「利他主義(altruism)」とは自分の利益・快楽よりも他人の利益・喜びを優先する思想ですが、利他主義の特徴や心理・動機にはどのようなものがあるのでしょうか?「利他主義の言い換え・似た言葉」を紹介しながら、「利他主義のメリット・短所」と「利他主義の歴史的な事例」についても解説していきます。
- 利他主義とは?
- 利他主義の言い換えや似た言葉
- 利他主義の特徴
- 利他主義のメリット
- 利他主義の短所
- 利他主義の心理・動機
- 利他主義の具体的・歴史的な例
- まとめ
1. 利他主義とは?
「利他主義(altruism)」とは、「自分の利益・幸せ」よりも「他者の利益・喜び」を優先する思想・考え方のことです。
利他主義は英語では「altruism(アルトルイズム)」といい、利他主義の対義語は「利己主義(egoism、エゴイズム)」になります。
利他主義は、自己犠牲を払ってでも他人のために貢献(献身)しようとする思想・考え方であり、利他主義を実践する人は「人からの好意・承認・尊敬」を得やすいという特徴があります。
利己主義(エゴイズム)は自分以外の他者をすべて、自分と利益を奪い合う「敵対者・ライバル」と見なす考え方であり、利己主義の価値観を持っていると、「他人の幸せ・喜び」を一緒になって喜べない人間になっていきます。
反対に、利他主義(アルトルイズム)は自分以外の他者をすべて、自分と利益を分かち合うべき「仲間・同胞」と見なす考え方であり、利他主義の価値観を持っていると、「他人の幸せ・喜び」を一緒になって喜べる人間になっていきます。
利他主義の思想は、心理学者アルフレッド・アドラーのアドラー心理学における他者を仲間と見なす「共同体感覚」に似た要素があります。
2. 利他主義の言い換えや似た言葉
利他主義の言い換えや似た言葉には、どのようなものがあるのでしょうか?利他主義の言い換え・似た言葉として、「愛他主義・自己犠牲・慈善」についてその意味を分かりやすく説明していきます。
2-1. 愛他主義(あいたしゅぎ)
利他主義の言い換え・似た言葉として、「愛他主義」があります。
愛他主義の意味は、「他人の幸福や利益を優先すべき第一の目的として行動する思想・考え方」であり、愛他主義は利他主義とほぼ同じ意味で用いられています。
愛他主義を英訳する場合には、利他主義と同じ「altruism(アルトルイズム)になります。
愛他主義とはその漢字の意味の通り、「自分自身のことよりも他人のことを優先する思想・考え方」のことなのです。
愛他主義を用いた例文としては、「利他主義とも愛他主義とも言うことができる彼女の徹底した自己犠牲の精神とその行動にはただただ敬服するしかなかった」や「他人のために生きるという愛他主義の思想を無意識的に実践したことによって、私自身の心がむしろ救われることになった」などがあります。
2-2. 自己犠牲(じこぎせい)
利他主義の言い換え・似た言葉として、「自己犠牲」があります。
自己犠牲の意味は、「自分自身を犠牲にして他人や何かのために尽くすこと。
自分を犠牲にして不利益を被ってでも他人を助けようとすること」になります。
自己犠牲は英語で「self-sacrifice」と表記しますが、何かの目的や他者のために、「自分の時間・労力・身体・生命」などを犠牲にして捧げること」を意味しています。
自己犠牲を用いた例文としては、「彼の生命を顧みない自己犠牲の精神によって、どれだけ多くの人たちが助けられたかを時には思い出してほしいのです」や「自己犠牲を払うことは簡単なことではないが、今この危機的な状況においては、保身で躊躇っているような時間はもうない」などがあります。
自己犠牲は宗教でも共同体でも「道徳的に価値のある行為・精神」とされてきた
自己犠牲は、古くから仏教やキリスト教、儒教をはじめとする世界のあらゆる宗教で「最高の徳目・人徳・倫理の一つ」として称揚されてきました。
