういった活動をしていたのか、また現在はどうなっているのでしょうか。
詳しくまとめてみました。
- 黄金の夜明け団とは?
- 黄金の夜明け団の詳細
- 黄金の夜明け団の創始者
- 黄金の夜明け団の教義、実態
- 黄金の夜明け団に在籍していた人
- 黄金の夜明け団の現在は
- まとめ
1. 黄金の夜明け団とは?
黄金の夜明け団とは、19世紀末にイギリスで作られた隠秘学結社のことを言います。
隠秘学とはオカルティズムのことで、本来は占星術、錬金術、魔術などの実践を指しています。
黄金の夜明け団の教義はカバラを中心として、当時ヨーロッパでブームを起こしていた神智学の東洋哲学、薔薇十字団伝説、錬金術、エジプト神話、タロット、占い、グリモワールなどを習合させたものでした。
教義を習得するごとに昇格試験を行い、上位の位階に進むというシステムを採用しており、「魔法学校」といった状態でした。
ここでは黄金の夜明け団の詳細、創始者について詳しくまとめています。
では一緒に見ていきましょう。
2. 黄金の夜明け団の詳細
黄金の夜明け団とは、イギリスで創設された団体です。
現在でも魔術やオカルトの話になれば必ず黄金の夜明け団が取り上げられると言っても過言ではなく、魔術界に大きな影響を与えているのは間違いがないでしょう。
黄金の夜明け団はカバラを基本として魔術を編み出そうとしていました。
最盛期には団員は100名を超えていたと言います。
それでは黄金の夜明け団について詳しく見ていきましょう。
2-1. 秘密結社とは何か
黄金の夜明け団は一種の秘密結社です。
秘密結社というのは、結社の存在そのものが構成員により隠されている、もしくは結社の存在は知られていても、活動目的や活動内容を構成員以外の第三者等に公開することが禁じられている組織のことを言います。
黄金の夜明け団の場合は入団するだけでは何も得ることができません。
秘儀伝授の儀式を受けた後にその位階を上がっていくことが求められていたのです。
つまり、黄金の夜明け団では、知識を得るためには段階を踏む必要があり、入ったからといってすぐにすべてを知ることができたわけではないのです。
また知りえたことに関しては守秘義務があり、内容は門外不出のものでした。
2-2. カバラとは
黄金の夜明け団の教義はカバラを基本としたもので、キリスト教神秘主義、東洋哲学、薔薇十字団伝説、錬金術、エジプト神話、タロット、占い、グリモワール(魔術書)などを総合したものであったとされています。
黄金の夜明け団は、これらを統合して魔術を編み出そうとしていたとされています。
カバラとは、ユダヤ教の伝統に基づいた創造論、終末論、メシア論を伴う神秘主義思想のことです。
またカバラと言えば数秘学で占術の一つとして有名です。
一般的な占術の方法は生年月日(西暦)や姓名などから、固有の計算式に基づいて運勢傾向や先天的な宿命を占います。
3. 黄金の夜明け団の創始者
黄金の夜明け団を作った人物は3名います。
それでは黄金の夜明け団の創始者3名はどのような人物だったのかを詳しく紹介しましょう。
3-1. ウィリアム・ウィン・ウェストコット
1848年、イングランド中部の生まれ。
父親は外科医でウェストコットも医師への道を目指しました。
1871年に医師の資格を得て同じく医師である叔父の助手となりました。
その頃にフリーメーソンにも入会しています。
仕事をしつつ隠秘学の研究を続けていました。
(ロンドンで検死官を務めました)ウェストコットは隠秘学について幅広い知識を持っていたとされています。
1887年8月に、友人の牧師からある「暗号文書」を譲られました。
文書を解読することに成功し、これを土台に魔術結社を創立することを思いついたのです。
そして1888年3月1日に黄金の夜明け団を創立して、三首領の一人として団の運営に携わっていきました。
1897年3月にウェストコットが黄金の夜明け団に関係していることが、当局の知るところとなりました。
ウェストコットは検死官の職を続ける為に、黄金の夜明け団を退団することになりました。
その後、1918年に退職し翌年、南アフリカのダーバンに移住しました。
ウェストコットは1925年6月30日に亡くなりました。
3-2. マグレガー・メイザース
マグレガー・メイザースは1854年1月8日にロンドンに生まれました。
父親が幼い頃亡くなり、母親に育てられ事務員として働いていました。
高い教育は受けていませんでしたが、独学によってオカルティズムを学びました。
フリーメーソン、英国薔薇十字協会に入会し、そこでウェスコットと知り合いました。
1887年に「ヴェールを脱いだカバラ」を翻訳しました。
この本は「ゾーハル」のラテン語訳とその注釈であり、内容はカバラの秘密の奥義と言える知識が沢山詰め込まれていました。
