コスタリカの石球は、1930年代の初めに、コスタリカの密林で発見された石の球体のことを言います。
現在までに200個以上が発見されているのですが、誰がどうしてこのような物を作ったのか不思議だと思いませんか。
コスタリカの石球は「オーパーツ」とも呼ばれています。
ここではコスタリカの石球について詳しく解説していますので一緒に見ていくことにしましょう。
- コスタリカの石球とは?
- コスタリカの石球の素材
- コスタリカの石球が自然ではない理由
- コスタリカの石球はオーパーツ?
- コスタリカの石球以外のオーパーツの紹介
- コスタリカの石球の謎
- まとめ
1. コスタリカの石球とは?
科学の発達した現在でも、解明されていないこと、不思議なことは沢山あります。
その中の一つに「コスタリカの石球」の存在があります。
コスタリカの石球というのは、コスタリカの密林で発見された石の球体のことを言います。
最初に発見されたのは1930年代のことで、アメリカの果物会社がバナナ農園として開墾したことがきっかけでした。
開墾という言葉から想像がつくかと思いますが、コスタリカの石球が見つかった場所は当時、未開発でジャングルのような状態のところでした。
現在までに200個以上が見つかっています。
一体、誰が何の為に作ったのか、運んで来て置いたのでしょうか。
コスタリカの石球は見つかってから、農園の開墾の邪魔になるとのことで運び出されたり、人に売られたりといった扱いを受けたとのことです。
また、中に黄金が隠されているといった「噂」が流れたことで、コスタリカの石球は壊されたりといったこともあったようです。
結果的に、コスタリカの石球は本来あった場所から動かされたり、破壊されたことでわからなくなってしまったことが色々とあるのです。
わからない、謎となると知りたくなるのが「人の性」というものです。
ここでは今、コスタリカの石球についてわかっていることをまとめて解説しています。
2. コスタリカの石球の素材
コスタリカの石球の素材は、ほとんどはタラマンカ山地の花崗閃緑岩でできていますが、貝殻石灰岩によるものも少数存在しているとのことです。
コスタリカの石球の素材について紹介しておきましょう。
2-1. 花崗閃緑岩(かこうせんりょくがん)
花崗閃緑岩とは、花崗岩と閃緑岩の中間的な性質の深成岩のことです。
ちなみに、花崗岩は硬いので、日本では古くから石材として使用されてきました。
石でできた鳥居であったり、城の石垣や石橋に使われています。
また、道標、建造物にも使われてきました。
深成岩とは、マグマが地下深くでゆっくり冷えて固まったもので火成岩の一種です。
2-2. 貝殻石灰岩
貝殻石灰岩とは貝類などの生物の殻(主成分は炭酸カルシウム)が堆積してできたものです。
石材として使用したり、セメント、製鉄所など工鉱業的な使用もされます。
3. コスタリカの石球が自然ではない理由
コスタリカの石球は、自然にできた球体ではなく作られたものとされています。
自然ではないとされた理由は以下のようなことからです。
3-1. 真球に近いものがあるから
これまで200個近い、コスタリカの石球が発見されています。
長い時間をかけて自然と球体になった可能性はあるのでしょうか。
例えばシーグラスや小石など砂浜で丸くなっているものを見つけることがあります。
これらは長い年月かけて海水と波で角がとれて丸くなりますし表面はすべすべになります。
ですから、石の球体も自然にできる可能性があるのではないかとも思うことでしょう。
しかし、自然ではないとされた理由に「真球」に近いものがいくつかあるからということがあります。
真球とは狂いのない球体のことを言いますが、200個近く見つかっているコスタリカの石球の中に数個見つかっています。
真球は自然にはできない、人の手が加わっているという見方になっています。
3-2. 自然に真球はできないとされる
コスタリカの石球が自然にできたものではなく、作られたものであると思われる理由に自然に真球はできないとされているからです。
長い年月をかけて自然に球体になることはあるかもしれません。
しかしその場合は石の表面がいびつになったり、傷があったりすることでしょう。
コスタリカの石球は真球に近いものは数個ですが、それ以外の真球に近くない石球も「綺麗」な形なのです。
200個あって球体がいびつだったり、傷があるなど「個性」があれば自然にできた可能性も考えられますが、同じように「綺麗」となれば人が作成した物と考える方が自然でしょう。
また石のような硬い物で自然の力だけで真球はできないと考えられています。
ちなみに「真球に近い」とされる数個の石球はアメリカの大学の研究員によって測定されたのですが、最大誤差が0. 2%ほどであるということが分かりました。
初めて見つかったのが1930年代ですからそれ以前に作られたことになります。
手作業だけでほぼ「真球」を作る技術があったということにも驚かされます。
4. コスタリカの石球はオーパーツ?
