神社でお祓いを受ける時間なら、午前中がベストです。
それが無理な場合でも、午後日が高いうちにお祓いを済ませるようにしましょう。
神社のお祓いの受付時間もそのような時間帯になっていますので、その神社の受付時間内に行けば大丈夫でしょう。
これは、神社とはいえ、夜になると良くないものが出ることがあるからでもあります。
尤もそれは真夜中のことですが、人間として、早寝早起きをして仕事に励むと言う正しい生き方にも叶っています。
朝起きてまず天照大御神にご挨拶をしてから1日が始まります。
ですから、お祓いを受ける日も朝一番に神様にご祈祷をしてもらうのが正しい順序でしょう。
沖縄は、元々は琉球王国でしたが、江戸時代に薩摩藩に合併され、明治時代に正式に沖縄県となりました。
その為、沖縄には琉球時代王府から特に信仰を受けた「琉球八社」がありました。
琉球八社は波上宮、沖宮、識名宮、普天満宮、末吉宮、安里八幡宮、天久宮、金武宮です。
そして、現在では日本の神社も鎮座しています。
- 波上宮
- 沖宮
- 識名宮
- 普天満宮
- 宮古神社
- 沖縄護国神社
- 安里八幡宮
- 出雲大社沖縄分社
- まとめ
1. 波上宮
ご祭神はイザナミノミコト、速玉男尊(ハヤタマヲノミコト)、事解男尊(コトサカヲノミコト)の三柱です。
創建は不明ですが、古代、人々は海の彼方にあると言う「海神の国(ニライカナイ)」の神々のお陰で、豊漁と五穀豊穣に恵まれた生活を送っていました。
その神々への祈りの聖地の1つがこの波上宮で、人々はここを拝所としていたことが波上宮の起源とされています。
波上宮の「御鎮座伝説」には、『昔、崎山の里主である者が、浜辺でものを言う石を得た。
彼はこの石に祈ることで豊漁を得たのであるが、この石は光を放つ霊石で、彼はとても大切にした。
このことを知った諸神がこの石を奪おうとしたので、里主は逃げて現在の波上宮の地に至った時に神託を得た。
神託とは、"吾は熊野権現なり。
この地に社を建てまつれ、然らば国家を鎮護すべし"であった。
里主はこのことを王府に奏上し、王府は社伝を建てて篤く熊野の神を祀った』とあります。
以来、民人は豊漁豊穣を祈りに参拝し、琉球王府の信仰も深く、王自らが毎年正月に参拝をされました。
波上宮は琉球八社の第一の位に列せられ、「当国第一の神社」と崇拝されました。
明治時代以降は沖縄総鎮守として相応しい神殿が崖の上に建てられました。
狛犬は沖縄らしく「シーサー」です。
お祓い(役払い)は毎日10時から16時15分まで受け付けています。
結婚式等と重なるといけませんので、事前に連絡をして欲しいということです。
波上宮
2. 沖宮
琉球八社の一社である沖宮は、最初は霊木が祀られていたと言います。
その大元は、奥武山の天燈山にあり、そこに鎮まられる神様を神社神道では「天照大御神」と申し上げ、沖宮では「天受久女龍宮王御神」と申し上げます。
ご祭神のうち、天受久女龍宮王御神・天智門女龍宮王御神・天受賀女龍宮王御神の三柱のまたの名を天照大御神と称えます。
この他に波上宮の熊野三神を含めた八神がご祭神です。
沖宮の創建は1451年と言う説が残っています。
1713年琉球王府発刊の「琉球王国由来記」によれば、15世紀半ば、那覇港内で不思議な輝く物を国王が首里城からご覧になり、探させるととても古い古木が見つかったということです。
そして、この古木を取った後は海面が輝くことが無かったので、王はこの地に社を建ててこの古木を祀り、その後国王を始めとして民人に至るまで深く信仰したということです。
特に、中国や薩摩への朝貢船の航海安全の祈願が祈られました。
琉球舞踊の中にもこの沖宮を謳った部分があり、当時から深く尊崇されていたことが想像されます。
現在では金運上昇の御利益がある神社としても知られています。
古式ゆかしい本殿は昭和13(1938)年に国宝に指定されましたが、残念なことに第二次世界大戦で焼失してしまいました。
その後、昭和50(1975)年に奥武山公園内へ遷座し、現在に至ります。
那覇の奥武山には3つの山があり、一番高い南東の山が天燈山でこの沖宮が鎮座しています。
厄払いを始めとしたご祈祷は、参拝者の皆さんの"しあわせ"を強く祈念し、神様のご利益を頂かれる様ご祈祷してくれます。
沖宮
3. 識名宮
ご祭神は伊弉冉尊(イザナミノミコト)、速玉男命、事解男命、午ぬふぁ神、識名女神です。
「琉球神統記」(1608年)には、『縁起亦明ナラズ。
熊野神ト見エタリ。