他人や共同体(国家)のために自分を進んで犠牲にする自己犠牲の精神は、現代の先進国でこそ、「自分をもっと大切にしなさい」という否定・批判を受けることがありますが、今でも世界中の大半の国・地域において「道徳的に価値のある尊い行為・精神」とされているのです。
仏教では「法華経(ほけきょう)」などにおいて、自分の利益を捨ててでも他人のために行動する利他心は「最高の菩薩行(ぼさつぎょう)」とされています。
自己犠牲は自我・煩悩を捨てた「無我の境地」にもつながる価値のある行為なのです。
キリスト教でも人類の贖罪をするために十字架刑(磔刑・たっけい)で処刑されたイエス・キリストが、究極の自己犠牲の精神・善行を体現したとされています。
2-3. 慈善(じぜん)
利他主義の言い換え・似た言葉として、「慈善」があります。
慈善の意味は、「情けや哀れみをかけること。
社会経済的に恵まれない人々や自然災害などの被害に遭遇した人々に援助すること」になります。
人間が自分の利益にこだわらずに、利他的な慈善行為をするモチベーションは、「社会的な連帯感+他者の苦境に対する共感・同情+倫理的な義務感」にあると言われています。
慈善を用いた例文としては、「慈善行為は義務や強制ではなくて自発的な行為だからこそ価値があるのです」や「善行をすれば死後に天国に行けるというキリスト教の信仰が、その大富豪の慈善活動のモチベーションになっていたのです」などがあります。
3. 利他主義の特徴
利他主義の特徴として、以下のような特徴を指摘することができます。
自分のためではなく他人のために献身的に行動する利他主義には、どのような特徴があるのでしょうか?「利他主義の各種の特徴」を、分かりやすく解説していきます。
3-1. 他人の不幸・困窮を見ると、放っておくことができない
利他主義の特徴として、「他人の不幸・困窮を見ると、放っておくことができない」ということがあります。
利他主義は、古代中国の儒教の思想家・孟子(もうし)が唱えた「惻隠の情(そくいんのじょう)」とも相関していて、「困っている人・苦しんでる人・危機に陥っている人」を見ると、何も考えずに反射的に助けるために体が動いてしまうところがあるのです。
他人の不幸や困っている状態を目にしてしまうと、どうしても放っておくことができないというのが、利他主義の大きな特徴になっています。
3-2. 自分の幸福追求を人生の第一の目的にしていない
「自分の幸福追求を人生の第一の目的にしていない」ということが、利他主義の大きな特徴の一つになっています。
利他主義は「自分自身の幸福を追求する思想」ではなく、「誰かの幸せ・喜びに貢献することで自分も幸せを感じられる思想」なのです。
自分の幸福追求を人生の第一の目的にしていないからこそ、「自分が得するか損するか?」を考えることなく、他人のために即座に行動することができるのです。
3-3. お金・モノを多く所有することが幸せだとは考えない
利他主義の特徴として、「お金・モノを多く所有することが幸せだとは考えない」ということが上げられるでしょう。
利他主義は自分の幸福を「お金・モノ・名誉」で計算しようとする考え方ではなく、「他人の笑顔・喜び・感謝」によって実感しようとする考え方なのです。
利他主義の思想を持っている人は、「お金・モノ」をできるだけ多く手に入れたいなどとは考えておらず、「自分の行動が誰かの役に立っているかどうか?」をいつも重視しているのです。
3-4. 自分以外の他者すべてを仲間や同胞として認識している
「自分以外の他者すべてを仲間や同胞として認識している」ということが、利他主義の典型的な特徴なのです。
利他主義の思想を持つ人が、なぜ他人のために一生懸命に動けるのかというと、それは「自分以外の他者のことを仲間や同胞として定義しているから」なのです。
