何か行動をする時に、本当はしたことがあるのに「でも、他の人に何か言われる」と自分に制限をかけてしまうことはないでしょうか。
他人の目が気になってしまうのは何故でしょうか、その理由を見ていきましょう。
- 他人の目が気になっていませんか?
- 過度に他人の目が気になる人の特徴
- 人の目が気になる心理
- 過度に他人の目が気にするデメット
- 他人の目が気になるのを改善するコツ
- まとめ
1. 他人の目が気になっていませんか?
自分のしたことをする、着たい服を着る、行きたい場所へ行くのは個人の自由で人から何か言われても関係がないことです。
しかし、私たちはそれを恐れてつい無難な路線で生きようとするものです。
それは人から批判されるのが嫌、面倒だからです。
そして目立たないように他の人と同じようにするということを選ぶのですが、それは他人の目を気にした生き方であり、本来の自分らしさを押し込めていることになります。
どうして他人の目が気になってしまうのでしょうか。
それには理由が存在しています。
ここでは、他人の目が気になる人に見られる特徴、心理などをまとめて紹介しています。
最後まで読んでもらえれば、今後の生き方に変化があるかもしれません。
では、さっそく見ていきましょう。
2. 過度に他人の目が気になる人の特徴
人の目を必要以上に気にしてしまう人がいます。
では、そのような人にはどういった特徴があるのか、まとめてみましたので見ていきましょう。
2-1. プライドが高い
他人の目をやけに気にする人というのは時々います。
誰もそこまであなたの着ている服、住んでいる家、乗っている車に興味なんてないよと言いたくなるぐらいに、他人の目を気にして「これぐらいの物を持っていないと恥ずかしい」と言う人たちです。
何に対して恥ずかしいのか、その価値観はよくわかりません。
それは、自分が決めている価値観であり、それを満たしていなかったら他人から笑われるとか、他人に「凄い」と思ってもらえないという思いが根底にあるのでしょう。
つまり、他人の目をやけに気にする人というのは、プライドが高いのです。
自分が人から馬鹿にされること、笑われること、変だと思われることが「許せない」ことなのです。
これは性格は関係ありません。
明るい社交的な人であっても、一人を好むタイプであっても、プライドが高く他人の目を気にする人というのは存在します。
2-2. 負けず嫌い
人に負けたくないという思いがポジティブに方向へ向けば、自分を高めていくことができて素晴らしい結果をもたらすこともあります。
このような負けず嫌いな性格が、人には負けられない、自分が一番でなければならないと思い込みを強くしてしまい、結果的に自分らしさを失くしてまでも人と競争して勝つことだけに集中してしまう生き方になる場合があります。
必要だから、好きだからと買い物をするのではなく、あの人が持っているなら自分だってこれぐらい買えるのだとさらにグレードの高い物を買おうとしたり、本当はキツイと思っている仕事であっても「これぐらい自分はできる」と引き受けて残業続きになったりと。
全部、他人と比べて自分は凄いとか、一番できるとか思われたいということが原動力になっているのです。
このような生き方はいずれは疲れを感じる時がくるでしょう。
2-3. 「みんなが」「普通は」という口癖が多い
他人の目を気にする人は「みんなが言っている」「みんなが持っている」とか、「普通は〇〇だ」など「皆が」「普通は」という口癖や言い回しが多いのが特徴です。
本当は「みんなが」じゃなく、自分が思っていることですし、「普通は」というのは要するに自分の価値観を言っているだけなのです。
でも他人の目が気になる人は、そうやって自分以外の人が言っていること、していることを常に気にしてますのでこのような言い方になってしまうのです。
2-4. 目立ちたくない
個性が強いと、どうしても集団の中で目立ってしまいます。
他人の目を気にする人は目立つことが嫌いです。
ですから他の人の意見に合わせる、無難にやり過ごす、多数派、少数派に分かれることであれば必ず多数派を選ぶなど、大勢の人の中の一人として存在しようとします。
目立つことでリスペクトされることもあれば、強烈な批判にさらされることもあります。
そのようなリスクは負いたくありませんし、批判されることが恐怖なのです。
2-5. 学歴、職歴を気にする
他人の目を気にする人は、学歴、職歴、肩書といった表面的なもので人を判断することが多いのです。
分かりやすく、誰からも「凄い」と言われることが好きなのです。
2-6. 見栄っ張り
他人の目を気にする人は、持ち物や生き方など見栄を張ることが多いのです。
本当はお金がないしと思っていても皆なの前では気前よく使ってしまったりします。
そして持ち物なども身の丈にあった物ではなく、ブランド品などを好む傾向があります。
誰が見てもいい物とわかるものであれば自分のセンスに自信がなくても関係ありませんし、「貧乏」と思われることもないと思っているのです。
