蘆屋道満(あしやどうまん)という名前を聞いたことはあるでしょうか。
小説、漫画、映画などで知っている人多い安倍晴明(あべのせいめい)と同じ陰陽師(おんみょうじ)と言われている人物です。
蘆屋道満について、どのような人なのか、また陰陽師の仕事や五芒星、六芒星の意味についても詳しく解説していくこととしましょう。
- 蘆屋道満(あしやどうまん)とは?
- 陰陽師について
- 安倍晴明とは
- 蘆屋道満の逸話の紹介
- 安倍晴明で有名な五芒星
- 蘆屋道満と六芒星
- まとめ
1. 蘆屋道満(あしやどうまん)とは?
蘆屋道満は平安時代に陰陽師として活躍したとされる人物のことです。
陰陽師と言えば安倍晴明が有名ですが、この安倍晴明に勝るとも劣らない能力を持っていたという言い伝えがあることから、一般的に物語などでは安倍晴明とライバル関係や悪役として登場することが多い人物でもあります。
また安倍晴明は実在の人物とされていますが、蘆屋道満は実在の人物であるかどうか謎となっています。
「道摩法師」とも呼ばれていますが、蘆屋道満とは別人であるという説もあります。
ここでは蘆屋道満について詳しく解説していきますが、それには陰陽師とは何かということを理解しておくことが必要でしょう。
それでは陰陽師とは何か、また安倍晴明や、陰陽師の仕事内容、逸話など順番に説明していくことにしましょう。
2. 陰陽師について
蘆屋道満は平安時代に陰陽師として活躍したとされている人物のことです。
では陰陽師(おんみょうじ)とは一体何かをお伝えしていきましょう。
2-1. 陰陽師とは?
陰陽師(おんみょうじ)とは映画、小説、漫画、ゲームなどに題材として取り上げられることが多く、結局何なのだと思う人もいることでしょう。
陰陽師とはそもそも何であるのかを見ていきましょう。
2-2. 陰陽師の仕事内容
陰陽師と言いますと、多数の人は、映画、小説、漫画のイメージが強いかもしれません。
悪霊が出てきて退治するといった内容から、どこか作り物のような印象を持つかもしれませんが、陰陽師というのは平安時代に実在していた「仕事、職業」であり、しかも国が管理していた「公的な仕事、官職」であったのです。
つまり現在で言えば陰陽師とは平安時代の公務員だったわけです。
陰陽師の仕事内容は陰陽道に基づいた天体観測、祈りといったことでした。
その中の一つに呪術、呪いといったこともあったのですが、それが主だったわけではありません。
現在では陰陽師と言えば呪術を使って式神を操る、呪いをかけられたり、かけたりするといったイメージが強いのですが、本来はそうではなかったということは覚えておきましょう。
2-3. 現在陰陽師はいるのか?
平安時代、陰陽師というのは今で言う公務員的位置づけにありました。
また占いに長けている、特別な力がある人が就いていたようです。
では現在では陰陽師はいるのでしょうか。
本来の意味(官職、公務員)で言うところの「陰陽師」は明治時代に廃止されましたのでいません。
しかしフリーランス、占いといった意味での「陰陽師」は存在しているでしょう。
安倍晴明の子孫という方も現在いますし、他にも陰陽師として活躍している方もいます。
3. 安倍晴明とは
蘆屋道満と安倍晴明は、ライバル関係として描かれるものが多いとされています。
陰陽師、安倍晴明が正義、蘆屋道満が悪者といった形になることもあるのです。
安倍晴明とは一体どのような人物なのでしょうか。
詳しく見ていきましょう。
3-1. 安倍晴明は実在の人物?