仲間や同胞が苦しんでいたり困っていたりすれば、自分にできるだけのことをして助けて上げるのが当たり前ではないかという価値観・行動基準が、利他主義の典型的な特徴になっているのです。
3-5. 自分と他人の幸福・喜び・利益の比較には興味がない
利他主義の典型的な特徴として、「自分と他人の幸福・喜び・利益の比較には興味がない」ということがあります。
利他主義は「自分と他人の幸せや利益の比較」を拒絶する思想であり、「自分と相手のどちらのほうが幸せか?自分と相手のどちらのほうが得をしているか?」ということについては初めから考えたいとも思わないのです。
それは自分と他人の幸不幸を細かく比較すれば、他人を「仲間」ではなく「競争相手」として見てしまい、「他人の幸福」を願えなくなるからです。
3-6. みんなで一緒に幸せになりたいという共感感情・連帯感の強さ
「みんなで一緒に幸せになりたいという共感感情・連帯感の強さ」を、利他主義の特徴として上げることができます。
利他主義(アルトルイズム)は「自分さえ良ければいい+自分だけが幸せになれればいい」という利己主義(エゴイズム)とは、正反対の特徴を持っています。
「自分一人だけが豊かで幸せな状態」に対して罪悪感を感じやすく、みんなと一緒に幸せにならなければ意味がないとする「共感感情+連帯感」が強くなっているのです。
3-7. 世界はもっと他者に対する慈愛・献身に満ちているべきだと考えている
利他主義の分かりやすい特徴として、「世界はもっと他者に対する慈愛・献身に満ちているべきだと考えている」ということがあります。
利他主義は「苦しんでいる人を愛して慈しむ思想」であると同時に、「困っている人を助けるために自己犠牲を払おうとする献身の思想」でもあります。
利他主義の考え方は、世界はもっと苦しむ人たちに対して慈愛を注いで献身の行動を起こさなければならないという信念に支えられているのです。
3-8. 不公平・理不尽な世の中で苦しむ人たちを救済したいという理想を持っている
「不公平・理不尽な世の中で苦しむ人たちを救済したいという理想を持っている」ということが、利他主義の大きな特徴です。
利他主義は現実社会の制約や習慣に縛られて、「世の中の不公平や理不尽に苦しんでいる人たち」を見捨てる思想・考え方ではなく、「不公平で理不尽な現実」と戦ってでも変えようとする理想主義の一面を持っています。
「不公平な待遇で苦しむ人+理不尽な仕打ちで痛めつけられている人」を、何とかして救ってあげたいという理想を持っているのが利他主義の特徴です。
4. 利他主義のメリット
「利他主義のメリット」は、身近な人に親切にしたり優しくしたりすれば、「人からの好意・感謝」を得やすくなるということです。
利他主義は「自分の利益や快楽」よりも「他人の利益や喜び」を優先する思想ですが、利他主義を実際に行うことによって、「情けは人のためならず」で巡り巡って自分の承認欲求が満たされたり見返りがもたらされたりすることもあります。
究極の利他主義は、自分の生命や身体を捧げる自己犠牲を払ってでも、他人の幸せや世の中の改善のために献身・貢献することですが、そういった最高レベルの利他主義になると「歴史に名前を残すような偉人+社会全体を改善していく公益事業」にもつながってくるでしょう。
利他主義のメリットとしては、自分の利益を後回しにして他人のために生きることで「人からの好意・承認・感謝・尊敬」を得られることにあります。
「歴史的な慈善事業・社会運動」に自己犠牲を覚悟した利他主義で参加すれば、歴史的評価を得られることも稀にあります。
5. 利他主義の短所
「利他主義の短所」は、自分自身の利益を後回しにして他人の人生や幸せのために尽くすことになるので、短期的・実際的には「損をすること+利益・チャンスを失うこと」が多いということです。
