よくテレビなどを見ていると、コメンテーターの人が「イデオロギーを観点から…」などと発言していたりします。
この「イデオロギー」の意味とは何でしょう。
詳しくみていきます。
- 「イデオロギー」とは
- 「イデオロギー」の使い方
- 「イデオロギー」の例
- 「イデオロギー」を簡単に説明
- 「イデオロギー」を使った言葉
- イデオロギーとアイデンティティの違い
- イデオロギーを使った例文
- まとめ
1. 「イデオロギー」とは
「イデオロギー」とは、2つの意味があります。
まず一つ目。
「イデオロギー」とはのことをいいます。
例えば、政治などの世界では、考え方に対する違いでそれぞれの派閥に分かれ、自民党や民主党などといったグループに分かれています。
そして、この「○○党」といった党ごとに存在している、根本的な考え方こそが「イデオロギー」ということです。
「イデオロギー」はその人、その人の考え方の違いによって、グループ化することがあります。
そして、そのグループは体系化し、それぞれの派閥に分かれることになります。
これが先ほども述べたように、「イデオロギー」の「人間の行動や意思を決定づける観念の体系」という訳です。
他にも、例を挙げるとするならば、政治思想の種類である、民主主義や社会主義なども挙げられます。
それぞれに違った物の見方、政治のやり方を考えており、それが「イデオロギー」となって、それぞれの派閥に分かれたものです。
まさに、「人間の行動や意思を決定づける観念の体系」であるといえます。
次に2つ目の意味を紹介します。
2つ目の意味はもう少しライトで堅苦しくない意味です。
「政治的意見」や「思考傾向」といった、ある特定の政治における思考傾向などを指す言葉として用いられています。
例えば、同じ時代、同じ国に生きていても、政治に対する考え方、世間に対する印象、物の見方などは、人によって違いがあるものです。
そして、この個人がそれぞれに抱く物事への考え方のことを「イデオロギー」と呼んでいます。
前述した一つ目の「イデオロギー」の意味と、少し混同してしまいそうですが、この2つには明確な違いがあります。
分かりやすくいうのなら、前述した「イデオロギー」の意味は、その時代ごとにおける物事の考え方の違い、政治思考の大きな括りといった、スケールの大きい考え方の違いを指します。
これに対し、2つ目で挙げた「イデオロギー」の意味とは、ある特定の時代の物の考え方、ある特定の政治に対する物の考え方などを指し、あつ特定の物の考え方についての意見や思考傾向などを指しています。
よくテレビでコメンテーターが「世の中のイデオロギーとしては」などと話すのは、2つ目の意味です。
そして、一般的にはこちらの方が主として、日常会話で使われている傾向があります。
2. 「イデオロギー」の使い方
「イデオロギー」には2つの意味があるので、それぞれに使い方を説明していきます。
まず、一つ目。
「人間の行動や意思を決定づける観念の体系」を表現する場合、この言葉を使う前提条件として、以下のようなことが挙げられます。
・その時代、国などによって異なる政治思考、人の物事に対する考え方・見方の違いがある
使い方としては、「時代によってイデオロギーは異なるものです」などと使います。
そして、2つ目の意味、「ある特定の政治における思考傾向」を表現する場合、この言葉を使う前提条件として、以下のようなことが挙げられます。
・ある特定の国の政治に対する世論が様々あること
使い方としては、「あの国のトップが変わり、イデオロギーに変化がもたらされるだろう」などと使います。
また、ここまでは「イデオロギー」の基本的な意味と使い方を述べましたが、「イデオロギー」という言葉にはその意味から、これらとは違ったニュアンスで使われてしまうことがあります。
「イデオロギー的な物の考え方」「単なるイデオロギーに過ぎない」などといったような使い方は、その人の持つ物事への考え方・見方について否定的にとらえているときに使う傾向があります。
例えば、「イデオロギー的な物の考え方」といえば、物事への見方があまりにも理論的すぎて現実離れをしていることを揶揄しています。
そして「単なるイデオロギーに過ぎない」といえば、その考え方は空想にすぎない、それを実践するのは不可能なことだなどといったことを揶揄する言葉となります。
このように「イデオロギー的な」とか「単なるイデオロギーに過ぎない」などの言葉が日常で聞いたとしたら、その「イデオロギー」に対する意味は、マイナスの評価をもって話されている傾向にあります。
そのような言い方で「イデオロギー」のことを話している人がいるとすれば、その人はきっとその「イデオロギー」に対して良い印象を持っていないものと思われます。
3. 「イデオロギー」の例
「イデオロギー」の例を挙げてみます。
3-1. 例1
「人間の行動や意思を決定づける観念の体系」を意味したイデオロギーの例。