これにより、メイザースはイギリスのオカルト界に衝撃を与えるデビューをしたとされます。
1888年、黄金の夜明け団の設立で三首領の一人となりました。
1889年に魔術書「ソロモンの大いなる鍵」を翻訳・編集もしました。
しかし、1900年に黄金の夜明け団は分裂してしまいます。
メイザースは首領を解任され、団を追放されてしまいました。
その後新たな魔術結社を設立、1918年に亡くなりました。
3-3. ウィリアム・ロバート・ウッドマン
ウィリアム・ロバート・ウッドマン(1828-1891)は、ロンドンで医学を修めた後、1851年頃にストーク・ニューイントンにて開業、警察の嘱託医として外科を担当していました。
高位のフリーメイソン、英国薔薇十字協会の2代目会長ということで、黄金の夜明け団設立の時にウェストコットが「箔をつける為」に、すでに隠居中だったところを担ぎ出したとされています。
名前だけ連ねたというところでしょうか。
ウィリアム・ロバート・ウッドマンは1891年に死去していますので、黄金の夜明け団の運営や事件とほとんど関りはないとされている人物なのです。
4. 黄金の夜明け団の教義、実態
黄金の夜明け団の教義、実態はどのようなものだったのでしょうか。
教義については秘密結社ということでわからない時代がありました。
しかし、イスラエル・リガルディーというアメリカのオカルティストが1937年〜1940年に「黄金の夜明け」全4巻を出版したことにより、その教義が公開されることとなったのです。
黄金の夜明け団の教義はカバラを中心としたもので、錬金術、タロット、占い、グリモワールといったものを統合して魔術を編み出そうとしていたとされています。
それでは黄金の夜明け団の教義をいくつか紹介しましょう。
4-1. 錬金術とは
錬金術とは、もともとは、化学的手段を使って安価な金属から貴金属(特に金)を作ろうとする試みのことを言います。
広い意味においては金属だけに限らず、様々な物質、人間の肉体や魂も対象となります。
ありえないことを実現させようとしていたのですが、もちろんふざけていたわけではなく、本気で取り組んでいたのです。
錬金術の取り組む過程において、硫酸、硝酸、塩酸など、現在の化学薬品の発見が多くなされましたし、実験道具が発明されました。
つまり錬金術が現在の科学に引き継がれている部分もあるのです。
当時は錬金術は学問の一つとしてとらえられていました。
錬金術師と言うと、魔法使いのような服装をしている人のイメージがあるかもしれませんが、他の職業を持ちながら、錬金術の研究をしていた人も大勢いたのだそうです。
4-2. ウェイト版タロットについて
タロットカードはいくつかの種類、版があります。
そのうちの一つ、ウェイト版タロットは、アーサー・エドワード・ウェイトが黄金の夜明け団の解釈に基づき作成したものです。
1909年、ロンドンのライダー社から発売されたことから、ライダー版と言う場合もありますが親しみやすい絵柄が大ブームとなりました。
現在イギリスにおいてはタロットカードと言えばウェイト版を示しているのだそうです。
このウェイト版タロットは小アルカナまで全て絵札になっていることで、占いに非常に使いやすいとされています。
またカバラ的見地に基づき、整理・調整されているのが特徴となっています。
タロットカードの種類は何種類かありますが、ウェイト版タロットを見る機会が一番多いのではないかと思います。
またタロット占い初心者の場合はまずはウェイト版から始めると良いという意見も多いことでしょう。
4-3. グリモワール
グリモワールとは、フランス語で魔術の書物という意味になり、特にヨーロッパで流布された魔術書のことを指しています。
内容としては、悪魔や精霊、天使などを呼び出し、願い事を叶えさせる手順であったり、その為に必要な魔法円やペンタクルやシジルのデザインが記されていました。
16世紀後半から17世紀にかけての魔女裁判(魔女狩り)が盛んだった時代においては、魔術に関する本を作ること自体が魔女と疑われることになる為、グリモワールが公になることはなかったと言われています。
その後中世後期から19世紀にはヨーロッパでグリモワールはおまじないが普及するにつれ、一般的な書物、実用書として流布するようになったと言われています。
今でも残っているグリモワールとして有名なものに「ソロモンの鍵」があります。
4-4. 教義の習得ごとに位階を設定
黄金の夜明け団では位階を設定していました。
入団したからといって団員は横並びではありません。
通常11種の位階があり位階により教えられる教義や与えられる権限が違ったのです。
会社のように仕事を覚えて出世していくといったイメージを持つとわかりやすいかと思います。
この位階なのですが、最高位は肉体を持ったものには到達不可能とされています。