安倍晴明とは921年、2月21日現在の大阪市にあたる場所で生まれたとされています。
(奈良県という説もあります)子供時代の記録がないのですが、陰陽師に陰陽道を習ったとされています。
つまり、詳しいことはわからない部分もありますが、安倍晴明という陰陽師は実在の人物ということになります。
伝えられている人物像としては、深い知識を持っていて、当時の貴族たちからの信頼も厚かったのだそうです。
安倍晴明にまつわるエピソードは神秘化され数多くの逸話が作られたとされます。
安倍晴明が亡くなったのは1005年となっていますが、11世紀の内には、すでに安倍晴明は神秘化されていました。
歴史物語の「大鏡」「十訓抄」、説話集の「今昔物語集」「宇治拾遺物語」は安倍晴明の逸話が載っています。
3-2. 安倍晴明は公務員
陰陽師安倍晴明は、数々の映画、ドラマ、小説、漫画に題材として取り上げられていることからもわかりますように、人気が高いのです。
呪術を操り、悪霊を戦う、式神を操るといったように神秘的な力を持った呪術師というイメージが強いかもしれません。
しかし、実際の安倍晴明は呪術は使ったかもしれませんが、国の為に働く、今で言うところの「公務員」なのです。
天狗を鎮める、雨ごいをして雨を降らせた、お祓いで病気を治したといったエピソードもありますが、本来の仕事内容は吉兆の占い、吉日、吉時を伝えるといったものです。
4. 蘆屋道満の逸話の紹介
陰陽師の仕事内容や、陰陽師安倍晴明のことについて説明してきました。
これで何となく陰陽師についてイメージが掴めてきたのではないでしょうか。
陰陽師安倍晴明は人気があったのでしょう。
昔から様々な物語の中に逸話が残っています。
そのような人気者につきものなのはライバルの存在ではないでしょうか。
物語などでは、主人公より少し優れている人物がライバルとして登場することが多く、ストーリー的にもその方が盛り上がります。
陰陽師として絶対的エース、人気者の安倍晴明のライバルとして登場するのが蘆屋道満という人物なのです。
ライバルですから、蘆屋道満も安倍晴明と同じく陰陽師です。
しかし安倍晴明とは違う点があります。
では蘆屋道満について伝わっていることを順番に見ていきましょう。
4-1. 蘆屋道満は今で言うフリーランス
蘆屋道満は、道摩法師(どうまほうし)とも言われています。
生まれた年も亡くなった年も不明とされる人物で、陰陽師というよりは平安時代の呪術師といった捉え方をされているのです。
その理由は官人(公務員)であった安倍晴明に対し、蘆屋道満は非官人であったからではないでしょうか。
貴族、庶民に人気で活躍していたとも言われますが官人ではなかったのです。
これは現代に例えて言うならば、安倍晴明は公務員、蘆屋道満は自営業、フリーランスということになります。
江戸時代までの文献においては、蘆屋道満はほとんど、安倍晴明のライバル、悪役として登場しています。
実際のところは蘆屋道満は謎、わかっていない部分が多い人物でもあります。
4-2. 蘆屋道満の出自
生没年がわかっている安倍晴明に比べて、蘆屋道満はどちらも不明とされています。
また道摩法師とも言われていますが、実は蘆屋道満とは別の人物であるという説もあり、謎が多いのです。
現在伝わっているのは、蘆屋道満はフリーランスの陰陽師であるということです。
安倍晴明は出世にさほど興味がなかったとされています。
陰陽寮に所属するようになったのは40歳とのことですが、今の40と当時の40は意味合いが違います。
当時の平均寿命からすればほとんど老後と言っていい年齢でしょう。
つまり安倍晴明は超がつくほど遅咲きの人です。
一方で蘆屋道満は、官職には就いていませんでしたが、何をしていたのでしょうか。
伝わっている話としては貴族のお抱え陰陽師をしていたということになっています。