コスタリカの石球はオーパーツとも呼ばれています。
オーパーツとは何かと言えば、それらが発見された場所や時代とはまったくそぐわないと考えられる物のことで「場違いな工芸品」という意味となります。
コスタリカの石球が発見されたのは1930年代の未開発の地域でした。
現在から思えば1930年代でさえも「昔」と思えますが、作られたのはそれよりももっと前、古いものだとされています。
はるか昔に大きな石を真球にする技術があったとは驚きですし、疑問もあります。
そういうことから、コスタリカの石球は「オーパーツではないか」ということになり、オーパーツと呼ばれるようになりました。
5. コスタリカの石球以外のオーパーツの紹介
オーパーツと言えばコスタリカの石球だけではないのをご存知でしょうか。
これまで世界中で様々な物が見つかり人々からオーパーツと呼ばれるようになりました。
ここではコスタリカの石球以外の有名なオーパーツをいくつか紹介しましょう。
5-1. 水晶どくろ
水晶で作られたどくろで、マヤ文明やアステカ文明、インカ帝国において作成されたものと言われています。
当時の技術では製作不能の物(オーパーツ)とされていましたが、真相は1900年代に作られたということがわかり、オーパーツとしての価値を失いました。
5-2. 黄金シャトル
コロンビアのシヌー地方の古代遺跡から発掘されました。
シヌー文化(紀元500年〜800年)時代のものという説と、更に古いプレ・インカ文明のものという説があります。
金を削って作られていて、スペースシャトルに似ていて、サイズは手のひらに乗るぐらいの大きさです。
検証された結果「実際に空を飛ぶことができる」とされる合理的なフォルムなのだそうです。
似たようなものはいくつか見つかっており、本当は魚や鳥の姿をデザインしたもので、たまたまスペースシャトルに見える(似ている)だけという説が有力となっています。
はるか昔にスペースシャトルはなかったのですから、魚、鳥と考える方が自然といえば自然です。
5-3. テキサスのハンマー
アメリカのテキサス州で発見されたハンマーの化石といわれる物があります。
見つかったとされる地層から当初、数億年前のものと言われていました。
当時は人間はまだいませんし、当然ですが人がいない時代ですから合金を作る技術もなかったとされていますのでオーパーツと呼ばれるようになりました。
しかし、実際はコンクリーションと呼ばれる自然現象で、ハンマーが石にくるまれて不思議な状態を作り出したとされています。
ハンマーは19世紀の物だろうという説があります。
人がいないとされる時期に人が使う道具が見つかるというのも不思議すぎる話ですので、19世紀の物だと考える方が自然です。
5-4. ヴォイニッチ手稿
1912年にイタリアで発見された古文書(写本)で、未解読の文字が記されており多数の奇妙な絵が描かれています。
発見者のポーランド人古本商人ウィルフリド・ヴォイニッチにちなんで名前がつけられたのです。
正体不明の文字で書かれた本であり、これまで内容の解読に成功した人がいない、非常に謎めいた本なのです。
解読ができないことから、単なるいたずら書きではないのかという説もありましたが、ある一定の法則に基づいて書かれているのでやはり何かの意味があるとされています。
5-5. スカイツリーが描かれた浮世絵
日本の江戸時代に生まれた浮世絵ですが、この浮世絵にこの時代にあるはずのない、スカイツリーらしきものが描かれているものがあり、オーパーツと呼ばれています。
このオーパーツの不思議とされていることは、描かれてるタワーの位置が、東京にあるスカイツリーと同じだということなのです。
浮世絵を描いたのは歌川国芳ですが、当然スカイタワーのことを知っているはずはありません。
実際はスカイタワーではなく井戸掘り櫓ではないかと言われていますが、真相はどうなのでしょうか。
5-6. 古代の匂玉
勾玉と言えば、古代の人のアクセサリーだったことは誰でも何となくは知っているのではないでしょうか。