つまり、実質最高位になる人はなかったということで、最高位のイプシシマスは魔術師からは洒落で「死」という意味で使われることもあったとされます。
5. 黄金の夜明け団に在籍していた人
黄金の夜明け団に在籍していた人はどのような人がいたのでしょうか。
有名な人を紹介しましょう。
5-1. ウィリアム・バトラー・イェイツ
ウィリアム・バトラー・イェイツ(1865年6月13日〜1939年1月28日)は、アイルランドの詩人、劇作家で、神秘主義的思想をテーマにした作品を発表しました。
1923年にノーベル文学賞を受賞しています。
父親が画家であることから、絵の勉強もしていましたが、文学の方面に進み才能を発揮した人物です。
1976年から発行されたアイルランドの20ポンド紙幣に肖像が使われていました。
5-2. アーサー・エドワード・ウェイト
アーサー・エドワード・ウェイト(1857年10月2日〜1942年5月19日)は、隠秘学、秘教、魔術に関する執筆を行いました。
また、ウェイト版タロットの制作者として有名な人物でもあります。
黄金の夜明け団に所属はしていましたが、儀式魔術からは距離を置いていたとされています。
1891年に黄金の夜明け団に加入したのですが、その後内部抗争から黄金の夜明け団は分裂してしまいました。
ウェイトは儀式魔術を否定して分派を結成したのですが、1914年に自分の率いた黄金の夜明け団分派を去り、その翌年、キリスト教神秘主義を掲げる「薔薇十字友愛団」を結成しました。
その時黄金の夜明け団からの分派は6つ残存していましたが、結局黄金の夜明け団がその後復活することはありませんでした。
5-3. アレイスター・クロウリー
アレイスター・クロウリー(1875年10月12日〜1947年12月1日)はイギリスのオカルティスト、儀式魔術師、著述家、登山家です。
1898年に黄金の夜明け団に入団後、速やかに達人の位になったとされています。
しかし黄金の夜明け団は派閥争い、分裂が激しかったとも言われており、クロウリーは黄金の夜明け団を脱退、自ら新しい団体を作ったのです。
クロウリーの自由奔放な活動がマスコミからは「世界で最も邪悪な男」と書かれたりもしました。
1904年に「法の書」を著していますが、内容は難解で1904年4月8日から4月10日の間に、クロウリーが受信したメッセージを筆記したものとなっています。
6. 黄金の夜明け団の現在は
黄金の夜明け団のことが理解できたでしょうか。
最盛期には100名以上の団員がいたと言いますが、現在ではどうなっているのでしょうか。
黄金の夜明け団のその後を見ていきましょう。
6-1. 内紛により分裂
黄金の夜明け団は、内部で派閥があったとされます。
結果的に組織は分裂してしまいます。
「曙の星」「聖黄金の夜明け団」「黄金の夜明け団メイザース派(後のアルファオメガ)」の、3つに分かれたのです。
6-2. 黄金の夜明け団の秘儀が出版される
イスラエル・リガルディーというアメリカのオカルティストが「生命の樹」「黄金の夜明け全4巻」を出版しました。
これによって長らく秘密とされていた黄金の夜明け団の秘儀が公のものとなってしまったのです。
この行動に対して黄金の夜明け団に関係していた魔術師たちからは批判を受けたとされています。
しかし謎とされていた黄金の夜明け団の教義が知られることとなったことで、現代の魔術の発展に繋がったともされています。
今でも多くの魔術師が研究し、学び、実践しているのです。
6-3. 今でも教義は生きている?!
ある詐欺師夫婦が南アフリカの地で、偽オカルト団体を開業して荒稼ぎしました。
さらにロンドンに戻ってインチキな霊媒商売をしていたのですが、少女への強姦や窃盗の罪で夫婦は逮捕されました。
この夫婦が「自分たちは黄金の夜明け団の首領である」と名乗った為に黄金の夜明け団は一大スキャンダルに巻き込まれることになってしまいました。
これにより内部崩壊したとされていますが、1970〜1980年代、アメリカ西海岸で黄金の夜明け団の流れを汲んだ魔術結社が次々に復活したとも言われています。
秘密結社ということで表向きにはわからないのですが、今もどこかで黄金の夜明け団の教義は生きているのかもしれません。
まとめ
いかがでしたでしょうか。
黄金の夜明け団について調べてみました。
もともと秘密結社という存在だった為に謎も多く、あまり情報がないのが特徴ですが、今も何冊かの書物が残っていますのでそれらを読むことは可能です。
最盛期には100名を超える団員がいたとも言われてすが、徐々に内部崩壊やスキャンダルに巻き込まれるといったことで組織として分裂していったのでしょうか。
現在でもタロット占いで多くの人に愛用されているウェイト版ですが、黄金の夜明け団と関わりがあったということを知っている人は案外少ないかもしれません。
世界中の占い師、占い愛好者に、タロットカードウェイト版は今後もずっと愛用されていくことでしょう。
