古来、日本人は人生の伏し目毎に体調を崩したり、怪我をしたりすることに気付いていました。
そして、その年齢になったら、神社でお祓いをして頂き、悪い物を祓って無事に1年を過ごせるようにと願いました。
また、大厄については、前後の年も入れて3年間お祓いを受け、慎みを持った生活を送るように気を付けました。
実際厄年に病気になったり事故に遭う人も多いのです。
しかし、お祓いを受けていると大病や大事故に至らず済むことが出来ます。
厄年を迎えたら、神社で真摯な気持ちでご祈祷を受けるように、しましょう。
- 越中一宮 高瀬神社
- 伏木神社
- 射水神社
- 越中國一宮 氣多神社(けたじんじゃ)
- 御皇城山皇祖皇大神宮(おみじんやまこうそこうたいじんぐう)
- 鹿嶋神社
- 道神社
- 櫛田神社
- 入善神社
- 宮津八幡宮
- まとめ
1. 越中一宮 高瀬神社
主祭神は大国主命(福の神・縁結びの神、国土開拓・農耕の神、医薬医療の神)です。
配祀神は天活玉命、五十猛命を、末社には天照大御神、級長戸辺命、宇迦之御魂大神、菅原道真公等がお祀りされています。
創建は神代の昔とされています。
社伝には、ご祭神が北国開拓の折、この地に守り神を祀って国が形成されたら、私の御霊も祀って出雲へ帰られた、と記されています。
後の世には、延喜式内社、越中一宮として多くの人々に崇められてきました。
また、朝廷の崇敬も篤く、天武天皇の御代には勅使が派遣され、光仁天皇には従五位を文徳天皇からは従三位を許され、同時に祢宜、祝い等に把笏を許されました。
そして、1200年に正一位を授かり、一宮としての格も備えました。
社頭荘園の多くは皇室の御領に当てられたこともあり、往時の高瀬神社の盛大さを偲ぶことが出来ます。
大正13年には摂政の宮(昭和天皇)の御使いが向けられ、同14年には皇后陛下(貞明皇后)より「神ながらの道」を奉献されました。
そして、昭和3年の即位の御大典、昭和16年の宣戦、昭和20年の終戦時には勅使の参向がありました。
お祓いの受け付けは9時から16時半まで受け付けています。
年中無休で予約は要りません。
車のお祓いも行っています。
ご祈願料は5,000円からとなっています。
ご祈祷の順序は以下となっています。
- お祓い 祓詞を奏上してお祓いをする
- 祝詞奏上 お願い事を神様に申し上げる
- 御鈴の儀 神様のお恵みを頂く
- 玉串拝礼 玉串を捧げて願い事をする
- 直会 御神酒をいただく
2. 伏木神社
ご祭神はお伊勢さんと呼ばれている天照大御神と豊受大御神、八幡さんと呼ばれている応神天皇と神功皇后、天神さんこと菅原道真公、秋葉さん、愛宕さんこと迦具土神です。
神功皇后は、厄除けの神様である応神天皇の母神として、子授けや安産、家内安全に関わるご神徳が高いとされています。
創建の正確な年代ははっきりしませんが、天平時代の歌人・大友家持が、当社を崇敬していたと伝わっているので、その頃には既に社殿があったと思われます。
しかし、何度も洪水の被害に遭ったことから、江戸時代末期(1813年)に現在の地に遷座しました。
近郷11ヶ村の総社として信仰され、氏子の繁栄に連れてお神輿の渡御が行われるようになり、そのお伴として、母衣(ほろ:武者行列)、花傘、行灯等が作られて大変賑わいました。
そして、明治16年に「伏木神社」と改称されました。
新しい近代国家が生まれようとする動乱期、伏木神社の祭礼に若人が威勢よく山車を曳くことで、時代の生まれ変わりを乗り切る活力が蓄えられました。
その心は、現在まで受け継がれています。
社宝として、鎌倉時代のものと思われる狛犬一対と寛文6(1666)年の浦高札(海難事故における救援や港における治安維持を目的とした高札の一種)があります。
お祓いは出来れば予約をして欲しいということです。
ご祈祷は毎日行っており、また、早朝や夕刻でも行います。
ご祈祷料は5,000円からとなっています。
3. 射水神社
ご祭神は瓊瓊杵尊です。
天照大御神の孫神様で「二上神」とも称され、稲作文化を日本全土に広めた経緯から、五穀豊穣・商売繁盛の守り神として、篤く信仰されてきました。
創建は神代のことのようですが、「延喜式」神名帳には、越中国唯一の「名神大社」に選ばれている由緒正しい神社です。
また、「日本書紀」には、天武天皇3(674)年に奉幣を預かったと記されていますから、創建は1300年余り前の奈良時代ではないかと推定されています。
社伝に依れば養老年間(714〜723年)、僧行基が二上山麓に建立した養老寺に、二上権現として祀ったのが、二上神様の鎮座したときとする説もあります。
明治4(1871)年には、越中国で最も格式の高い「国幣中社」に列せられました。
そして同じ年、高岡城本丸御殿の現在地に遷座されました。