石窟惟霊地也』と祭神の事が記されています。
近世沖縄における熊野三山、つまり熊野信仰として末吉宮は熊野新宮に、普天満宮は熊野那智(飛瀧)に、識名宮は熊野本宮に見立てて信仰されています。
現在の御宮は、琉球王の篤い信仰を受け、尚元王(在位1556〜1572年)の長子尚康伯の病気回復を祈ったところ、霊験を受け見事に回復した事から、王子が識名宮と神応寺を建てられました。
本殿の裏にある洞窟は、ここから夜な夜な光が差しているのを見た民人が、この洞窟の中に一体の「びんづる」を見つけました。
これは何かありがたいものに違いないと信仰していた所、願い事がことごとく叶うことから、王府にそれを伝えたとされる洞窟です。
その為、この神社では病気回復や子宝のパワースポットとしても最近注目されています。
厄払いのご祈祷は、8時から18時まで受け付けています。
予約をした方が良いようです。
4. 普天満宮
普天満宮は、別称を普天満権現と言います。
創建は昔、洞窟に琉球古神道の神様を祀ったことに始まり、尚金福王から尚泰久王(1450〜1460年頃)に熊野権現を合祀したと伝わっています。
近世沖縄における熊野信仰は、琉球八社は基より、その分社や観音、霊石信仰とも習合しながら県内に広まって行きました。
当宮の縁起伝承には、首里桃源に女神が現れ、後に普天満宮の洞窟に籠られた、という伝説があります。
その他にも、洞窟から仙人が現れ「我は熊野権現なり」と言われたことや、中城間切安谷屋村や美里間切東恩納村の屋号に神徳を授けて苦難を救った、という伝承もあります。
境内にある洞窟は、宜野湾文化財である「名勝」に」指定されています。
上記の伝説の仙人はここから現れたのでしょうか。
全長280m、洞口が2ヵ所、中に大きな広場が3カ所ある大きな物です。
洞窟内は沖縄貝塚時代前期後半以降の遺跡ともなっています。
中には奥宮が祀られています。
この洞窟は良縁、玉の輿、子宝と言った女性にご利益があったり、商売繁盛の御利益が高いパワースポットとも言われています。
お祓いは10時から17時まで受け付けています。
旧暦9月15日は例祭の為、ご祈願は出来ません。
普天満宮
5. 宮古神社
ご祭神は熊野三神である伊弉冉大神・速玉男之神・事解男之神と、かつて宮古島を統治した豊見親三神である與那覇恵源命・目黒盛定政命・仲宗根玄雅命の六柱です。
由来記によると、「昔、宮古島志里満の里の首里大屋子、平良が、首里へ県納品を納めて帰路につきましたが、途中で遭難してしまいました。
8年後、彼は無事に帰国することが出来たので、故国の神様に感謝し、波上宮の神様を宮古へ勧請してお祀りしました(1590年)」とあります。
1611年、薩摩藩からの進言により、琉球政府は瓦葺の社を造営し「宮古熊野三所大権現」と称しました。
その後、宮古神社が創建され昭和15年、2つの神社を合わせて新・宮古神社を建立することとなり、権現堂を宮古神社と改称しました。
平成に入り、老朽化が激しくなった社殿を見て、「宮古神社を発祥の地へ移転し、我が国最南端の神社に相応しい社殿を復興すべし」との考えから、平成22年に新社殿が完成しました(平成の御造営)。
宮古神社は沖縄の神様と熊野信仰が結びついた、独特の霊験あらたかな神社です。
厄払いのご祈祷は、9時から17時まで受け付けています。
車のお祓いも出来ます。
祭典や結婚式等が入っているといけないので、事前に神社に連絡すると良いでしょう。
宮古神社
6. 沖縄護国神社
元は招魂社と称し、日清・日露の戦争以降、国難に殉じた御英霊を奉斎し、昭和15年に内務省から護国神社の指定を受けました。
しかし、昭和20年戦災で本殿と拝殿は焼失。
昭和34年に仮社殿を竣工して第一回の春季大祭を行いました。
また、この年の周期大祭には、靖國神社から御霊代を遷し、厳粛ながら盛大な祭典が行われました。
昭40年には現在の本殿、拝殿が竣工し、天皇陛下から幣帛が奉納され、旧皇族の宮司等に依って奉祝祭が斎行されました。
ご祭神は沖縄の御英霊をはじめ、沖縄出身の軍人並びに沖縄方面作戦で準じた本土出身の御英霊も合祀、更には戦禍の犠牲となられた一般市民、遭難学童、文官関係の戦没者、併せて17万7912柱にも上ります。
戦争を二度と起こさない様、また戦禍に倒れた御英霊を慰霊する気持ちを忘れない様にしたいものです。
お祓いのご祈祷については、神社に直接問い合わせて頂きたいとのことです。
沖縄護国神社
7. 安里八幡宮
