石川県はご存知の通り、江戸時代加賀藩が治めた100万石の大藩です。
独自の文化が発展し、輪島塗、九谷焼、加賀友禅をはじめ、加賀料理、新鮮な魚介類、更に兼六園、金沢城址、成巽閣、長町の武家屋敷と、旅行で訪れても楽しみは沢山ある魅力的な県です。
特に金沢市内は昔乍らの大きなうろこ塀の規模の大きさから、江戸時代にタイムスリップしたかのような錯覚を起こす程です。
そんな中に、前田利家と正室お松の方を祀る尾山神社、前田家の先祖でもある管公を祀った金澤神社等々の由緒ある神社が点在しています。
- 尾山神社
- 金澤神社
- 石浦神社
- 安宅住吉神社(あたかすみよしじんじゃ)
- 石川護國神社
- 大野湊神社
- 菅生石部神社
- 白山比咩神社
- まとめ
1. 尾山神社
ご祭神は前田利家公とその妻お松の方です。
創建は、慶長4(1599)年、利家公が薨去された後、2代目藩主利長公は利家公を仰ぎ神として祀ろうとしました。
しかし、前田家は外様大名。
公然と神社創建に踏み切ることは出来ませんでした。
そこで、守護神として物部八幡宮と榊葉神明宮を遷座する名目で社殿を造営し、利家公の神霊を合祀することにしました。
明治の廃藩置県後、明治6年に旧金谷御殿の跡地である現在の地に社殿を新築し、「尾山神社」と号しました。
その後、平成10年にお松の方も合祀されました。
現在では、金沢市の総社的神社として崇敬されています。
また、鳥居をくぐり、階段を上った所にある神門は、和漢洋の三洋式用いた異色の門として有名です。
三層からなっていますが、特に第三層は四面五彩のギヤマン張りになっているので、夕方日がギヤマンに当たる様子はとても綺麗で、また、神社にハイカラな物があることにも不思議な感に打たれます。
厄年の祈願は、本厄 1万円より前厄・後厄 8,000円より42歳本厄の方は、酒、餅のお供えをお願いしますということです。
各種祈祷の時間等については、神社に問い合わせて下さい。
2. 金澤神社
ご祭神は菅原道真公、白蛇竜神、白阿紫稲荷大明神、琴平大神、前田斉広公(第12代藩主)、前田斉泰公(第13代藩主)です。
創建は加賀藩第11代藩主治脩(はるなが)公が、寛政6(1794)年に、兼六園の一角に藩校「明倫堂」を建てられました。
その鎮守社として学問の神であり、また前田家の先祖でもある菅原道真公の御舎利を奉祭する神社を建立されました。
学業成就だけでなく、災難除けの神、商売繁盛の神、交通安全の神として、藩公が朝夕兼六園を散策された時に領内の平和・繁栄を祈願されました。
明治7年、兼六園が一般公開された時から、金澤神社も一般の人々も自由に参拝できるようになりました。
現在では、1年を通じて様々な祈願の為に参拝する人々が絶えません。
厄払いのご祈祷は随時行っていますが、行事の関係上事前に予約をして頂きたいということです。
また、金沢の風習として、厄年を迎える前年末までに神社で厄除けのお祓いを受けてから、信念を迎えます。
全国的には宅年の節分(旧暦元旦)までにお祓いを受けます。
その時に、鏡餅1重と清酒2升をお供えとして持参します。
お祓いを受けた後、鏡餅半分と清酒1升は神社に「厄を納める」と言う意味で残し、残りは自宅に持ち帰って家族で頂きます。
42歳の男性の大厄では、親戚等にお餅やお酒を配ったり、酒宴を設けることもあります。
これも、厄を分散させ。
煮ないでもらう、という考え方です。
3. 石浦神社
ご祭神は大物主大神・大山咋大神・菊理媛大神・天照皇大神・天兒屋根大神・市杵嶋姫大神・誉田別大神です。
創建は古墳時代と言われ、金沢最古の宮として「三輪神社」を号していました。
奈良時代には神仏習合となり、石浦山慈光院長谷寺と改称し、江戸時代には石浦山王、石浦大権現と呼ばれ、明治の神仏分離令で石浦郷の地名を取って「石浦神社」と改称されました。
兼六園と道を挟んだ位置にあるのが石浦神社です。