幸福や快楽を追求する「自分自身の欲望充足」を優先して生きている利己主義の人にとっては、利他主義は「損するだけの短所の多い考え方」ということになります。
自分よりも他人のために生きるという利他主義を徹底していけば、最終的には「経済的な損失+利益獲得の機会損失+安全の喪失や生命の危機」といった自分自身が損をしてしまう短所に行き着きます。
自分の「損得勘定・利害」で価値を判断するのであれば、利他主義には「損失・不遇・危険」が増えるという短所が多いのです。
6. 利他主義の心理・動機
利他主義の心理には、どのようなものがあるのでしょうか?人はなぜ「自分自身の利益・快楽」よりも「他者の利益・幸せ」を優先する利他主義を実践することがあるのでしょうか。
その利他主義の心理・動機について、分かりやすく解説していきます。
6-1. 他人の笑顔・他人の喜ぶ姿が見たいという純粋な心理
利他主義の心理として、「他人の笑顔・他人の喜ぶ姿が見たいという純粋な心理」を指摘することができるでしょう。
利他主義を実行しようとする心理の中心にあるのは、「他人の明るい笑顔を見たい+他人の喜んでいる嬉しそうな姿を見たい」という純粋な他者の幸福を願う心なのです。
利己主義(エゴイズム)や競争原理によって、心が汚れてしまうと「他人の不幸は蜜の味」といった他人の不幸や苦しみを願うネガティブな心理状態になってしまいますが、利他主義の心理はそれとは正反対のものです。
「他人の幸福を自分の幸福のように感じられる」という純粋な共感感情と一体感に、利他主義の行動は支えられています。
6-2. 自分だけが豊かで幸せな状態に罪悪感を感じてしまう
「自分だけが豊かで幸せな状態に罪悪感を感じてしまう」ということが、利他主義の典型的な心理の一つです。
利他主義のモチベーションを高めている心理とは、「自分だけが幸せな状態は不公平・不公正なものである」と感じたり、「死ぬほどに苦しんでいる他者が大勢いるのに自分だけがこんなに楽しんでいても良いのだろうか」と感じたりする「罪悪感+自責感」とつながっています。
利己主義(エゴイズム)や競争原理に完全に従って生きている人は、「自分が幸福で他人が不幸な状態」に対して、「罪悪感(申し訳なさ)」よりも「快楽・勝利感」を感じやすいのです。
しかし、利他主義の精神・思想に従って行動している人は、反対に「自分が幸福で他人が不幸な状態」に対して「罪悪感(申し訳なさ)」を感じて、利他的な行動を自発的に始めることになります。
6-3. 他人のために行動することが結果的に自分のためにもなるという互恵性を信じている
利他主義の心理として、「他人のために行動することが結果的に自分のためにもなるという互恵性を信じている」ということがあります。
利他主義の心理には「他人の幸福・喜びのために率先して行動する心理」がありますが、それと合わせて「無意識的であっても自分と他人の互恵性(相互の応報性)に期待する心理」もあります。
簡単に言えば、自分が相手に親切にして良くして上げれば、相手もその内に自分に恩返しするかのように良くしてくれるはずという「互恵性+好意の返報性(相互的な応報性)」があるということです。
日本のことわざ(諺)には「情けは人のためならず」というものがあり、「人に情けをかけて良くして上げれば、巡り巡って自分も人から好意的に接してもらえる」という考え方があります。
利他主義で行動する心理にも、「他人のための行動が自分のためにもなる」という互恵性の心理が含まれているのです。
7. 利他主義の具体的・歴史的な例
自分の利益よりも他人の利益を優先する「利他主義(altruism)」の具体的・歴史的な例には、どのようなものがあるのでしょうか?歴史や伝記に残るような利他主義の例について、分かりやすく紹介していきます。