そもそも持ち物で貧乏、金持ちと判断することはできません。
お金持ちであってもブランド品に興味がない人は持ちませんし、貧乏であってもブランド品が好きならばローンを組んででも持つからです。
ただ、それらを買うお金があるのだという目安程度にはなりますが、他人の目を気にする人は、わかりやすい物に弱く見栄っ張りになる傾向があります。
2-7. コンプレックスがある
何か、自分の中にコンプレックスがありそれを人から指摘されるのではないか、見破られるのではないかと気にしています。
本来誰にでも何かしらのコンプレックスはあるものです。
人の目を気にしない生き方をしている人は言われたところで気にしませんから、隠すこともないのです。
しかし他人の目を気にする人は、コンプレックスがあることを知られるのを嫌がります。
2-8. 人を上か下かで判断する
人とのつきあいにおいて、相手を自分より格上か、格下かで決めるようなところがあります。
それは自分の中にある価値観で決めているのですが、そうやって自分自身が他人をジャッジするので、自分も他人からどう思われているのかが気になってくるのです。
3. 人の目が気になる心理
人の目を気にしてしまう心理はどのようなものなのでしょうか。
それでは見ていきましょう。
3-1. 自分に自信が持てないから
他人の目を気にする人は、自分のことに自信がないのです。
自分に自信がある人は自分の意見をはっきり言いますし、生きたいように生きています。
それが気に入らない人たちから悪口を言われたり、時に仲間外れといった陰湿なことをされることもあるでしょう。
しかし、自分に自信がある人は一人でも平気ですし、やっていく実力を備えているのです。
そのようなことは意に介しません。
一方で、自分に自信がないとどうなるでしょうか。
誰かとつるんでいないと不安ですし、集団の中にいて目立たないようにしていた方が無難かつ安全です。
なので、自分が標的にされないように、悪目立ちしないようにと、他人の目を気にして振舞うようになってしまうのです。
それは自分自身に自信が持てないことと、勇気がないからなのです。
3-2. 親の価値観の影響
他人の目を気にするのは幼い時から刷り込まれた価値観の影響の場合もあります。
それはつまり親の価値観の影響です。
親が気にしている世間体などをそのまま自分も同じように引き継いでいるのです。
明確な根拠、理由がなくても偏見にとらわれた見方や考え方をしてしまうのはその為なのです。
3-3. コンプレックスがばれたくない
自分の中にある、コンプレックスであったり、駄目な部分を知られたくない、隠したいという心理があります。
自分をお金持ちそうに見せたり、賢く見せようとするのは、コンプレックスを隠しているということが考えられるのです。
自分自身が一番、そのコンプレックスをわかっていて、嫌だと思っているのです。
他人の目を気にする人は、結局は自分の価値観に縛られているだけでもあるのです。
他人の目を気にしない人というのは、駄目な部分がある自分でもそのまま受け入れていますし、好きだと思っているのです。
4. 過度に他人の目が気にするデメット
まったく、人のことを考えずに自由気ままに生きているのは、場合によっては人に迷惑をかけたり、自分さえ良ければいいという自分勝手にもなります。
だからと言って、他人の目ばかり気にする生き方では自分らしくありません。
人間関係を良好に保つ程度の協調性は持ち合わせ、自分らしく生きることができれば理想的なのかもしれません。
ここでは過度に他人の目を気にすることで起こるデメリットを見ていきましょう。
4-1. 自分らしく生きることができない
何でも人からどう思われるか、言われるかで、無難な道を選び続けていればどうなるでしょうか。
無難で面白みのない人生となる可能性が高いのです。
安定してはいるけれど、自分らしさがない、本当に望んでいることを我慢している人生となってしまうのです。
4-2. 人の価値観に合わせて生きるだけで退屈
人に嫌われないように、目立たないようにと、無難に生きていれば確かにそこそこ「いい人」として認識されて、敵も作らない人生かと思います。
しかし、何でも周りに合わせるだけでは、人の価値観に合わせているだけの人、要するに「面白みのない人」になってしまう可能性もあるのです。
また人は不思議なもので、協調性がある人だからといって必ずしも好かれるというわけでもないのです。
ワガママというか自分の意見を言いたいように言って自由に振舞う人の方が本音で人と接している、裏表がないと好感を持たれることもあります。
合わせているだけでは結局、「あの人は自分の意見がない」「合わせているだけ」「何を考えているか本音がわからない」と思われ、自分というものがない人などと不名誉なことを言われてしまいます。
また自分自身も周囲に合わせるだけ、妥協だらけで退屈という人生になり、いいことはない場合もあります。
4-3. 無駄な時間、お金がかかる