当時、民間のフリーランス陰陽師はいたのですが、その仕事だけで簡単にやっていけるような時代ではなかったと言われています。
つまり貴族に雇われるということは蘆屋道満にはそれなりの実力があったからということでしょう。
4-3. 安倍晴明と蘆屋道満の対決とは
物語のイメージから、安倍晴明は「正義」「若い陰陽師」として描かれ、蘆屋道満は「悪い」「老人」といったイメージを持たれていることが多いようです。
しかし、現実は違ったようで安倍晴明は権力者に気に入られている老獪な人物であり、蘆屋道満の方が安倍晴明よりもかなり「若い」とされています。
しかし、有名な逸話では蘆屋道満は安倍晴明に対し呪術対決を持ちかけました。
その内容とは長持の中身を当てるというものです。
蘆屋道満は中に入っていたミカンの存在を言い当てました。
安倍晴明は式神を操り、そのミカンをネズミに変えて、中身はネズミと答えて勝利を得たのです。
対決に負けた蘆屋道満は安倍晴明の弟子となったとされています。
この逸話では安倍晴明の方が若く、 蘆屋道満が年寄りになっています。
他にも呪術対決に負けた蘆屋道満は、安倍晴明がいない間に安倍晴明の妻を奪ってしまうといった逸話なども存在しますが、これは後に作られたお話ではないかと言われています。
5. 安倍晴明で有名な五芒星
安倍晴明と言えば有名なのが五芒星です。
五芒星とは何か、詳しく見ていくことにしましょう。
5-1. 五芒星とは
五芒星とは五つの角を持つ星のマークのことで、一筆書きで描いたことは誰でもあるのではないでしょうか。
五芒星は世界中で魔術の記号とされています。
五芒星を守護に使うこともありますが、サタニズムに見られるように上下を逆向きにして悪魔の象徴とすることもあります。
五芒星を悪魔の象徴とする時は「デビルスター」とも呼びます。
安倍晴明は この五芒星を「五行の象徴」として使っていたとされます。
5-2. 五芒星が魔除けと言われる理由とは
五芒星は一般的に魔除けの護符として使われることが多いのです。
五芒星が魔除けと言われる理由は、負のエネルギー、邪悪な存在を跳ね返すという意味があります。
その為、現在でも魔除けのおまじない、お守りとして五芒星のお守りやアクセサリーを身に着けている人もいるのです。
これは五芒星の持つパワーを借りたいという気持ちからなのでしょう。
五芒星は、陰陽道では魔除けの呪符としてとらえられているのです。
5-3. 東洋における五芒星
五芒星は東洋においては、主に陰陽道の魔除けの記号として使用されてきました。
陰陽道は日本独自の呪術・占術なのです。
今の言葉でわかりやすく言えばおまじないの一種であるといえます。
陰陽道を操る、安倍晴明のシンボルマークとしても五芒星は有名です。
五芒星は「晴明桔梗(せいめいききょう)」とも呼ばれています。
星の形に桔梗の花が似ていますから、わかりますが、思えばこの星マークは平安時代の頃から使われていたと思いますと深い歴史を感じます。
5-4. 陰陽道における五芒星
陰陽道の基本概念「陰陽五行説」について少し説明しましょう。
自然界を構成する要素は全て「木・火・土・金・水」の五つに分けられると考えられていました。
陰陽五行説では、この五つの要素を五芒星の各頂点に当てはめました。
この五つの要素には相性というものがあります。
良い相性は「相生(そうじょう)」と言います。
悪い相性のことは「相剋(そうこく)」と言うのですが、相生は「木が火を生み、火が土を生み、土が金を生み、水が木を」と無限の循環、物質の生成を意味しているのです。
一方、相剋は「木は土に勝ち、土は水に勝ち、水は火に勝ち、火は金に」と対立、無限の争いを意味するのです。
五芒星に込められた意味、これらは使う人のパワーを大きくするということで使われてきました。
6. 蘆屋道満と六芒星
安倍晴明を象徴するものが五芒星とすれば、 蘆屋道満は六芒星ではないでしょうか。