7-1. 例1:仏教の開祖・釈迦(ブッダ)の「捨身飼虎」に見る利他主義のエピソード
仏教の創始者と知られる釈迦(ブッダ)は、菩提樹(ぼだいじゅ)の下で瞑想によって悟りを開き、「ブッダ(=目覚めた者)」になりました。
苦悩が無いブッダとなった釈迦は、前世で「捨身飼虎(しゃしんしこ)」と呼ばれる徹底的な利他主義を実践していたのです。
釈迦は前世において飢えた虎の親子(母親1頭+仔虎7頭)と遭遇しますが、釈迦はその虎の親子に対して、「どうぞ、私をお食べなさい」と優しく語りかけます。
虎の親子は飢えて苦しんでいましたが、釈迦の捨て身の善意を感じて、畏れ多くて釈迦を食べることができず躊躇していました。
その様子を見た釈迦は自ら首を刃物で突き刺して助からない状態にし、虎の親子が「自分を殺す罪悪感」を感じずに自分を食べられる状況を作って上げました。
この「捨身飼虎」は仏教の利他主義の「菩薩行(ぼさつぎょう)」の究極の境地とされています。
7-2. 例2:ナイチンゲールの「看護・博愛」に見る利他主義のエピソード
イタリア生まれのイギリスの看護師フローレンス・ナイチンゲール(1820〜1910)も、傷ついた人たちや病気の人たちをケアして助けるために、自分の生涯を捧げた「利他主義」の実践者であると言えるでしょう。
1854年には、大勢の兵士・民間人が死傷している「クリミア戦争」の惨状を知って、イスタンブールのスクタリの「野戦病院」に駆けつけました。
38人の志の高い看護師を連れて野戦病院に赴任したナイチンゲールは、その献身的な看護姿勢と敵・味方を区別せずにいたわる思いやりの深さから「クリミアの天使」とまで呼ばれたのです。
7-3. 例3:マザーテレサの「神の愛の宣教者会」の慈善・看取りに見る利他主義のエピソード
カトリック教会の修道女であるマザー・テレサ(1910年〜1997年)は、自分の人生と生命の全てを賭けて、インドのスラム街で「弱く貧しき者たち」を救済する利他的な慈善行為を行いました。
コルカタ(カルカッタ)の聖テレサとも呼ばれるマザー・テレサは、1950年に「神の愛の宣教者会」を設立して、「飢えた人・裸の人・家のない人・体の不自由な人・病気の人・必要とされることのない全ての人・愛されていない人・誰からも世話されない人」のために自己犠牲も厭わずに献身的に働き始めたのです。
マザー・テレサは「死を待つ人々の家」というホスピスで、キリスト教以外の宗教の人たちの「看取り」もその人の宗教に従う形で心を込めて熱心に行いました。
誰も省みることがなかった「弱く貧しき者」のために人生を捧げたマザー・テレサの活動は、真の利他主義に立脚したものなのです。
7-4. 例4:「非暴力・不服従」でインド人のために献身したマハトマ・ガンディーの利他主義のエピソード
イギリスからのインド独立運動を主導したマハトマ・ガンディー(1869年〜1948年)は、「非暴力・不服従のスローガン」を掲げて、インドの人々をイギリスの武力弾圧の危険から守りながら利他的な独立運動を続けました。
マハトマ・ガンディーは「民衆扇動の武力蜂起(一般のインド人に死傷者が出る方法)」ではなく、「正義・正論を訴える抵抗的な言論活動」によって、インド独立を平和主義的に主導した利他主義者なのです。
ガンディーはイギリス人もインド人も殺さずに、自己犠牲を覚悟した利他主義を実践しました。
ガンディーは「私は自分が死ぬ覚悟ならある。
しかし、私に人を殺す覚悟をさせる大義はどこにもない」や「非暴力運動において一番重要なことは、自己の内の臆病や不安を乗り越えることである」という利他主義に通じる名言を残しましたが、最期は反イスラムのヒンドゥー原理主義者に暗殺されました。
まとめ
利他主義(アルトルイズム)の考え方・思想の意味や特徴、心理、歴史的な事例について徹底的に解説してきましたが、いかがだったでしょうか?