他人の目を気にして、いい人と思われるように参加したくもない集まりやイベントに参加する、欲しくもない物を買って見栄を張るなど、人生において無駄な時間やお金がかかることが多くなります。
見栄というのは非常に厄介なものです。
本当に自分がいるのか、好きなのかで考えたら答えは「NO」なのに、他人の目が絡むと「やっぱりないとどう思われるかわからない」と途端に「YES」になってしまうのです。
働いて稼いでもそうやって本当に必要でない物を買ったり、時間を使うことで人生を損してしまうことが増えてしまいます。
「つきあいは大事」という考え方はわかりますが、相手のことを大事に思っているのではなく、自分の評判を気にしているだけならば、そのようなつきあいは必要なものなのでしょうか。
どう思われてもいい、そう思って心から好きな人と好きな時間に好きなことを楽しむ方が有意義な時間とお金の使い方ではないでしょうか。
5. 他人の目が気になるのを改善するコツ
他人の目が気になることを、少しずつ改善して、自分らしく自由になるコツを見ていきましょう。
最初は難しいかもしれません。
長年の思考や行動の習慣ですから簡単に変えることはできないでしょう。
しかし、少しずつ自分のことを優先させていくことを覚えていくと、とても心地良いことに気がついてくることでしょう。
そのうちに他人の目を気にしていたことが馬鹿馬鹿しくなります。
では、見ていきましょう。
5-1. 人から認められたいという思いを捨てる
一番に捨てたいのは、「人から認められたい」という思いです。
誰でもどこかに自分という人間を認めて欲しい、凄いと思わせたいという思いがあるかもしれません。
しかし、このような思いに囚われていくとどんどん自分が辛くなるだけなのです。
まず、人から認められたいということは、自分一人で完結できることではありません。
自分以外の「他人」が必要となります。
過去と他人の気持ちは自分が変えることができないもの二つとなっています。
つまり他人から自分が思うように認めてもらえないことが続くと、欲求が充たされずに辛くなるのです。
また自分がどこか悪いから?と思ってどんどん他人の目線を気にして、相手をうかがうようになってしまいます。
人の目を気にしない人というのは、まず人から認められたいとか、認めさせようと思ったりはしていません。
自分がしたいことをして満足感、達成感を味わっているからです。
認められたいと思うより、満足感、達成感を味わう方がよっぽど心地良いものです。
まずは人からどう思われるか、認められたいといった思いに囚われることを止めましょう。
5-2. 本音を言う
他人の目を気にする人は本音を言えず、建て前だけで生きているようなものです。
何か聞かれても無難な答えしか返さず、誰にでも恨まれないように、角が立たないようにとそればかり考えているのではないでしょうか。
その様子は相手に丸わかり、伝わっているのです。
「ああ、この人は無難な受け答えをして建て前だけの人だな」とわかるのです。
ですから、それ以上深く腹を割って話そうとはなりにくく、つきあいが浅いままで終わってしまいます。
一方で、人の目を気にせず本音を言う人はどうかです。
この場合ははっきり言えば敵を作りやすいですし、作ってしまうでしょう。
しかし逆に強力な味方を得ることもできるのです。
本音で話す人は信用度が高くなります。
いいことばかりではなく悪いことも言うからこそ得られることです。
自分の周りにいる人があいまいでどっちつかず、敵か味方かわからないということはなくなるでしょう。
他人の目を気にする人は、少しずつ本音を言うことを練習するといいでしょう。
本音で言えるようになりますと、勇気が持てるようになります。
勇気があれば他人から何を言われても関係ない、気にしないと思えるようにもなります。
5-3. 自分で決めて思ったように生きる
他人の目が気になる人は、無難な生き方、人から文句を言われないような完璧な生き方を選ぶ傾向が強いのです。
人のことを学歴、肩書などで判断することも多いのです。
誰かが決めた価値観で、合わせて無難な人生になっていて、それに満足できているならば問題はありません。
しかしどこかで本当はしたいことを我慢していたり、理想としていることが他にある場合もあるのならば、それは他人の目を気にした生き方です。
自分で決めて、自分の思ったように生きることを目指してみましょう。
例えばしたい仕事があっても親、周りの人が反対した、今の安定を捨てるなと言ったといって諦めてしまう人もいます。
しかし、自分の人生は自分のものです。
もしもそれでいつか後悔したとして、反対した親や周りの人が責任をとってくれるのでしょうか。
何もとってくれないのです。
自分で選んだことに自分で責任をとる、この覚悟ができていれば他人の目など気にならなくなるのです。
まとめ
いかがでしたでしょうか。
他人の目が気になる人、多いと思います。
誰だって少しは「他人の目」を意識しているでしょう。
しかし、自分らしく堂々と生きた方が人生は楽しいですし、面白いのです。