お祓いのご祈祷は平日は9時30分、10時、10時30分・・・と言う様に30分間隔で行われています。
土日祝日と七五三期は45分間隔となります。
必ず事前に連絡をして欲しいとのことです。
4. 越中國一宮 氣多神社(けたじんじゃ)
ご祭神は能登国一宮気多大社よりご分霊を勧請した大己貴命です。
気多大神(けたのおおかみ)として、鎮座頂き越中国一宮・気多神社となりました。
拝殿の後方に立つ本殿は、国指定重要文化財に指定されている由緒ある神社です。
天平18(746)年、従五位下大友家持が第2代越中国守として着任しました。
境内には大伴神社があります。
延長5(927)年、当社は越中国34座の名神代一座として、神名帳に記載されました。
お祓いのご祈祷については、直接神社に問い合わせて下さい。
5. 御皇城山皇祖皇大神宮(おみじんやまこうそこうたいじんぐう)
皇祖皇大神宮とは、日本の天皇の祖先がこの世に降り立たれた頃から、上古二十五代、不合朝(ふきあえず)七十三代、更に神武天皇から今上天皇まで代々の天皇・皇后を合祀したお宮のことを指します。
太古、この神宮は別の場所にありましたが、天変地異に依り壊滅してしまいました。
それを憂いた天照大御神が、皇祖皇大神宮を復興するべく、飛騨の位山より神通川を下って、現在の御皇城山に再建されたという伝承が残っています。
この時建てられた本殿は巨大な大神殿で、東西南北に鳥居が立っていたということです。
この神宮が建てられたのは神代のことなので、その頃には、世界中から聖人達が日本に来て、生きる道を神から教わったとされています。
その中にはキリスト、日蓮、親鸞、釈迦、モーゼロミュラス、孔子、孟子、といった人々の名が見えます。
国内にある皇祖皇大神宮の中で、ここ富山にある神宮が最も古いとされ、その為、この地に世界中の聖人が集まったのでしょう。
現在は小さなお社があるだけですが、現在は強力なパワースポットとして、また遥か昔は宇宙の神が地球と宇宙を行き来していた場所として有名です。
そのパワーの強さ、すごさはお祓いを受けるのと等しい効果があると言っても決して過言ではありません。
また、お参りの仕方も他の神社とは違い、「四度拝八平手(拍手)一度拝」で、更に人差し指だけを合わせた組み手で参拝します。
八拍手は伊勢神宮で神職に依って行われるものですが、四方を結んで八方に開く、という意味があるそう藻です。
組み手は笏に代えるという意味らしく、神様の前では正式には笏を持たなければなりませんが、私達は持っていないので組み手で代用します。
6. 鹿嶋神社
主祭神は武甕槌命(国土安泰・民生安定)、配神は大己貴命、少彦名命、前田正甫公命です。
当社は桃山時代末期に「鹿嶋社」として創建されました。
二代目富山藩主前田正甫公は、鹿島の神様を産土神として特に崇敬になり、新たに現地に遷宮されました。
この地は富山藩の「裏鬼門除け祈願所」として開拓のはじめには、広大な境内地を設けて御鎮座になりました。
その後歴代藩主は病気平癒・領民の健康長寿・医療の道(売薬業)の繁栄を祈願しました。
一説には、柏葉大明神が柏の葉に乗り、神通川を下って来られたという縁起もあり、民間では「水のご神徳」が信じられています。
お祓いは毎日行われていますが、事前に電話で申し込んで下さいとのことです。
時間は9時から15時までとなっています。
ご祈祷料は5,000円からお志となっています。
7. 道神社
ご祭神は猿田彦神。
「道」の神様として、石動山や能登への道の守り神としてお祀りされたという伝承もあります。
創建年代は不明ですが、江戸時代前期の貞享元(1684)年に「大御堂」との記述があるので、この頃までには人々の産土神として崇敬され続けていたと思われます。
拝殿は享和元(1801)年に建立された物で、文化財に指定されています。
大工の棟梁は藤岡弥右衛門冨綱です。
組物や扇垂木等名工の高度な技術に感動する荘厳な拝殿です。
また、現在は神社が県指定有形文化財となっています。
お祓いのご祈祷については、神社に直接問い合わせて下さい。
8. 櫛田神社
ご祭神は櫛稲田姫命と武素戔嗚尊の夫婦神です。
その為、夫婦円満・縁結び・家庭和合のお宮として広く信仰されています。
創建は千数百年前、大和朝廷からこの地に遣わされた武内宿禰が斎主となって創建した神社です。
万葉歌人である大友家持はじめ、戦国時代の武将も度々参詣しています。
家持はお宮の建つ鎮守の森を古能久礼山、奈良比丘と呼んだと伝わっています。
長い参道が続く境内の中には、白馬の神馬もおり、神社らしさを感じられます。
また、森には四季折々に様々な植物が楽しめます。
お祓いは社務所まで電話で申し込んでください。
ご祈祷料は5,000円からとなっています。