例えば、同じ国であっても時代によって物事に関する考え方や価値観には違いがあるものです。
その時代によって異なる物事に関する考え方や価値観こそが、それぞれの異なる「イデオロギー」と成り立ちます。
江戸時代は封建制度の時代であり、人の身分を士農工商に分けられ、身分を超えての結婚などは禁止されていました。
そして、江戸時代の人々はその時代の流れに即し、そのような身分に括られた生き方をして過ごしていました。
しかし、現代では身分などといった括りはありません。
士農工商は撤廃され、誰でも身分に関係なく、自由に結婚することができる時代となりました。
今の世の中で封建的な物の見方をしたら、たちまち様々な人から批判されることでしょう。
今の世の中は、統治者が人々を支配する世の中ではなく、人々が世を支配する世界へと変わっています。
この時代の移り変わりによってできた、当たり前の世間への考え方、物事の見方が「イデオロギー」となります。
3-2. 例2
次に「ある特定の政治における思考傾向」を意味したイデオロギーの例を紹介します。
この場合、例えば、江戸時代に起きたキリシタンの弾圧などを思い浮かべると分かりやすいです。
江戸時代のキリシタンの弾圧といえば、多くのキリシタンが犠牲となって殉教した出来事です。
その時代の統治者・徳川家が幕府を固めるために、反勢力になりそうなキリシタンを弾圧したという悲劇です。
キリシタンを暴くため、幕府は踏み絵という手段を用いました。
踏み絵をさせることで、幕府の反勢力になりそうなキリスト教信者か、あるいはキリスト教信者ではない無害の者かを見極めたのです。
ここでいうならば、キリスト教を信じるのか、あるいは信じていないかで、人々のイデオロギーを分けて考えることができます。
ある特定の政治・徳川家の政治において、自分はキリスト教信者であることを貫くのか、あるいはキリスト教信者を捨て徳川家にやり方につくのかというイデオロギーを暴かれていったといえます。
今でも、「ある特定の政治における思考傾向」を意味するイデオロギーは、多用されています。
今の政権に対して好意的に見ているのか、あるいは批判的に見ているのかで、人々のイデオロギーに違いが生じ、行動や物の見方に対する違いが生まれていきます。
もっと身近なところでいうのならば、例えば、学校の制服を着続けるべきか、あるいは私服に変えるべきかという議論などが挙げられます。
行動の規制、集団意識という観点から「学校の制服を着続けるべき」だとする意見においては、この「行動の規制、集団意識という観点」こそがその人のイデオロギーとなります。
そして、個性を尊重し、自由は発想力を育てるため「私服に変えるべき」だとする意見においては、この「個性を尊重し、自由は発想力を育てるため」がその人のイデオロギーとなります。
二つの違うイデオロギーがぶつかり合っている状態だといえます。
4. 「イデオロギー」を簡単に説明
「イデオロギー」を簡単に説明します。
「イデオロギー」というと、堅苦しい言葉で、何やら難しい物事の考え方を意味するような気がします。
ですが、そのようなことはありません。
人間、生きている限り、その人の主張や考え方を持って生きているものです。
そして、それは立派な「イデオロギー」だといえます。
何も政治経済のことばかりが「イデオロギー」ではないのです。
確かに、政治経済で用いられやすい傾向はありますが、日常的にも存在する考え方です。
例えば、子供の児童手当の使い方などを見ても、各家庭の考え方の違いで使う用途が変わります。
これも立派なイデオロギーの相違による、行動の違いです。
子供の児童手当とは、15歳以下の子供を扶養する保護者が、国から金銭手当を受ける制度です。
この給付金は、子供のために貯蓄をするのもよし、子供が喜ぶおもちゃを購入してもよしで、使い方に制限はありません。
そのため、各家庭によって使い道はそれぞれ違います。
子供の将来のために貯蓄すべきだとするイデオロギーと、今、子供が楽しむことに使いたいとするイデオロギーとに分かれることでしょう。
さらに言うのならば、子供にだってイデオロギーは存在します。
例えば、子供の興味をそそるようなオモチャが道路に落ちていた時。
ある子供は「誰のか分からないオモチャをさわると母親に叱られるからと触りたくても我慢をしたとします。
一方で、遊び心をそそるようなオモチャをみて、母親に怒られると知りながらも、「まあ、いいか」
と触ってしまう子供も存在します。
この違いは子供のイデオロギーの違いからくるものだといってもよいでしょう。
母親の言うことはきかなくてはいけないという考え方を持っているのか、あるいは母親の言うことをきくよりも自分の思いを大事にしたいと考えているのか、ここに明確な考え方の違いがあり、子供のイデオロギーの違いだと言えることができます。
5. 「イデオロギー」を使った言葉
「イデオロギー」を使った言葉を挙げてみます。
5-1. 「イデオロギー闘争」
「イデオロギー闘争」というと、異なるイデオロギー同士がぶつかり合う様子を表しています。