5. 黄金の夜明け団に在籍していた人
黄金の夜明け団に在籍していた人はどのような人がいたのでしょうか。
有名な人を紹介しましょう。
5-1. ウィリアム・バトラー・イェイツ
ウィリアム・バトラー・イェイツ(1865年6月13日〜1939年1月28日)は、アイルランドの詩人、劇作家で、神秘主義的思想をテーマにした作品を発表しました。
1923年にノーベル文学賞を受賞しています。
父親が画家であることから、絵の勉強もしていましたが、文学の方面に進み才能を発揮した人物です。
1976年から発行されたアイルランドの20ポンド紙幣に肖像が使われていました。
5-2. アーサー・エドワード・ウェイト
アーサー・エドワード・ウェイト(1857年10月2日〜1942年5月19日)は、隠秘学、秘教、魔術に関する執筆を行いました。
また、ウェイト版タロットの制作者として有名な人物でもあります。
黄金の夜明け団に所属はしていましたが、儀式魔術からは距離を置いていたとされています。
1891年に黄金の夜明け団に加入したのですが、その後内部抗争から黄金の夜明け団は分裂してしまいました。
ウェイトは儀式魔術を否定して分派を結成したのですが、1914年に自分の率いた黄金の夜明け団分派を去り、その翌年、キリスト教神秘主義を掲げる「薔薇十字友愛団」を結成しました。
その時黄金の夜明け団からの分派は6つ残存していましたが、結局黄金の夜明け団がその後復活することはありませんでした。
5-3. アレイスター・クロウリー
アレイスター・クロウリー(1875年10月12日〜1947年12月1日)はイギリスのオカルティスト、儀式魔術師、著述家、登山家です。
1898年に黄金の夜明け団に入団後、速やかに達人の位になったとされています。
しかし黄金の夜明け団は派閥争い、分裂が激しかったとも言われており、クロウリーは黄金の夜明け団を脱退、自ら新しい団体を作ったのです。
クロウリーの自由奔放な活動がマスコミからは「世界で最も邪悪な男」と書かれたりもしました。
1904年に「法の書」を著していますが、内容は難解で1904年4月8日から4月10日の間に、クロウリーが受信したメッセージを筆記したものとなっています。
6. 黄金の夜明け団の現在は
黄金の夜明け団のことが理解できたでしょうか。
最盛期には100名以上の団員がいたと言いますが、現在ではどうなっているのでしょうか。
黄金の夜明け団のその後を見ていきましょう。
6-1. 内紛により分裂
黄金の夜明け団は、内部で派閥があったとされます。
結果的に組織は分裂してしまいます。
「曙の星」「聖黄金の夜明け団」「黄金の夜明け団メイザース派(後のアルファオメガ)」の、3つに分かれたのです。
6-2. 黄金の夜明け団の秘儀が出版される
イスラエル・リガルディーというアメリカのオカルティストが「生命の樹」「黄金の夜明け全4巻」を出版しました。
これによって長らく秘密とされていた黄金の夜明け団の秘儀が公のものとなってしまったのです。
この行動に対して黄金の夜明け団に関係していた魔術師たちからは批判を受けたとされています。
しかし謎とされていた黄金の夜明け団の教義が知られることとなったことで、現代の魔術の発展に繋がったともされています。
今でも多くの魔術師が研究し、学び、実践しているのです。
6-3. 今でも教義は生きている?!
ある詐欺師夫婦が南アフリカの地で、偽オカルト団体を開業して荒稼ぎしました。
さらにロンドンに戻ってインチキな霊媒商売をしていたのですが、少女への強姦や窃盗の罪で夫婦は逮捕されました。
この夫婦が「自分たちは黄金の夜明け団の首領である」と名乗った為に黄金の夜明け団は一大スキャンダルに巻き込まれることになってしまいました。
これにより内部崩壊したとされていますが、1970〜1980年代、アメリカ西海岸で黄金の夜明け団の流れを汲んだ魔術結社が次々に復活したとも言われています。
秘密結社ということで表向きにはわからないのですが、今もどこかで黄金の夜明け団の教義は生きているのかもしれません。
まとめ
いかがでしたでしょうか。
黄金の夜明け団について調べてみました。
もともと秘密結社という存在だった為に謎も多く、あまり情報がないのが特徴ですが、今も何冊かの書物が残っていますのでそれらを読むことは可能です。
最盛期には100名を超える団員がいたとも言われてすが、徐々に内部崩壊やスキャンダルに巻き込まれるといったことで組織として分裂していったのでしょうか。
現在でもタロット占いで多くの人に愛用されているウェイト版ですが、黄金の夜明け団と関わりがあったということを知っている人は案外少ないかもしれません。
世界中の占い師、占い愛好者に、タロットカードウェイト版は今後もずっと愛用されていくことでしょう。
スポンサーリンク