昭和に人気を博した流行歌の影響で、日本には「お客様は神様」という常套句が存在しますが、商売の現場では、到底そんなふうには思えない迷惑客もたくさん存在します。
自分のことを神様と信じて疑わないクレーム客に、黙って苦しめられる必要はないことを立証するべく、お客様が必ずしも神様ではないと思える理由について、ご紹介します。
- 売り手と買い手は対等な立場である
- 買い手が使えば無価値な言葉に成り下がる
- 人間が神様になど成り得るはずがない
- 神様は言いがかりをつけない
- 信じる者にとってのみ神様になる
- この世の創世主である神様は物を買う必要がない
- 神様というのは実存しないもの
- 日本でしか通用しないことに信憑性はない
- まとめ
1. 売り手と買い手は対等な立場である
お客様が必ずしも神様ではない理由は、売り手と買い手は本来対等な立場であり、どちらか一方が偉いということは決してあり得ないからです。
商売人が商品を提供してくれなければ、書い手は買うことができませんが、それを買ってくれる人がいなければ商売は成り立ちませんので、双方の関係性はどちらも不可欠であり、そういった意味で、片一方が神様として崇められることはないと断言できますので、このような言葉で圧力をかけてくる人は、はっきり論破してあげましょう。
2. 買い手が使えば無価値な言葉に成り下がる
お客様が必ずしも神様ではない理由は、その言葉が美徳として成り立つためには、商いを行う側が使った場合にのみ成立するのであり、買う側がその言葉を用いれば、驕り高ぶった醜い言葉に成り下がってしまうことを精査すれば、クレーマーが使うそうした言葉に何の正当性もないことが見えてきます。
元々の流行歌の歌詞も、このような意図で用いられたからこそ、謙虚な姿勢を尊ぶ日本人の心に刺さったわけですので、意図を捻じ曲げて使ってしまえば、何の価値もない言葉になってしまいます。
3. 人間が神様になど成り得るはずがない
お客様が必ずしも神様ではない理由は、人間が神様になど成り得るはずがないからです。
個人の主観で、お世話になった人などに対し、神様のように見えてくることがあるとしても、物を売り買いするだけのコミュニケーションの相手を、神様と崇めていては誰でも神様になれてしまうことになります。
また仮に、お客様が神様だと言うのであれば、5円ほどの賽銭で願い事を叶えなければならなくなりますが、その客にそのような力が備わっているはずはありません。
4. 神様は言いがかりをつけない
お客様が必ずしも神様ではない理由は、神様は言いがかりをつけて商品を安くさせようとしたり、大きな声で騒いで他のお客様に迷惑をかけたりしないからです。
その際の他のお客様というのも、全員神様ですので、神様に迷惑をかけるような人が神様であるはずがありません。
神様というのは絶対的正義を象徴化した存在ですので、他のお客様がクレームをつけていないようなことにも、自らの歪んだ正当性を押し付けるような人は、神の名を語るに相応しくありません。
5. 信じる者にとってのみ神様になる
お客様が必ずしも神様ではない理由は、神様が宗教的な概念だとすれば、信じる者にとってのみその対象が神様になるのであり、信仰者以外にとっては神様ではないことを思えば、神様というのは自称できることではないという説が成り立ちます。
つまり俺を神様だと敬えと圧力をかけられても、店員には信仰の自由がありますので、自分にとって崇めるべき存在ではない場合は、その客が誰であっても、その店員にとっては神様にはなりません。
6. この世の創世主である神様は物を買う必要がない
お客様が必ずしも神様ではない理由は、神様はこの世の創世主ですので、何か欲しいものがあったとしても、お店に商品を買いに来る必要はないはずです。
巨大な山々や広大な海さえも創造することができる神様が、限定のゲームが欲しくて徹夜して並んだものの、購買権の抽選くじに外れ、店員に逆ギレするようなことは決してあり得ませんので、そのような客もいることを思えば、あらゆるお客様が神様であるはずがありません。
7. 神様というのは実存しないもの
お客様が必ずしも神様ではない理由は、神様というのは実存するものではなく、観念の中に存在するものですから、お客様という生身の体を持つ存在をそのように呼ぶのはおかしいからです。
神様というのは仏像のように物質化しているものではなく、人間の心の中で感じるものですので、現世で普通に生活している一個人の神様だと崇めるのは、リアリストにとっては現実味を帯びない無理のある考え方となります。
8. 日本でしか通用しないことに信憑性はない
お客様が必ずしも神様ではない理由は、そのようなフレーズが存在するのは日本だけで、国から一歩出てしまえば無効化してしまうようなことに、真実味は帯びないと考えられます。
例えば狭い村の中では野球の神童として崇められていた少年が、全国区の競合校に転入したら平均的な評価となってしまえば、残念ながらその子は神童ではないということが立証されてしまうように、神様もエリア限定では信憑性がないと言えます。
まとめ
お客様が必ずしも神様ではない理由について、まとめてみました。
本来、謙虚な気持ちで商いを行う側が用いた言葉を、迷惑客が悪用し始めただけですので、そこには何の正当性もないことが見えてくるでしょう。
5. 信じる者にとってのみ神様になる
お客様が必ずしも神様ではない理由は、神様が宗教的な概念だとすれば、信じる者にとってのみその対象が神様になるのであり、信仰者以外にとっては神様ではないことを思えば、神様というのは自称できることではないという説が成り立ちます。
つまり俺を神様だと敬えと圧力をかけられても、店員には信仰の自由がありますので、自分にとって崇めるべき存在ではない場合は、その客が誰であっても、その店員にとっては神様にはなりません。
6. この世の創世主である神様は物を買う必要がない
お客様が必ずしも神様ではない理由は、神様はこの世の創世主ですので、何か欲しいものがあったとしても、お店に商品を買いに来る必要はないはずです。
巨大な山々や広大な海さえも創造することができる神様が、限定のゲームが欲しくて徹夜して並んだものの、購買権の抽選くじに外れ、店員に逆ギレするようなことは決してあり得ませんので、そのような客もいることを思えば、あらゆるお客様が神様であるはずがありません。
7. 神様というのは実存しないもの
お客様が必ずしも神様ではない理由は、神様というのは実存するものではなく、観念の中に存在するものですから、お客様という生身の体を持つ存在をそのように呼ぶのはおかしいからです。
神様というのは仏像のように物質化しているものではなく、人間の心の中で感じるものですので、現世で普通に生活している一個人の神様だと崇めるのは、リアリストにとっては現実味を帯びない無理のある考え方となります。
スポンサーリンク