例えば、戦争とは、国同士の考え方の違いによって引き起こされるものです。
根本的な考え方の違いに勝負が決まらないため、武力によってその国のイデオロギーを抑止しようとする行動です。
このように「イデオロギー闘争」というと、その根本となる考え方の違いによって引き起こされる、スケールの大きい闘争ということになります。
平和的ではなく、武力をもってその考え方を貫こうとする、激しい一面を持ち合わせている言葉となります。
デモなどで火炎瓶を投げつける場面をニュースなどで見かけることがありますが、これも「イデオロギー闘争」からくる行動だと言えるでしょう。
自分の主張を理解してくれない世の中への反撃です。
「イデオロギー闘争」の言葉には、なんとか自分のイデオロギーを他のイデオロギーよりも優位にしたいといった気持ちが隠れています。
5-2. 「イデオロギー対立」
「イデオロギー対立」は、異なるイデオロギー同士の議論のぶつかり合いという点で、「イデオロギー闘争」とよく似ている言葉だといえます。
しかし、あえて違いを述べるのならば、そこには平和的な対立か、あるいは武力も惜しまない対立なのかという違いが挙げられます。
先程も述べましたが、「イデオロギー闘争」というと、武力も惜しまない対立だと言えますが、これに対し、「イデオロギー対立」というと、武力を行使しない平和的な対立を指す傾向があります。
例えば、テレビなどで各党ごとに論争を繰り広げている政治家たちは、こちらの「イデオロギー対立」と表現することができるでしょう。
武力ではなく、口答で議論を交わす平和的手段を用いているからです。
他にも、会社などの経営方針を巡って将来の在り方について考え方に違いが生じる場合があります。
そして、会議などを重ねて各自の考え方について議論を交わすことになりますが、これも「イデオロギー対立」による論争だと表現することができるでしょう。
6. イデオロギーとアイデンティティの違い
イデオロギーに似ている言葉に「アイデンティティ」という言葉があります。
「アイデンティティ」とは、自分を確立する要素のことを指しています。
例えば、別の言い方をすると、「自分らしさ」「自分の個性」などを意味する言葉です。
自分という人間はどのような考えを持って、どのような立場にいて、どのような理想を抱いて生きているのか、これがその人の「アイデンティティ」です。
「イデオロギー」に比べ、その定義は広く、「アイデンティティ」の中に「イデオロギー」が組み込まれているといってよいでしょう。
「イデオロギー」はその人の行動や意思決定を支配する根本となる考え方です。
そして、その「イデオロギー」はその人の「アイデンティティ」の一部となります。
「アイデンティティ」には、「イデオロギー」に挙げられるような、その人のもつ根本的な考え方だけでなく、その人のルーツなども「アイデンティティ」と呼んでいます。
例えば、「自分は日本人である」「自分は○○会社に勤めている」「自分は二人の子供を持つ父親である」という、自分は何者であるのかを示す事実そのものも「アイデンティティ」と呼びます。
自分がどういったところに帰属している人間なのかということも「アイデンティティ」と呼ばれるものです。
ただし、注意してほしいのは、この言葉は客観視して自分を判断している言葉だけではありません。
自分が自分とは何者なのかということを認識するところに「アイデンティティ」の意味があります。
例えば、あなたのことをみんなが天才だと思っています。
しかし、自分は天才だと思っていないとしたら、あなたの中にある「アイデンティティ」には、「自分は天才である」というアイデンティティはありません。
逆にみんながあなたを愚かだと思っていても自分で自分を天才だと思っているのなら、あなたの中にある「アイデンティティ」に自分は天才であるというアイデンティティがあることになります。
要は、自分が何者かということを納得できる考え方、ルーツ、自分の個性を意味しています。
7. イデオロギーを使った例文
イデオロギーを使った例文を紹介します。
7-1. 例文1
「イデオロギーの闘争は激しさを持ち、とうとう国同士の争いにまで発展した」
考え方の違いによって歩み寄ることができず、とうとう国同士の争いにまで発展したという表現。
実際に戦争はこのようなイデオロギーの相違からきているものがほとんどです。
7-2. 例文2
「このようなイデオロギーの観点からいうと、もっと消費者は購買意欲をもつべきです」
ある考え方に基づいて行動するのなら、消費者はもっと商品を買うべきだとする意見を述べている表現です。
よくニュースなどで見られる表現。
まとめ
「イデオロギー」の意味を知ると、生きている限り、誰しもが持つ感情であることが分かります。
堅苦しい言葉ゆえに、日常で使うことはあまりありませんが、理解しておくと、ニュースなどが頭に入りやすくなるでしょう。
5. 「イデオロギー」を使った言葉