お祓いは9時から16時まで受け付けています。
随時受け付けていますが、恒例のお祭りや催しがある場合はその間まつことがあります。
厄払いのご祈祷料は、男性は10,000円、女性は8,000円〜10,000円となっています。
4. 安宅住吉神社(あたかすみよしじんじゃ)
主祭神は住吉三神(底筒男命・中筒男命・表筒男命)、相殿神は別雷神と少彦名命です。
創建は古く約1,200有余年前の奈良時代の天応5(782)年、琴佩山に鎮座されました。
その後何度か遷座を繰り返され、正保4(1647)年に現在の二堂山に遷座されました。
古書にもしばしば見られ、北陸道往来の人々が必ず詣でた古社でした。
古来、人生の道先案内の神様、開運厄除、交通安全、縁結び、また難関突破の霊神として篤く信仰されています。
「縁ありて斜塔に詣づる人、誠を込めて神前に祈りを捧げば、その祈りは必ずや成就されん」と言われています。
また、歌舞伎の「勧進帳」で有名な安宅の関はこの地の事なので、神社の駐車場には源義経、弁慶、富樫の像が建っています。
厄払いのご祈祷は随時行っています。
詳細は神社に問い合わせて下さい。
5. 石川護國神社
明治元(1868)年の戊辰の役において、加賀藩士108名が戦死し、明治3(1870)年卯辰山に招魂社が造営され、戦没者の御霊をお祀りしました。
その後の西南戦争、日清日露戦争、支那事変、大東亜戦争までの英霊44,832柱を合わせお、お祀りしています。
(第九師団管下の富山・福井・岐阜・滋賀県出身の英霊10,919柱を含みます。)
昭和10年、卯辰山から現在地に遷座されました。
そして、昭和14年に社名が「石川護國神社」と改称されました。
お祓いについては、神社に直接問い合わせて下さい。
6. 大野湊神社
ご祭神は護國八幡大神(相殿 鎮魂八神)、天照皇大御神(相殿 瀬織津姫神)、猿田彦大神の三柱です。
護國八幡大神は、応神天皇と同一視されています。
源氏の氏神として武運の神様とされます。
また、国家守護の神様、皇祖神として信仰される一方、農業の神様、鍛冶の神様としても崇められています。
猿田彦大神は当社創祀に関わる大神様で、そのご神徳から「導きの神」「道開きの神」と称され、崇敬されています。
他に、境内には4つの末社があります。
創建は神亀4(727)年、陸奥の人佐那が航海中に猿田彦大神の出現を感じ、海辺の大野庄真砂山竿林に会った神明社の傍らに祠を建立して勧請したことに始まります。
神明社、つまり天照大御神を奉祭した社の創建年代は不明ですが、恐らく飛鳥朝時代ではないかと推測されています。
この猿田彦大神を合祀してより、天平元(729)年には「佐那武大明神」の称号を天より賜りました。
社殿の炎上に依り、建長4(1252)年、現在の地に遷座されました。
歴代朝廷からの崇敬が篤く、度々の造営や神宝の御奉納や勅使の参向もある一方、一向一揆に依って社殿の荒廃は甚だしかったと言います。
天生14(1586)年、加賀藩主前田利家公が任国の際、当社の社殿や神器の修築・寄進を受け、以降前田家の崇敬を受け、大野庄の総社として人々の篤い信仰を集めています。
特に、海と湊の安全の守護、交通安全、厄除け等にご神徳の高い大神様です。
お祓いは毎日9時から17時まで受け付けています。
ご祈祷料は5,000円よりとなっています。
車のお祓いも行っています。
7. 菅生石部神社
ご祭神は菅生石部神(日子穂穂出見命・豊玉毘賣命・鵜葺草葺合命)です。
創建は用明天皇元(585)年です。
その年、疫病が流行し、それを鎮める為に宮中で祀っていた神々(現菅生石部神)をこの地に遷座させ、疫病を鎮め五穀豊穣を祈願したことに始まります。
後、京都の北野天満宮領となり、天神信仰が盛んとなり、明治時代には国幣小社に列せられました。
