性悪説とは、人間の生まれながらの性質・本性を「悪」と見なす考え方のことで、人間は法律の罰則や教育による矯正、権力の威圧などがないと簡単に「悪事・犯罪」に手を染めてしまうという人間観にもつながっています。
「性悪説が正しいと言う意見」や「性悪説の例」としてはどのようなものがあるのでしょうか?この記事では「性悪説を信じるメリット・デメリット」と合わせて、「性善説と性悪説の違い」についても説明しています。
- 性悪説とは?
- 性悪説が正しいと言う意見と根拠
- 性悪説の例
- 性善説と性悪説の違い
- 性悪説を信じるメリット
- 性悪説を信じるデメリット
- まとめ
1. 性悪説とは?
古代中国の諸子百家・儒学の思想家である荀子(じゅんし、紀元前3世紀)が唱えた倫理思想が「性悪説(せいあくせつ)」であり、人の生まれながらの性質・本性を「悪」であるとする思想です。
人間の生得的な本性は「利己的欲望」の実現に向かう傾向があり、その利己的欲望を放置していると、他人を傷つけたり他人から奪ったりする悪事(犯罪)に走ることになるというのです。
荀子は人の利己的欲望は悪であり、自然のままに放置すると社会秩序を崩壊させて、人々が殺し合い・奪い合いに陥ってしまうとしました。
一方で、儒教の礼制や徳性によって後天的に悪の本性を矯正することで、社会秩序を維持できるとしました。
性悪説は「人間は生まれながらに悪」というニュアンスが強いのですが、荀子の性悪説では「後天的な努力の継続・教育機会の影響」によって悪事を犯す利己的欲望を矯正・改善して「善」に導くことができるとしています。
2. 性悪説が正しいと言う意見と根拠
性悪説が正しいと言う意見と根拠には、どのようなものがあるのでしょうか?
2-1. 生まれたばかりの赤ちゃんは良いも悪いも分からない
性悪説が正しいと言う意見として、「生まれたばかりの赤ちゃんは良いも悪いも分からない」というものがあります。
生まれたばかりの赤ちゃん(乳児・新生児)は、まだ外部環境や後天的な教育の影響を受けていない「生得的本能に従っている存在」ですが、その赤ちゃんでも他の赤ちゃんや幼児を叩いたり、他の子のおもちゃを奪い取ろうとしたりするような悪事をしてしまうことがあります。
そういった赤ちゃんの利己的欲望に従った行動から、人間の生まれながらの本性は悪であるという性悪説を支持する意見もあるのです。
2-2. 小さな子供達の世界でもいじめや仲間外れが常にある
「小さな子供達の世界でもいじめや仲間外れが常にある」ということで、性悪説が正しいとする意見もあります。
人間の生まれながらの生得的本能が「善」であるならば、小学生以下の小さな子供達の世界にはいじめや仲間はずれ、万引きなどはないはずですが、実際には現実社会において無数の子供たちのいじめや万引きの行為が報告され続けています。
そういった子供達の世界にあるいじめ・仲間はずれなどを根拠にして、性悪説が正しいとする意見を言う人もいるのです。
2-3. 小さな子供でも親や先生の見ていない所で悪事をするなど裏表がある
性悪説が正しいと言う意見として、「小さな子供でも親や先生の見ていない所で悪事をするなど裏表がある」というものがあります。
人間の先天的な本質が「善」であるならば、人は誰かに見られていても見られていなくても、いつも「正しい行動+優しい言動」をするはずですが、実際には「相手や状況によって態度を変える人・子供」は結構多いのです。
こういった「裏表が激しい人(叱責されそうな怖い先生や親がいる時だけは悪事をしない)」を例に上げて、性悪説が正しいとする意見が出されています。
2-4. 小さな子供はまだ他人の感じている痛みや悔しさをリアルに想像することができない
「小さな子供はまだ他人の感じている痛みや悔しさをリアルに想像することができない」ということで、性悪説が正しいとする意見もあります。
人間が生まれながらの本質的性格として「善なる存在」であれば、小さな子供時代からみんなが「他人の感じている痛み・つらさ・悔しさ」をリアルに想像して共感することができるはずですが、実際にはそうではありません。
「他人が嫌がる行動」や「他人が傷つくような発言」を敢えてする人たちが多くいることから、性悪説が正しいとする意見が出されているのです。
2-5. まともな教育・躾を受けずに育った人は平気で暴力的犯罪を犯すことがある