実はこの勾玉が日本のオーパーツではないのかと言われているのです。
もちろんすべての勾玉ではありません。
ある石を使った勾玉がオーパーツと呼ばれているのです。
その石とは「ヒスイ」で、ヒスイとはモース硬度7の石です。
ちなみにモース硬度10がダイヤモンドです。
モース硬度7と言えば硬い石で、ガラスや鋼鉄に傷を入れることもできるぐらいの硬さとなります。
そのような硬い石「ヒスイ」に紐が通るように穴を開けることがその時代にできたかどうかということが謎なのです。
600年頃に作られたと言われる勾玉ですが、現在のように電気ドリルといった機械もない時代です。
どうやって硬いヒスイに綺麗な小さな穴を開けることができたのでしょうか。
考えて見れば不思議です。
5-7. 聖徳太子の地球儀
兵庫県太子町の斑鳩寺にある、ソフトボールサイズの地球儀を聖徳太子の地球儀と言うのですが、これは日本のオーパーツではないかと言われているものなのです。
素材は漆喰によって作られているのですが、この地球儀には何と、ユーラシア大陸、アメリカ大陸はもちろんのこと、南極大陸、ムー大陸も描かれているのです。
南極やムー大陸というのは聖徳太子が生きていた時代より1200年も後に見つかったのです。
つまり聖徳太子の時代に地球儀に描かれているということはありえないのです。
本当に聖徳太子の時代に作られたであればまさしくオーパーツですが、真相はどうなのでしょうか。
実はこの地球儀は聖徳太子の時代ではなく、1602年以降の製作である可能性が高いということがわかっています。
オーパーツではないにせよ、貴重なものであることには変わりありません。
5-8. ナスカの地上絵(ペルー)
1939年6月22日、動植物の地上絵が、考古学者のポール・コソック博士によって発見されました。
その後ドイツの数学者であるマリア・ライヒェはこの土地に住み、地上絵の解明作業や保護を行いました。
巨大な絵が多い為、空からでないとほとんどの地上絵の全体像は把握ができないのです。
このような巨大な地上絵は、なぜ描かれたのかということ自体が大きな謎なのです。
カレンダー説、雨ごい説、食料管理説、権力者の葬式説などがありますが、実際はどうだったのでしょうか。
この地上絵は今から1400〜2200年前頃に描かれたとされますが、数千年の間消えなかったということも謎ですし、200mを超える大きさの地上絵は詳しい描き方が解明されていないのです。
6. コスタリカの石球の謎
コスタリカの石球をはじめ、世界にはオーパーツと呼ばれるものが数多くあることがおわかりいただけたことでしょう。
コスタリカの石球には疑問点がいくつもあるのです。
ここではコスタリカの石球の謎とされていることを見ていきましょう。
6-1. 誰が作ったのか?
コスタリカの石球は真球に近いものが数個あります。
現在の技術であれば作ることは可能ですが、はるか昔にはコンピューターもありません。
誰がコスタリカの石球を作ったのでしょうか。
それは大きな謎となっていますがコスタリカの石球は西暦300〜800年頃に作られたとされています。
つまりその時代に生きていた人間が作ったということぐらいしか解明できていないのです。
6-2. どうやって運んだのか?
コスタリカの石球は、アメリカの果物会社がバナナ農園としてジャングルを開墾している時に見つけられました。
調べたところ、コスタリカの石球に使われている素材となる石は、発見された場所には存在しないものだということがわかっています。
つまり、どういうことかと言うと、別の場所でコスタリカの石球は作られたことになり、誰かが運んだということなのです。
しかし大きな石球は2mを超え、重さは25トンもあるのです。
そんなに大きくて重たいものを運ぶのは大変なことだったと思いますし、時間も相当かけたことでしょう。
古代エジプトのピラミッド建設が多くの奴隷を使って長年かけて作られたことを思えば人力でコスタリカの石球を運ぶことは不可能ではなかったと考えられますが、どうやって運んだかは今も謎のままなのです。
6-3. 何の為なのか?