それでは六芒星について見ていくことにしましょう。
6-1. 六芒星とは
六芒星とは、ドラマ、映画などにおいて呪術のシーンで見たことが多いのではないでしょうか。
六芒星には陰と陽のパワーが秘められているという説があり、その効果は強く大きなものであるとされています。
六芒星には全知全能の神に似た力が秘められていると考えられていたり、宇宙のパワーを抑制する鍵の役目として使われていたり、錬金術、魔術とも関係があります。
おまじないとして六芒星を書く時のコツは、バランスの取れた等辺三角形が2つ重なりあっている形になっているかだと言われています。
書き順よりもバランスが取れているかどうかを意識することが大事なのです。
6-2. 日本における六芒星
六芒星は日本においても籠目と呼ばれ高い魔除けの効果があると信じられていました。
怨霊や物の怪などは、じっと見つめられることを嫌うとされています。
その為、目が無数にあるアイテムを家の前に置いておく風習があったのです。
そこで使われたのが籠目で、籠目(六芒星)の穴を目に見立てていました。
そこから、籠目文様の御札を玄関先に貼り付けるようになったとされています。
6-3. セーマン、ドーマンとは
セーマン、ドーマンという言葉を聞いたことがあるでしょうか。
セーマン、ドーマンとは二つで一つのお守り、護符とされています。
セーマン、ドーマンは海や水場の魔物たちを追い払うための護符として海女さんたちが身に着けていて、服に描いたり、縫いつけたりしています。
セーマンとは星型、五芒星であり、ドーマンは格子状になったものですが、このセーマン、ドーマンが陰陽道、安倍晴明、蘆屋道満と関わりがあるという説があるとされているのです。
セーマン
セーマンは五芒星の形をしていて、晴明紋とも言われています。
五芒星は一筆書きで描くことができますが、それが「元の位置に戻れる」という意味でお守りとされているのです。
海女さんたちによれば「無事に戻ってこれるように」という祈りを込めたものなのだそうです。
ドーマン
ドーマンは横5本、縦4本の線により構成される格子状の印です。
「臨・兵・闘・者・皆・陣・列・前・ 行」の九文字を唱えて魔を避けることを表しているのですが、この九文字を唱えますと、悪霊、低級な霊たちが苦しみ出すといった描写の物語、漫画を見たことはあるのではないでしょうか。
格子というのは多くの目で魔物たちを見張るという意味があるのだそうです。
魔物、悪霊は凝視が苦手とも言われています。
沢山の目に見張られていることで海女さんが魔物に襲われれずに守られるという意味が込められているのでしょう。
まとめ
いかがでしたでしょうか。
平安時代に活躍したとされる蘆屋道満について詳しく解説しました。
蘆屋道満は安倍晴明と同じく陰陽師として活躍した人物とされていますが、生没年が不明であり、実際にいた人物なのかどうかはわかっていないのです。
しかし安倍晴明に関して残された文献にライバル役として登場していますので、そのような存在がいたのだと思ってもいいのではないでしょうか。
官人であった安倍晴明に対し、非官人、今で言うところのフリーランスとして活躍していた蘆屋道満は、もし実在したのであれば、陰陽師として優秀だったのでしょう。
また陰陽道には五芒星、六芒星の存在が関係しています。
五芒星は安倍晴明、六芒星は蘆屋道満を表すとされています。
海女さんを守るセーマン、ドーマンという護符の存在もありますように、蘆屋道満は非常にロマンを感じさせる存在でもあります。
3. 安倍晴明とは
蘆屋道満と安倍晴明は、ライバル関係として描かれるものが多いとされています。
陰陽師、安倍晴明が正義、蘆屋道満が悪者といった形になることもあるのです。
安倍晴明とは一体どのような人物なのでしょうか。
詳しく見ていきましょう。
3-1. 安倍晴明は実在の人物?