「イデオロギー」を使った言葉を挙げてみます。
5-1. 「イデオロギー闘争」
「イデオロギー闘争」というと、異なるイデオロギー同士がぶつかり合う様子を表しています。
例えば、戦争とは、国同士の考え方の違いによって引き起こされるものです。
根本的な考え方の違いに勝負が決まらないため、武力によってその国のイデオロギーを抑止しようとする行動です。
このように「イデオロギー闘争」というと、その根本となる考え方の違いによって引き起こされる、スケールの大きい闘争ということになります。
平和的ではなく、武力をもってその考え方を貫こうとする、激しい一面を持ち合わせている言葉となります。
デモなどで火炎瓶を投げつける場面をニュースなどで見かけることがありますが、これも「イデオロギー闘争」からくる行動だと言えるでしょう。
自分の主張を理解してくれない世の中への反撃です。
「イデオロギー闘争」の言葉には、なんとか自分のイデオロギーを他のイデオロギーよりも優位にしたいといった気持ちが隠れています。
5-2. 「イデオロギー対立」
「イデオロギー対立」は、異なるイデオロギー同士の議論のぶつかり合いという点で、「イデオロギー闘争」とよく似ている言葉だといえます。
しかし、あえて違いを述べるのならば、そこには平和的な対立か、あるいは武力も惜しまない対立なのかという違いが挙げられます。
先程も述べましたが、「イデオロギー闘争」というと、武力も惜しまない対立だと言えますが、これに対し、「イデオロギー対立」というと、武力を行使しない平和的な対立を指す傾向があります。
例えば、テレビなどで各党ごとに論争を繰り広げている政治家たちは、こちらの「イデオロギー対立」と表現することができるでしょう。
武力ではなく、口答で議論を交わす平和的手段を用いているからです。
他にも、会社などの経営方針を巡って将来の在り方について考え方に違いが生じる場合があります。
そして、会議などを重ねて各自の考え方について議論を交わすことになりますが、これも「イデオロギー対立」による論争だと表現することができるでしょう。
6. イデオロギーとアイデンティティの違い
イデオロギーに似ている言葉に「アイデンティティ」という言葉があります。
「アイデンティティ」とは、自分を確立する要素のことを指しています。
例えば、別の言い方をすると、「自分らしさ」「自分の個性」などを意味する言葉です。
自分という人間はどのような考えを持って、どのような立場にいて、どのような理想を抱いて生きているのか、これがその人の「アイデンティティ」です。
「イデオロギー」に比べ、その定義は広く、「アイデンティティ」の中に「イデオロギー」が組み込まれているといってよいでしょう。
「イデオロギー」はその人の行動や意思決定を支配する根本となる考え方です。
そして、その「イデオロギー」はその人の「アイデンティティ」の一部となります。
「アイデンティティ」には、「イデオロギー」に挙げられるような、その人のもつ根本的な考え方だけでなく、その人のルーツなども「アイデンティティ」と呼んでいます。
例えば、「自分は日本人である」「自分は○○会社に勤めている」「自分は二人の子供を持つ父親である」という、自分は何者であるのかを示す事実そのものも「アイデンティティ」と呼びます。
自分がどういったところに帰属している人間なのかということも「アイデンティティ」と呼ばれるものです。
ただし、注意してほしいのは、この言葉は客観視して自分を判断している言葉だけではありません。
自分が自分とは何者なのかということを認識するところに「アイデンティティ」の意味があります。
例えば、あなたのことをみんなが天才だと思っています。
しかし、自分は天才だと思っていないとしたら、あなたの中にある「アイデンティティ」には、「自分は天才である」というアイデンティティはありません。
逆にみんながあなたを愚かだと思っていても自分で自分を天才だと思っているのなら、あなたの中にある「アイデンティティ」に自分は天才であるというアイデンティティがあることになります。
要は、自分が何者かということを納得できる考え方、ルーツ、自分の個性を意味しています。
7. イデオロギーを使った例文
イデオロギーを使った例文を紹介します。
7-1. 例文1
「イデオロギーの闘争は激しさを持ち、とうとう国同士の争いにまで発展した」
考え方の違いによって歩み寄ることができず、とうとう国同士の争いにまで発展したという表現。
実際に戦争はこのようなイデオロギーの相違からきているものがほとんどです。
7-2. 例文2
「このようなイデオロギーの観点からいうと、もっと消費者は購買意欲をもつべきです」
ある考え方に基づいて行動するのなら、消費者はもっと商品を買うべきだとする意見を述べている表現です。
よくニュースなどで見られる表現。
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