利他主義の特徴には、「他人の不幸・困窮を見ると、放っておくことができない」「自分以外の他者すべてを仲間や同胞として認識している」などがあります。
利他主義の心理には、「他人の笑顔・他人の喜ぶ姿が見たいという純粋な心理」「自分だけが豊かで幸せな状態に罪悪感を感じてしまう」などがあります。
「利他主義」について詳しく調べたい時には、ぜひこの記事を参考にしてみて下さい。
5. 利他主義の短所
「利他主義の短所」は、自分自身の利益を後回しにして他人の人生や幸せのために尽くすことになるので、短期的・実際的には「損をすること+利益・チャンスを失うこと」が多いということです。
幸福や快楽を追求する「自分自身の欲望充足」を優先して生きている利己主義の人にとっては、利他主義は「損するだけの短所の多い考え方」ということになります。
自分よりも他人のために生きるという利他主義を徹底していけば、最終的には「経済的な損失+利益獲得の機会損失+安全の喪失や生命の危機」といった自分自身が損をしてしまう短所に行き着きます。
自分の「損得勘定・利害」で価値を判断するのであれば、利他主義には「損失・不遇・危険」が増えるという短所が多いのです。
6. 利他主義の心理・動機
利他主義の心理には、どのようなものがあるのでしょうか?人はなぜ「自分自身の利益・快楽」よりも「他者の利益・幸せ」を優先する利他主義を実践することがあるのでしょうか。
その利他主義の心理・動機について、分かりやすく解説していきます。
6-1. 他人の笑顔・他人の喜ぶ姿が見たいという純粋な心理
利他主義の心理として、「他人の笑顔・他人の喜ぶ姿が見たいという純粋な心理」を指摘することができるでしょう。
利他主義を実行しようとする心理の中心にあるのは、「他人の明るい笑顔を見たい+他人の喜んでいる嬉しそうな姿を見たい」という純粋な他者の幸福を願う心なのです。
利己主義(エゴイズム)や競争原理によって、心が汚れてしまうと「他人の不幸は蜜の味」といった他人の不幸や苦しみを願うネガティブな心理状態になってしまいますが、利他主義の心理はそれとは正反対のものです。
「他人の幸福を自分の幸福のように感じられる」という純粋な共感感情と一体感に、利他主義の行動は支えられています。
6-2. 自分だけが豊かで幸せな状態に罪悪感を感じてしまう
「自分だけが豊かで幸せな状態に罪悪感を感じてしまう」ということが、利他主義の典型的な心理の一つです。
利他主義のモチベーションを高めている心理とは、「自分だけが幸せな状態は不公平・不公正なものである」と感じたり、「死ぬほどに苦しんでいる他者が大勢いるのに自分だけがこんなに楽しんでいても良いのだろうか」と感じたりする「罪悪感+自責感」とつながっています。
利己主義(エゴイズム)や競争原理に完全に従って生きている人は、「自分が幸福で他人が不幸な状態」に対して、「罪悪感(申し訳なさ)」よりも「快楽・勝利感」を感じやすいのです。
しかし、利他主義の精神・思想に従って行動している人は、反対に「自分が幸福で他人が不幸な状態」に対して「罪悪感(申し訳なさ)」を感じて、利他的な行動を自発的に始めることになります。
6-3. 他人のために行動することが結果的に自分のためにもなるという互恵性を信じている
利他主義の心理として、「他人のために行動することが結果的に自分のためにもなるという互恵性を信じている」ということがあります。
利他主義の心理には「他人の幸福・喜びのために率先して行動する心理」がありますが、それと合わせて「無意識的であっても自分と他人の互恵性(相互の応報性)に期待する心理」もあります。
簡単に言えば、自分が相手に親切にして良くして上げれば、相手もその内に自分に恩返しするかのように良くしてくれるはずという「互恵性+好意の返報性(相互的な応報性)」があるということです。
日本のことわざ(諺)には「情けは人のためならず」というものがあり、「人に情けをかけて良くして上げれば、巡り巡って自分も人から好意的に接してもらえる」という考え方があります。
利他主義で行動する心理にも、「他人のための行動が自分のためにもなる」という互恵性の心理が含まれているのです。