古来より正親町天皇の頃までは、1年に二度行われる居入祭には勅使が参向して御衣や神宝を奉る等、朝廷の崇敬も篤く、また木曽義仲、豊臣秀吉等多くの武将達も篤く信仰しました。
前田藩は氏神様として神地寄進社殿造営・修理が絶えず行われ、夏祭天神講の3日間は藩内に住む人々総てを参拝させて崇敬の誠を捧げました。
お祓いは、祭典や結婚式等で松場合があるので、事前に相談した方が良いとのことです。
受付時間は8時半から16時までです。
8. 白山比咩神社
ご祭神は菊理媛尊(くくりひめのみこと)です。
全国約3,000社に上る白山神社の総本宮である白山比咩神社のご祭神は、「日本書紀」にもその名前が見られる女神様です。
伊邪那岐尊と伊邪那美尊が国産みをした時、伊邪那美尊は火の神を産んだ時の火傷が元で死んでしまいます。
黄泉の国へ伊邪那美尊を迎えに行った伊邪那岐尊は、妻の変わり果てた姿を恐れて逃げてしまいます。
起こった伊邪那美尊は夫を追いかけましたが、その時黄泉の国との境で2人の神の間に現れたのが菊理媛尊です。
菊理媛尊は2人を仲裁し、その後天照大御神・月読尊・須佐之男尊が生まれます。
菊理媛の「くくり」は「括る(くくる)」に繋がる為、和合の神様、縁結びの神様としても信仰されています。
その他、大漁満足、開運招福、家内安全、家運長久、神人和楽と、霊験あらたかな神社です。
創建は崇仁天皇7(紀元前91)年、本宮の北にある標高178mの舟岡山に神地を定めたのが創建と伝承されています。
その後何度か河川の氾濫の為、社地が崩壊し、更に文明12(1480)年の大火に依って伽藍が総て灰燼に帰したので、末社三宮が鎮座していた現在地に遷座しました。
お祓いは毎日受け付けていますので、予約は要りません。
受け付けは9時から16時までとなっています。
ご祈祷時間は曜日によって異なりますので、詳しくは神社のサイトを見るか、直接問い合わせて下さい。
まとめ
石川県の神社も太古から続くような古い創建のものがありました。
日本の歴史の長さを改めて感じると共に、その間日本と日本人を守ってきて下さった神々、そしてその神々を深く信仰してきた人々の思いは今も続いています。
8. 白山比咩神社
ご祭神は菊理媛尊(くくりひめのみこと)です。
全国約3,000社に上る白山神社の総本宮である白山比咩神社のご祭神は、「日本書紀」にもその名前が見られる女神様です。
伊邪那岐尊と伊邪那美尊が国産みをした時、伊邪那美尊は火の神を産んだ時の火傷が元で死んでしまいます。
黄泉の国へ伊邪那美尊を迎えに行った伊邪那岐尊は、妻の変わり果てた姿を恐れて逃げてしまいます。
起こった伊邪那美尊は夫を追いかけましたが、その時黄泉の国との境で2人の神の間に現れたのが菊理媛尊です。
菊理媛尊は2人を仲裁し、その後天照大御神・月読尊・須佐之男尊が生まれます。
菊理媛の「くくり」は「括る(くくる)」に繋がる為、和合の神様、縁結びの神様としても信仰されています。
その他、大漁満足、開運招福、家内安全、家運長久、神人和楽と、霊験あらたかな神社です。
創建は崇仁天皇7(紀元前91)年、本宮の北にある標高178mの舟岡山に神地を定めたのが創建と伝承されています。
その後何度か河川の氾濫の為、社地が崩壊し、更に文明12(1480)年の大火に依って伽藍が総て灰燼に帰したので、末社三宮が鎮座していた現在地に遷座しました。
お祓いは毎日受け付けていますので、予約は要りません。
受け付けは9時から16時までとなっています。
ご祈祷時間は曜日によって異なりますので、詳しくは神社のサイトを見るか、直接問い合わせて下さい。
まとめ
石川県の神社も太古から続くような古い創建のものがありました。
日本の歴史の長さを改めて感じると共に、その間日本と日本人を守ってきて下さった神々、そしてその神々を深く信仰してきた人々の思いは今も続いています。
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