他人のことを気にして、したいこともできない、言えない人生はおかしいのです。
勇気を持って自分らしく生きるように頑張りましょう。
3. 人の目が気になる心理
人の目を気にしてしまう心理はどのようなものなのでしょうか。
それでは見ていきましょう。
3-1. 自分に自信が持てないから
他人の目を気にする人は、自分のことに自信がないのです。
自分に自信がある人は自分の意見をはっきり言いますし、生きたいように生きています。
それが気に入らない人たちから悪口を言われたり、時に仲間外れといった陰湿なことをされることもあるでしょう。
しかし、自分に自信がある人は一人でも平気ですし、やっていく実力を備えているのです。
そのようなことは意に介しません。
一方で、自分に自信がないとどうなるでしょうか。
誰かとつるんでいないと不安ですし、集団の中にいて目立たないようにしていた方が無難かつ安全です。
なので、自分が標的にされないように、悪目立ちしないようにと、他人の目を気にして振舞うようになってしまうのです。
それは自分自身に自信が持てないことと、勇気がないからなのです。
3-2. 親の価値観の影響
他人の目を気にするのは幼い時から刷り込まれた価値観の影響の場合もあります。
それはつまり親の価値観の影響です。
親が気にしている世間体などをそのまま自分も同じように引き継いでいるのです。
明確な根拠、理由がなくても偏見にとらわれた見方や考え方をしてしまうのはその為なのです。
3-3. コンプレックスがばれたくない
自分の中にある、コンプレックスであったり、駄目な部分を知られたくない、隠したいという心理があります。
自分をお金持ちそうに見せたり、賢く見せようとするのは、コンプレックスを隠しているということが考えられるのです。
自分自身が一番、そのコンプレックスをわかっていて、嫌だと思っているのです。
他人の目を気にする人は、結局は自分の価値観に縛られているだけでもあるのです。
他人の目を気にしない人というのは、駄目な部分がある自分でもそのまま受け入れていますし、好きだと思っているのです。
4. 過度に他人の目が気にするデメット
まったく、人のことを考えずに自由気ままに生きているのは、場合によっては人に迷惑をかけたり、自分さえ良ければいいという自分勝手にもなります。
だからと言って、他人の目ばかり気にする生き方では自分らしくありません。
人間関係を良好に保つ程度の協調性は持ち合わせ、自分らしく生きることができれば理想的なのかもしれません。
ここでは過度に他人の目を気にすることで起こるデメリットを見ていきましょう。
4-1. 自分らしく生きることができない
何でも人からどう思われるか、言われるかで、無難な道を選び続けていればどうなるでしょうか。
無難で面白みのない人生となる可能性が高いのです。
安定してはいるけれど、自分らしさがない、本当に望んでいることを我慢している人生となってしまうのです。
4-2. 人の価値観に合わせて生きるだけで退屈
人に嫌われないように、目立たないようにと、無難に生きていれば確かにそこそこ「いい人」として認識されて、敵も作らない人生かと思います。
しかし、何でも周りに合わせるだけでは、人の価値観に合わせているだけの人、要するに「面白みのない人」になってしまう可能性もあるのです。
また人は不思議なもので、協調性がある人だからといって必ずしも好かれるというわけでもないのです。
ワガママというか自分の意見を言いたいように言って自由に振舞う人の方が本音で人と接している、裏表がないと好感を持たれることもあります。
合わせているだけでは結局、「あの人は自分の意見がない」「合わせているだけ」「何を考えているか本音がわからない」と思われ、自分というものがない人などと不名誉なことを言われてしまいます。
また自分自身も周囲に合わせるだけ、妥協だらけで退屈という人生になり、いいことはない場合もあります。
4-3. 無駄な時間、お金がかかる
他人の目を気にして、いい人と思われるように参加したくもない集まりやイベントに参加する、欲しくもない物を買って見栄を張るなど、人生において無駄な時間やお金がかかることが多くなります。
見栄というのは非常に厄介なものです。
本当に自分がいるのか、好きなのかで考えたら答えは「NO」なのに、他人の目が絡むと「やっぱりないとどう思われるかわからない」と途端に「YES」になってしまうのです。
働いて稼いでもそうやって本当に必要でない物を買ったり、時間を使うことで人生を損してしまうことが増えてしまいます。
「つきあいは大事」という考え方はわかりますが、相手のことを大事に思っているのではなく、自分の評判を気にしているだけならば、そのようなつきあいは必要なものなのでしょうか。
どう思われてもいい、そう思って心から好きな人と好きな時間に好きなことを楽しむ方が有意義な時間とお金の使い方ではないでしょうか。
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