7. 利他主義の具体的・歴史的な例
自分の利益よりも他人の利益を優先する「利他主義(altruism)」の具体的・歴史的な例には、どのようなものがあるのでしょうか?歴史や伝記に残るような利他主義の例について、分かりやすく紹介していきます。
7-1. 例1:仏教の開祖・釈迦(ブッダ)の「捨身飼虎」に見る利他主義のエピソード
仏教の創始者と知られる釈迦(ブッダ)は、菩提樹(ぼだいじゅ)の下で瞑想によって悟りを開き、「ブッダ(=目覚めた者)」になりました。
苦悩が無いブッダとなった釈迦は、前世で「捨身飼虎(しゃしんしこ)」と呼ばれる徹底的な利他主義を実践していたのです。
釈迦は前世において飢えた虎の親子(母親1頭+仔虎7頭)と遭遇しますが、釈迦はその虎の親子に対して、「どうぞ、私をお食べなさい」と優しく語りかけます。
虎の親子は飢えて苦しんでいましたが、釈迦の捨て身の善意を感じて、畏れ多くて釈迦を食べることができず躊躇していました。
その様子を見た釈迦は自ら首を刃物で突き刺して助からない状態にし、虎の親子が「自分を殺す罪悪感」を感じずに自分を食べられる状況を作って上げました。
この「捨身飼虎」は仏教の利他主義の「菩薩行(ぼさつぎょう)」の究極の境地とされています。
7-2. 例2:ナイチンゲールの「看護・博愛」に見る利他主義のエピソード
イタリア生まれのイギリスの看護師フローレンス・ナイチンゲール(1820〜1910)も、傷ついた人たちや病気の人たちをケアして助けるために、自分の生涯を捧げた「利他主義」の実践者であると言えるでしょう。
1854年には、大勢の兵士・民間人が死傷している「クリミア戦争」の惨状を知って、イスタンブールのスクタリの「野戦病院」に駆けつけました。
38人の志の高い看護師を連れて野戦病院に赴任したナイチンゲールは、その献身的な看護姿勢と敵・味方を区別せずにいたわる思いやりの深さから「クリミアの天使」とまで呼ばれたのです。
7-3. 例3:マザーテレサの「神の愛の宣教者会」の慈善・看取りに見る利他主義のエピソード
カトリック教会の修道女であるマザー・テレサ(1910年〜1997年)は、自分の人生と生命の全てを賭けて、インドのスラム街で「弱く貧しき者たち」を救済する利他的な慈善行為を行いました。
コルカタ(カルカッタ)の聖テレサとも呼ばれるマザー・テレサは、1950年に「神の愛の宣教者会」を設立して、「飢えた人・裸の人・家のない人・体の不自由な人・病気の人・必要とされることのない全ての人・愛されていない人・誰からも世話されない人」のために自己犠牲も厭わずに献身的に働き始めたのです。
マザー・テレサは「死を待つ人々の家」というホスピスで、キリスト教以外の宗教の人たちの「看取り」もその人の宗教に従う形で心を込めて熱心に行いました。
誰も省みることがなかった「弱く貧しき者」のために人生を捧げたマザー・テレサの活動は、真の利他主義に立脚したものなのです。
7-4. 例4:「非暴力・不服従」でインド人のために献身したマハトマ・ガンディーの利他主義のエピソード
イギリスからのインド独立運動を主導したマハトマ・ガンディー(1869年〜1948年)は、「非暴力・不服従のスローガン」を掲げて、インドの人々をイギリスの武力弾圧の危険から守りながら利他的な独立運動を続けました。
マハトマ・ガンディーは「民衆扇動の武力蜂起(一般のインド人に死傷者が出る方法)」ではなく、「正義・正論を訴える抵抗的な言論活動」によって、インド独立を平和主義的に主導した利他主義者なのです。
ガンディーはイギリス人もインド人も殺さずに、自己犠牲を覚悟した利他主義を実践しました。
ガンディーは「私は自分が死ぬ覚悟ならある。
しかし、私に人を殺す覚悟をさせる大義はどこにもない」や「非暴力運動において一番重要なことは、自己の内の臆病や不安を乗り越えることである」という利他主義に通じる名言を残しましたが、最期は反イスラムのヒンドゥー原理主義者に暗殺されました。
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