安倍晴明とは921年、2月21日現在の大阪市にあたる場所で生まれたとされています。
(奈良県という説もあります)子供時代の記録がないのですが、陰陽師に陰陽道を習ったとされています。
つまり、詳しいことはわからない部分もありますが、安倍晴明という陰陽師は実在の人物ということになります。
伝えられている人物像としては、深い知識を持っていて、当時の貴族たちからの信頼も厚かったのだそうです。
安倍晴明にまつわるエピソードは神秘化され数多くの逸話が作られたとされます。
安倍晴明が亡くなったのは1005年となっていますが、11世紀の内には、すでに安倍晴明は神秘化されていました。
歴史物語の「大鏡」「十訓抄」、説話集の「今昔物語集」「宇治拾遺物語」は安倍晴明の逸話が載っています。
3-2. 安倍晴明は公務員
陰陽師安倍晴明は、数々の映画、ドラマ、小説、漫画に題材として取り上げられていることからもわかりますように、人気が高いのです。
呪術を操り、悪霊を戦う、式神を操るといったように神秘的な力を持った呪術師というイメージが強いかもしれません。
しかし、実際の安倍晴明は呪術は使ったかもしれませんが、国の為に働く、今で言うところの「公務員」なのです。
天狗を鎮める、雨ごいをして雨を降らせた、お祓いで病気を治したといったエピソードもありますが、本来の仕事内容は吉兆の占い、吉日、吉時を伝えるといったものです。
4. 蘆屋道満の逸話の紹介
陰陽師の仕事内容や、陰陽師安倍晴明のことについて説明してきました。
これで何となく陰陽師についてイメージが掴めてきたのではないでしょうか。
陰陽師安倍晴明は人気があったのでしょう。
昔から様々な物語の中に逸話が残っています。
そのような人気者につきものなのはライバルの存在ではないでしょうか。
物語などでは、主人公より少し優れている人物がライバルとして登場することが多く、ストーリー的にもその方が盛り上がります。
陰陽師として絶対的エース、人気者の安倍晴明のライバルとして登場するのが蘆屋道満という人物なのです。
ライバルですから、蘆屋道満も安倍晴明と同じく陰陽師です。
しかし安倍晴明とは違う点があります。
では蘆屋道満について伝わっていることを順番に見ていきましょう。
4-1. 蘆屋道満は今で言うフリーランス
蘆屋道満は、道摩法師(どうまほうし)とも言われています。
生まれた年も亡くなった年も不明とされる人物で、陰陽師というよりは平安時代の呪術師といった捉え方をされているのです。
その理由は官人(公務員)であった安倍晴明に対し、蘆屋道満は非官人であったからではないでしょうか。
貴族、庶民に人気で活躍していたとも言われますが官人ではなかったのです。
これは現代に例えて言うならば、安倍晴明は公務員、蘆屋道満は自営業、フリーランスということになります。
江戸時代までの文献においては、蘆屋道満はほとんど、安倍晴明のライバル、悪役として登場しています。
実際のところは蘆屋道満は謎、わかっていない部分が多い人物でもあります。
4-2. 蘆屋道満の出自
生没年がわかっている安倍晴明に比べて、蘆屋道満はどちらも不明とされています。
また道摩法師とも言われていますが、実は蘆屋道満とは別の人物であるという説もあり、謎が多いのです。
現在伝わっているのは、蘆屋道満はフリーランスの陰陽師であるということです。
安倍晴明は出世にさほど興味がなかったとされています。
陰陽寮に所属するようになったのは40歳とのことですが、今の40と当時の40は意味合いが違います。
当時の平均寿命からすればほとんど老後と言っていい年齢でしょう。
つまり安倍晴明は超がつくほど遅咲きの人です。
一方で蘆屋道満は、官職には就いていませんでしたが、何をしていたのでしょうか。
伝わっている話としては貴族のお抱え陰陽師をしていたということになっています。
当時、民間のフリーランス陰陽師はいたのですが、その仕事だけで簡単にやっていけるような時代ではなかったと言われています。
つまり貴族に雇われるということは蘆屋道満にはそれなりの実力があったからということでしょう。
4-3. 安倍晴明と蘆屋道満の対決とは
物語のイメージから、安倍晴明は「正義」「若い陰陽師」として描かれ、蘆屋道満は「悪い」「老人」といったイメージを持たれていることが多いようです。
しかし、現実は違ったようで安倍晴明は権力者に気に入られている老獪な人物であり、蘆屋道満の方が安倍晴明よりもかなり「若い」とされています。
しかし、有名な逸話では蘆屋道満は安倍晴明に対し呪術対決を持ちかけました。
その内容とは長持の中身を当てるというものです。
蘆屋道満は中に入っていたミカンの存在を言い当てました。
安倍晴明は式神を操り、そのミカンをネズミに変えて、中身はネズミと答えて勝利を得たのです。
対決に負けた蘆屋道満は安倍晴明の弟子となったとされています。
この逸話では安倍晴明の方が若く、 蘆屋道満が年寄りになっています。
他にも呪術対決に負けた蘆屋道満は、安倍晴明がいない間に安倍晴明の妻を奪ってしまうといった逸話なども存在しますが、これは後に作られたお話ではないかと言われています。
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