何の目的を持って、コスタリカの石球は作られたのでしょうか。
これには、いくつかの説があります。
まずはパワーストーンとしての説です。
昔から人々は石にはパワーがあると信じていたのではないでしょうか。
現在でもパワーストーンの力を信じてる人は大勢いますし、アクセサリーとして身に着けることを好む人もいます。
そしてもう一つ、有力な説としては「天球図の再現」ではなかったかということです。
置かれている場所は現在ではバラバラになってしまっているので検証は不可能となりましたが、もともとは星の位置を示してたのかもしれないと考えられています。
見つかった石球の数が200個と数が多いことからも天球図説の可能性は高いのかもしれません。
また見つかった石球に何か描いていた跡があるものもあったことから、天球図説が有力とされているのでしょう。
まとめ
いかがでしたでしょうか。
コスタリカの石球について詳しく解説しました。
その昔、コンピューターや便利な機械などなかったとされる時代に誤差がほとんどない「真球」の石球が作られたということで、コスタリカの石球はオーパーツと呼ばれています。
はじめに見つかった時の場所から動かされたり、壊されたものもあるということで、もともとあった配置を再現することは不可能となっていますが、とても残念なことです。
それがわかればもっと謎が解明されたことでしょう。
しかし、謎だからこそ気になり惹きつけられますし、ロマンを感じることができるのかもしれません。
3. コスタリカの石球が自然ではない理由
コスタリカの石球は、自然にできた球体ではなく作られたものとされています。
自然ではないとされた理由は以下のようなことからです。
3-1. 真球に近いものがあるから
これまで200個近い、コスタリカの石球が発見されています。
長い時間をかけて自然と球体になった可能性はあるのでしょうか。
例えばシーグラスや小石など砂浜で丸くなっているものを見つけることがあります。
これらは長い年月かけて海水と波で角がとれて丸くなりますし表面はすべすべになります。
ですから、石の球体も自然にできる可能性があるのではないかとも思うことでしょう。
しかし、自然ではないとされた理由に「真球」に近いものがいくつかあるからということがあります。
真球とは狂いのない球体のことを言いますが、200個近く見つかっているコスタリカの石球の中に数個見つかっています。
真球は自然にはできない、人の手が加わっているという見方になっています。
3-2. 自然に真球はできないとされる
コスタリカの石球が自然にできたものではなく、作られたものであると思われる理由に自然に真球はできないとされているからです。
長い年月をかけて自然に球体になることはあるかもしれません。
しかしその場合は石の表面がいびつになったり、傷があったりすることでしょう。
コスタリカの石球は真球に近いものは数個ですが、それ以外の真球に近くない石球も「綺麗」な形なのです。
200個あって球体がいびつだったり、傷があるなど「個性」があれば自然にできた可能性も考えられますが、同じように「綺麗」となれば人が作成した物と考える方が自然でしょう。
また石のような硬い物で自然の力だけで真球はできないと考えられています。
ちなみに「真球に近い」とされる数個の石球はアメリカの大学の研究員によって測定されたのですが、最大誤差が0. 2%ほどであるということが分かりました。
初めて見つかったのが1930年代ですからそれ以前に作られたことになります。
手作業だけでほぼ「真球」を作る技術があったということにも驚かされます。
4. コスタリカの石球はオーパーツ?
コスタリカの石球はオーパーツとも呼ばれています。
オーパーツとは何かと言えば、それらが発見された場所や時代とはまったくそぐわないと考えられる物のことで「場違いな工芸品」という意味となります。
コスタリカの石球が発見されたのは1930年代の未開発の地域でした。
現在から思えば1930年代でさえも「昔」と思えますが、作られたのはそれよりももっと前、古いものだとされています。
はるか昔に大きな石を真球にする技術があったとは驚きですし、疑問もあります。
そういうことから、コスタリカの石球は「オーパーツではないか」ということになり、オーパーツと呼ばれるようになりました。
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