琉球八社の1社である安里八幡宮は、八社の中で唯一熊野権現ではなく、ご祭神に応神天皇・神功皇后・玉依姫命をお祀りしています。
創建は1457〜1464年の間とされています。
時の琉球王は第六代の尚徳王でした。
喜界島を討伐に向かう際、「我が軍が有利であるならば、この矢が当たれ」と放った矢は見事に狙った水鳥を射抜きました。
また、小鐘も手に入れた王は、無事に喜界島を征伐して帰国することが出来ました。
喜んだ王は矢と鐘を八幡大菩薩と号して霊社を建ててお祀りしました。
それ以降、この八幡宮は王府から特別の扱いを受けてきました。
お祓いについては、神社に直接問い合わせて下さい。
安里八幡宮
8. 出雲大社沖縄分社
ご祭神は大国主大神。
国内最南・最西端の出雲大社の分社です。
分社でも、本殿のしめ縄は左右逆に、又、参拝の仕方は「二礼四拍手一礼」と、出雲大社と同じです。
本殿へと続く参道には狛犬ならぬシーサーが沢山控えています。
絵馬には大国主命と因幡の白兎が描かれていて、両脇には「幸魂奇魂 寄り来る神宝」と書かれています。
出雲大社に比べると規模は小さいですが、出雲大社の府に気を味わえ、縁結びを願って若い男女の参拝が絶えません。
お祓いについては、直接神社に問い合わせてください。
出雲大社沖縄分社
まとめ
如何でしたか。
沖縄の文化と本土の文化が融合した神社が多かったと思います。
また、実際に神社の建物を見ると、結構沖縄風だったりするので、実際に訪れてみることをおすすめします。
5. 宮古神社
ご祭神は熊野三神である伊弉冉大神・速玉男之神・事解男之神と、かつて宮古島を統治した豊見親三神である與那覇恵源命・目黒盛定政命・仲宗根玄雅命の六柱です。
由来記によると、「昔、宮古島志里満の里の首里大屋子、平良が、首里へ県納品を納めて帰路につきましたが、途中で遭難してしまいました。
8年後、彼は無事に帰国することが出来たので、故国の神様に感謝し、波上宮の神様を宮古へ勧請してお祀りしました(1590年)」とあります。
1611年、薩摩藩からの進言により、琉球政府は瓦葺の社を造営し「宮古熊野三所大権現」と称しました。
その後、宮古神社が創建され昭和15年、2つの神社を合わせて新・宮古神社を建立することとなり、権現堂を宮古神社と改称しました。
平成に入り、老朽化が激しくなった社殿を見て、「宮古神社を発祥の地へ移転し、我が国最南端の神社に相応しい社殿を復興すべし」との考えから、平成22年に新社殿が完成しました(平成の御造営)。
宮古神社は沖縄の神様と熊野信仰が結びついた、独特の霊験あらたかな神社です。
厄払いのご祈祷は、9時から17時まで受け付けています。
車のお祓いも出来ます。
祭典や結婚式等が入っているといけないので、事前に神社に連絡すると良いでしょう。
宮古神社
6. 沖縄護国神社
元は招魂社と称し、日清・日露の戦争以降、国難に殉じた御英霊を奉斎し、昭和15年に内務省から護国神社の指定を受けました。
しかし、昭和20年戦災で本殿と拝殿は焼失。
昭和34年に仮社殿を竣工して第一回の春季大祭を行いました。
また、この年の周期大祭には、靖國神社から御霊代を遷し、厳粛ながら盛大な祭典が行われました。
昭40年には現在の本殿、拝殿が竣工し、天皇陛下から幣帛が奉納され、旧皇族の宮司等に依って奉祝祭が斎行されました。
ご祭神は沖縄の御英霊をはじめ、沖縄出身の軍人並びに沖縄方面作戦で準じた本土出身の御英霊も合祀、更には戦禍の犠牲となられた一般市民、遭難学童、文官関係の戦没者、併せて17万7912柱にも上ります。
戦争を二度と起こさない様、また戦禍に倒れた御英霊を慰霊する気持ちを忘れない様にしたいものです。
お祓いのご祈祷については、神社に直接問い合わせて頂きたいとのことです。
沖縄護国神社
7. 安里八幡宮
琉球八社の1社である安里八幡宮は、八社の中で唯一熊野権現ではなく、ご祭神に応神天皇・神功皇后・玉依姫命をお祀りしています。
創建は1457〜1464年の間とされています。
時の琉球王は第六代の尚徳王でした。
喜界島を討伐に向かう際、「我が軍が有利であるならば、この矢が当たれ」と放った矢は見事に狙った水鳥を射抜きました。
また、小鐘も手に入れた王は、無事に喜界島を征伐して帰国することが出来ました。
喜んだ王は矢と鐘を八幡大菩薩と号して霊社を建ててお祀りしました。
それ以降、この八幡宮は王府から特別の扱いを受けてきました。
お祓いについては、神社に直接問い合わせて下さい。
安里八幡宮