9. 入善神社
ご祭神は誉田別尊。
配祀は建御名方命。
創建年代は不明ですが、一説には平城天皇大同元(806)年、山王と言う地に遷座したという古い神社です。
木曽義仲の時代、臣下の入善小太郎が引退後はこの地は入善の郷と称するようになりました。
宝暦元(1751)年、再び遷座し、白山社・日吉社を合祀して人々の崇敬を集めました。
明治24年に入善神社と改称し、現在地に遷座しました。
現在の社殿は昭和56年に新築された物で、広い境内の中に立派な拝殿や本殿が建っています。
お祓いについては、神社に直接問い合わせて下さい。
10. 宮津八幡宮
ご祭神は誉田別尊。
配祀は天照皇大神と菅原道真です。
創建は古代とされ、古から近在の人々の崇敬を受けてきた古社です。
鎌倉時代以降は武将、特に魚津城主の崇敬が篤く、八幡信仰の隆盛に依って明治時代以降は「加積郷総社 正八幡宮」と称するようになりました。
昭和39年には、鎮座1100年祭が行われました。
お祓いについては、神社に直接問い合わせて下さい。
まとめ
富山の神社は大伴家持や武内宿禰といった、古代や奈良時代と言った古い時代の人物が関係している所が多かったです。
それだけ由緒のある神社が多いということで、古代から朝廷の権威は日本中に及び、朝廷と繋がりのある神様を祀る神社も幾つも建てられたことがわかります。
5. 御皇城山皇祖皇大神宮(おみじんやまこうそこうたいじんぐう)
皇祖皇大神宮とは、日本の天皇の祖先がこの世に降り立たれた頃から、上古二十五代、不合朝(ふきあえず)七十三代、更に神武天皇から今上天皇まで代々の天皇・皇后を合祀したお宮のことを指します。
太古、この神宮は別の場所にありましたが、天変地異に依り壊滅してしまいました。
それを憂いた天照大御神が、皇祖皇大神宮を復興するべく、飛騨の位山より神通川を下って、現在の御皇城山に再建されたという伝承が残っています。
この時建てられた本殿は巨大な大神殿で、東西南北に鳥居が立っていたということです。
この神宮が建てられたのは神代のことなので、その頃には、世界中から聖人達が日本に来て、生きる道を神から教わったとされています。
その中にはキリスト、日蓮、親鸞、釈迦、モーゼロミュラス、孔子、孟子、といった人々の名が見えます。
国内にある皇祖皇大神宮の中で、ここ富山にある神宮が最も古いとされ、その為、この地に世界中の聖人が集まったのでしょう。
現在は小さなお社があるだけですが、現在は強力なパワースポットとして、また遥か昔は宇宙の神が地球と宇宙を行き来していた場所として有名です。
そのパワーの強さ、すごさはお祓いを受けるのと等しい効果があると言っても決して過言ではありません。
また、お参りの仕方も他の神社とは違い、「四度拝八平手(拍手)一度拝」で、更に人差し指だけを合わせた組み手で参拝します。
八拍手は伊勢神宮で神職に依って行われるものですが、四方を結んで八方に開く、という意味があるそう藻です。
組み手は笏に代えるという意味らしく、神様の前では正式には笏を持たなければなりませんが、私達は持っていないので組み手で代用します。
6. 鹿嶋神社
主祭神は武甕槌命(国土安泰・民生安定)、配神は大己貴命、少彦名命、前田正甫公命です。
当社は桃山時代末期に「鹿嶋社」として創建されました。
二代目富山藩主前田正甫公は、鹿島の神様を産土神として特に崇敬になり、新たに現地に遷宮されました。
この地は富山藩の「裏鬼門除け祈願所」として開拓のはじめには、広大な境内地を設けて御鎮座になりました。
その後歴代藩主は病気平癒・領民の健康長寿・医療の道(売薬業)の繁栄を祈願しました。
一説には、柏葉大明神が柏の葉に乗り、神通川を下って来られたという縁起もあり、民間では「水のご神徳」が信じられています。
お祓いは毎日行われていますが、事前に電話で申し込んで下さいとのことです。
時間は9時から15時までとなっています。
ご祈祷料は5,000円からお志となっています。
7. 道神社
ご祭神は猿田彦神。
「道」の神様として、石動山や能登への道の守り神としてお祀りされたという伝承もあります。
創建年代は不明ですが、江戸時代前期の貞享元(1684)年に「大御堂」との記述があるので、この頃までには人々の産土神として崇敬され続けていたと思われます。
拝殿は享和元(1801)年に建立された物で、文化財に指定されています。
大工の棟梁は藤岡弥右衛門冨綱です。
組物や扇垂木等名工の高度な技術に感動する荘厳な拝殿です。
また、現在は神社が県指定有形文化財となっています。
お祓いのご祈祷については、神社に直接問い合わせて下さい。
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