性悪説が正しいと言う意見として、「まともな教育・躾を受けずに育った人は平気で暴力的犯罪を犯すことがある」というものがあります。
親からネグレクト(育児放棄)をされて躾を受けることができず、更に「学校教育で善悪を学ぶ機会+共感できる良い友人関係・人間関係」にも恵まれなかった場合には、人はどうしても犯罪や悪事に誘惑されやすい本性的な傾向を持っているというのです。
3. 性悪説の例
性悪説の例として、以下のようなものがあります。
3-1. 両親からの愛情・教育を受けられなかった子供が他人を傷つけてしまう例
性悪説の例として、「両親からの愛情・教育を受けられなかった子供が他人を傷つけてしまう例」があり、本能的欲望を矯正されず自然状態のままで成長した子供の多くは、自己嫌悪や他者否定に陥って「非行・犯罪」に走りやすくなってしまいます。
他人を傷つけない正しい生き方をするためには、親からの愛情や教育という「先天的な悪の本性」を改善するための後天的作為が必要になってくるということなのです。
3-2. 赤ちゃんでも他人を叩いたり他人のモノを取ったりすることがあるという例
「赤ちゃんでも他人を叩いたり他人のモノを取ったりすることがあるという例」が、性悪説の例の一つになります。
物心がついていない生まれたばかりの赤ちゃん(乳児・新生児)は、見た目こそ天使のように可愛いこともありますが、その行動原理は必ずしも「善性」にのっとったものとは言えません。
1〜3歳くらいの乳幼児でも平気で他人を叩いてみたり、自分が欲しいものがあれば他人のモノでも取ろうとしたりすることがあることが、性悪説の例になっているのです。
3-3. 人が利己的本能のままに生きれば他人を傷つけたり奪ったりするという例
性悪説の例として、「人が利己的本能のままに生きれば他人を傷つけたり奪ったりするという例」があります。
人間が先天的・生得的に持っている本能は利己的であることが多く、自分が生き残るためであれば他の人たちを犠牲にしても構わないといった側面があります。
人が生まれながらの利己的本能のままに生きれば、かなりの確率で他人を傷つけたり他人から奪ってしまったりするのです。
3-4. 法律や権力による規制・罰則がゼロなら世の中に悪事が増大する例
「法律や権力による規制・罰則がゼロなら世の中に悪事が増大する例」というのも、性悪説の例と言えるでしょう。
よほど盲目的に性善説を信じられる人でもなければ、「法律に基づく刑罰(死刑・自由刑)・罰金・過料」がなくても、誰も犯罪を犯さないだろうという楽観的な見通しは持てないでしょう。
法律や権力による規制・罰則をゼロにしてしまうと、他人を殺したり他人から奪ったりする人が増加するという予測が、性善説が有効な例になっているのです。
3-5. 人が正しい行いをするためには是非善悪を学ぶ教育や人間関係が必要だという例
性悪説の例として、「人が正しい行いをするためには是非善悪を学ぶ教育や人間関係が必要だという例」があります。
生まれたばかりの赤ちゃんは何が善であるのか何が悪であるのかを分別することができず、「善行・正しい行い」をするためには是非善悪を学ぶ教育機会や愛情のある人間関係に恵まれる必要があります。
教育や愛情が何もなければ、先天的な人間の本能は悪である可能性が高いという実際の例が、性悪説の例になっています。
4. 性善説と性悪説の違い
性善説と性悪説の決定的な違いは、孟子(もうし)を始祖とする「性善説」が人間の生まれながらの本性(性質)を「善」であるとしているのに対して、荀子(じゅんし)を始まりとする性悪説が人間の生まれながらの本性(性質)を「悪」であるとしていることでしょう。
4-1. 性善説と性悪説では「後天的な環境・人間関係の捉え方」が異なる
性善説は人間の先天的な本性が善なので、その善性を維持発展していくことで人間の徳性が高まり、善良な社会秩序が維持されると考えました。
性善説では「先天的な人の善性」を「後天的な環境・人間関係の汚濁(悪影響)」が汚すことによって人間は悪事を犯すようになるという風に捉えています。
性悪説は人間の先天的な本性が悪なので、その悪性を後天的な教育・努力によって改善していくことで、人間は善良な存在になれると考えます。
性悪説では「先天的な人の悪性」を「後天的な教育・人間関係の良い影響」によって矯正することで、人間は正しい行いができるようになるとしています。
5. 性悪説を信じるメリット
性悪説を信じるメリットとしては、以下のようなことがあります。
5-1. 悪い人間に騙されるリスクが減る
性悪説を信じる一番のメリットとしては、「悪い人間に騙されるリスクが減る」ということを上げることができます。
人間は生まれながらに利己的欲望を抱えている悪しき存在であるという「性悪説」を信じることによって、「他者に対する警戒心・猜疑心」が形成されやすくなるので、上手いことを言って自分を騙そうとする人から身を守りやすくなります。
他人を基本的に信用しづらくなり、初めから疑ってかかる姿勢になることは、一般的には悲しい性格の変化なのですが、「人から騙されにくくなる(人から傷つけられにくくなる)」という点ではメリットになってくることも多いのです。
5-2. 信頼していた人から裏切られた時にもショックが小さい
性悪説を信じるメリットとしては、「信頼していた人から裏切られた時にもショックが小さい」ということがあります。
人間は生まれながらに善であるという素朴な性善説を純粋に信じていると、「友人関係・結婚生活・恋愛関係」などで深く信じていた相手から裏切られると、大きなショックを受けて一週間以上も寝込んでしまうほどに気落ちしてしまうリスクがあります。
しかし、性悪説を本気で信じている人は、「今どんなに親密な相手であっても自分を裏切るリスクはゼロではない+人間はいつ気変わりするか分からないいい加減な存在である」という警戒心を持って日常を送っていますから、いざ裏切られた時にも相対的に精神的ショックが小さくなりやすいのです。
5-3. 人生全体の危機管理能力が高まる
「人生全体の危機管理能力が高まる」ということも、性悪説を信じる大きなメリットの一つになっています。
人間の本性が悪であると認識して一定の警戒心や注意力を維持することによって、自分だけではなく「家族・大切な人」に降りかかってくるかもしれないリスクを未然に防ぎやすくなるのです。
他者の本質や意図を簡単には信用しない姿勢が身につくので、短期的あるいは長期的に人生全体の危機管理能力を高めていくことができるのです。
6. 性悪説を信じるデメリット
性悪説を信じるデメリットとしては、以下のようなことがあります。
6-1. 他人のことを心から信用することができなくなる
性悪説を信じるデメリットとしては、「他人のことを心から信用することができなくなる」ということがあります。
人は生まれながらに悪の本質を持っていて、いつ他人を傷つけたり裏切ったりするか分からないという性悪説を信じていると、「他人を信用して付き合うことがリスクに思える心理状態(他人を信じることがバカバカしいと感じる価値観)」に落ち込みやすくなります。
人生の喜びや楽しみの多くは「人間関係」から生まれてくることが多いので、他人のことを心から信用できないというのは大きなデメリットになってしまうのです。
6-2. 親密な人間関係においても一定の心理的距離感ができてしまう
性悪説を信じるデメリットとしては、「親密な人間関係においても一定の心理的距離感ができてしまう」ということを上げることができます。
人間は生まれながらに悪の本性を持っていて信用できないという「性悪説」を突き詰めていくと、「他人と親密な関係を持っても意味がない+一定の心理的距離を置いておかないと傷つけられて嫌な思いをする」という価値観に傾きやすくなってしまいます。
性悪説を信じ過ぎてしまうと、他者と本当に親密な人間関係を楽しむことが出来なくなるのです。
6-3. 人間なんて所詮は利己的動物というニヒリズム(虚無主義)に陥りやすい
「人間なんて所詮は利己的動物というニヒリズム(虚無主義)に陥りやすい」というのは、性悪説を信じる大きなデメリットになるでしょう。
性悪説を盲目的に信じてしまうと、自分を含めた人間はすべて自分さえ良ければいいという「利己的動物」に見えてきてしまうのです。
こういった全ての人間を浅ましい利己的動物のように見なすようになってしまうと、「自分にも他人にも世界(社会)にも何の価値もないというニヒリズム(虚無主義)」に陥りやすくなり、抑うつ的なつらい精神状態で日常を送ることになってしまいます。
まとめ
性悪説の定義を示して、「性悪説が正しいと言う意見」や「性悪説の例」について紹介してきましたが、いかがだったでしょうか?性悪説と性善説の決定的な違いは、人間の生まれながらの先天的な本性・本質を「善」と捉えるか「悪」と捉えるかの違いにあります。
性善説では「後天的な環境や他者の悪い影響」で、人間の善の本性が汚されていくと考えますが、性悪説では「後天的な教育や人間関係の良い影響」で、人間の悪の本性が矯正されていくと考えます。
「性悪説を信じるメリット・デメリット」についても分かりやすく解説していますので、性悪説について調べたい人はぜひこの記事を参考にしてみて下さい。
3. 性悪説の例
性悪説の例として、以下のようなものがあります。
3-1. 両親からの愛情・教育を受けられなかった子供が他人を傷つけてしまう例
性悪説の例として、「両親からの愛情・教育を受けられなかった子供が他人を傷つけてしまう例」があり、本能的欲望を矯正されず自然状態のままで成長した子供の多くは、自己嫌悪や他者否定に陥って「非行・犯罪」に走りやすくなってしまいます。
他人を傷つけない正しい生き方をするためには、親からの愛情や教育という「先天的な悪の本性」を改善するための後天的作為が必要になってくるということなのです。
3-2. 赤ちゃんでも他人を叩いたり他人のモノを取ったりすることがあるという例
「赤ちゃんでも他人を叩いたり他人のモノを取ったりすることがあるという例」が、性悪説の例の一つになります。
物心がついていない生まれたばかりの赤ちゃん(乳児・新生児)は、見た目こそ天使のように可愛いこともありますが、その行動原理は必ずしも「善性」にのっとったものとは言えません。
1〜3歳くらいの乳幼児でも平気で他人を叩いてみたり、自分が欲しいものがあれば他人のモノでも取ろうとしたりすることがあることが、性悪説の例になっているのです。
3-3. 人が利己的本能のままに生きれば他人を傷つけたり奪ったりするという例
性悪説の例として、「人が利己的本能のままに生きれば他人を傷つけたり奪ったりするという例」があります。
人間が先天的・生得的に持っている本能は利己的であることが多く、自分が生き残るためであれば他の人たちを犠牲にしても構わないといった側面があります。
人が生まれながらの利己的本能のままに生きれば、かなりの確率で他人を傷つけたり他人から奪ってしまったりするのです。
3-4. 法律や権力による規制・罰則がゼロなら世の中に悪事が増大する例
「法律や権力による規制・罰則がゼロなら世の中に悪事が増大する例」というのも、性悪説の例と言えるでしょう。
よほど盲目的に性善説を信じられる人でもなければ、「法律に基づく刑罰(死刑・自由刑)・罰金・過料」がなくても、誰も犯罪を犯さないだろうという楽観的な見通しは持てないでしょう。
法律や権力による規制・罰則をゼロにしてしまうと、他人を殺したり他人から奪ったりする人が増加するという予測が、性善説が有効な例になっているのです。
3-5. 人が正しい行いをするためには是非善悪を学ぶ教育や人間関係が必要だという例
性悪説の例として、「人が正しい行いをするためには是非善悪を学ぶ教育や人間関係が必要だという例」があります。
生まれたばかりの赤ちゃんは何が善であるのか何が悪であるのかを分別することができず、「善行・正しい行い」をするためには是非善悪を学ぶ教育機会や愛情のある人間関係に恵まれる必要があります。
教育や愛情が何もなければ、先天的な人間の本能は悪である可能性が高いという実際の例が、性悪説の例になっています。
4. 性善説と性悪説の違い
性善説と性悪説の決定的な違いは、孟子(もうし)を始祖とする「性善説」が人間の生まれながらの本性(性質)を「善」であるとしているのに対して、荀子(じゅんし)を始まりとする性悪説が人間の生まれながらの本性(性質)を「悪」であるとしていることでしょう。
4-1. 性善説と性悪説では「後天的な環境・人間関係の捉え方」が異なる
性善説は人間の先天的な本性が善なので、その善性を維持発展していくことで人間の徳性が高まり、善良な社会秩序が維持されると考えました。
性善説では「先天的な人の善性」を「後天的な環境・人間関係の汚濁(悪影響)」が汚すことによって人間は悪事を犯すようになるという風に捉えています。
性悪説は人間の先天的な本性が悪なので、その悪性を後天的な教育・努力によって改善していくことで、人間は善良な存在になれると考えます。
性悪説では「先天的な人の悪性」を「後天的な教育・人間関係の良い影響」によって矯正することで、人間は正しい行いができるようになるとしています。
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