神社でのお祓いとは、身を清める為、住居を建てる時に工事中事故など起こらないようにお祓いしてもらう地鎮祭、赤ちゃんが生まれた時の初宮参り、七五三、結婚式、また邪悪な物が憑いていると感じた時に祓って頂く為と様々な理由で受けるものです。
そして、その他に、厄年のお祓いもあります。
現在では男性は数えの年で42歳、女性も数え年では33歳(19歳もお祓いを受ける方も多いです)が大厄とされ、前厄、本厄、後厄と、3年間に亘って、無事に過ごせますようにと、神社でお祓いを受ける方が多いです。
神道では神職に依る祝詞奏上と弊(ぬさ)でのお祓いが中心です。
幣は御幣(ごへい)とも言います。
お祓いをする時の祝詞は「大祓詞(おおはらえのことば)」と言います。
但し、祝詞の内容は家内安全、厄払い、地鎮祭等目的に依って違っています。
- 伊奈波神社
- 金神社(こがねじんじゃ)
- 岐阜護國神社
- 手力雄神社
- 美濃国一の宮 南宮大社
- 長良天神神社
- 御首神社(みくびじんじゃ)
- 大垣八幡神社
- まとめ
1. 伊奈波神社
ご祭神は「イニシキイリホコノミコト」で、垂仁天皇の長男であり、景行天皇の兄に当たられます。
イニシキイリヒコノミコトは、武芸に長じ、また勅命に依って河内、大和、摂津、美濃等諸国を開拓し、そのお陰で五穀豊穣、点火は太平であったと伝わっています。
ミコトの薨去の翌年(景行天皇14年)、そのご遺徳を偲んで金華山の地に鎮斎申し上げたのが神社の起こりです。
現在の地に移ったのは天文8(1539)念、斎藤道三が稲葉山錠を築城する際に遷りました。
当時は洪水から田畑を守るのが土地を納める者の最大の務めであったので、ミコトの業績から伊奈波神社は「水を防ぐ信仰」の対象でもありました。
厄払いは9時から16時まで受け付けています。
ご祈祷料は5,000円、10,000円、15,000円でそれ以上はお志となっています。
2. 金神社(こがねじんじゃ)
ご祭神は渟熨斗姫命。
景行天皇の第6皇女にして、伊奈波神社の主祭神「イニシキイリヒコノミコト」の妃に当たられます。
伊奈波神社に伝わる縁起に依ると、イニシキイリヒコノミコトは勅命に依って奥州を平定しましたが、それを妬んだ陸奥守豊益は、ミコトより先に都に着き、ミコトに謀反の意があると讒言しました。
その為、この地に於いてミコトは討滅されてしまいました。
夫の死を大変嘆き悲しんだ渟熨斗姫命は、都を立ってこの地を訪れ、夫を慰霊しつつ亡くなったと言います。
その間、渟熨斗姫命は地域の住民達に母のように接し、私財をもって開拓や産業発展に寄与されました。
現在の岐阜の基盤を作られた命の業績を慕い、人々が財をもたらす神様として命を祀ったのが金神社です。
この神社では、毎月最終金曜日は、御朱印の普段黒で書かれている「金神社」の「金」の文字だけを金色で書きます。
月に一度だけの金(こがね)の日です。
縁起が良いと、最終金曜日に金色を使った御朱印を頂く人も多いです。
因みに、この神社の鳥居は金色をしています。
慈悲深い母の神と称えられる渟熨斗姫命のお力に依り、厄や悪い物を祓ってもらいましょう。
厄払いのご祈祷は9時から16時半まで受け付けています。
ご祈祷料は5,000円です。
3. 岐阜護國神社
戊辰の役から第二次世界大戦までに国の為に殉ぜられた岐阜・中美濃・東濃各地区出身の英霊37,800余柱をお祀りしています。
創建は昭和15年。
以来平和を打ち立てる神様、災難除けの神様、家内安全の神様として、全国から篤い信仰を得ています。
また、昭和37年には天皇皇后両陛下の御親拝も賜っています。
ご祭神は、日本の平和の為、岐阜の平穏や家族の安泰を願って尊い命を捧げられた御英霊なので、特に国難・家難・その他諸々の災難除けの神様として崇められています。
厄払いは9時から16時まで受け付けています。
ご祈祷料は5,000円です。
受付後、手水舎で手を清めます。
まずお祓いを受けます。
次に神職が祝詞を奏上します。
その後御子が神楽を奉奏します。
そして、ご祈祷を受ける本人が玉串拝礼をします。
以上でご祈祷は終了です。
お札やお守り等のお下がり品を受け取って下さい。
また、車のお祓いも受け付けています。
4. 手力雄神社
主祭神は手力雄神で、天照大神が岩戸に籠られた折、顔を出された天照大神を岩戸から引き出した神様です。
この時、岩戸を塞いでいた岩戸を、手力雄神は二度と大神が岩戸に籠られないように、下界へ投げ落としてしまいました。
その岩が落ちたのが、長野県の戸隠山とされているのは有名です。
ただ、戸隠にはそれ以前から別の「戸隠伝説」があり、天の岩戸が飛んできたと言うのは室町時代頃作られた話とも言われています。
創建は不肖ですが、社伝によると、5世紀末期に当地を支配していた豪族が山の中腹に磐座(いわくら)祭祀として神様を祀ったのが始まりとされています。
「美濃國神明帳」に、真幣明神(みてぐらみょうじん)と言う神様の名前が見られるので、その神様が手力雄神ではないかとされています。
本殿軒下には龍の彫刻が2体あります。
龍の胴体と四肢が本殿と母屋を繋ぐ海老虹梁に巻きつくように取り付けられています。
作者は、一説には左甚五郎とも伝わっていますが、不明です。
この龍2体は各務原市指定重要文化財に指定されています。
手力雄神の力強さで、お祓いをしてもらうのは心強いです。
お祓いの受付時間は9時半から16時迄ですが、平日は予約が必要です。
土日は随時受付しています。
2月には厄除祈願祭が行われています。
ご祈祷料は5,000円、7,000円、10,000円、それ以上はお志となっています。
5. 美濃国一の宮 南宮大社
主祭神として金山彦命をお祀りする美濃國の一之宮です。
全国の鉱山、金属業の総本宮として、今も深い親交を集めています。
境内には本殿・拝殿・楼門等が朱塗りの華麗な姿で建ち、江戸時代の神社建築の遺構18棟が国の重要文化財に指定されています。
主祭神である金山彦命は、天照大神の兄神に当たられる大神さまです。
社伝に依れば、神武天皇東征の折、金鵄を助けて霊験を顕されたことで祀られ、その後垂仁天皇の御代に見の仲山麓の現在の地に遷されたということです。
また、古くは仲山金山彦神社という名でしたが、国府から南方に位置することから「南宮大社」と呼ばれるようになったと伝えられています。
延喜式に葉美濃国39座のうち、当社のみが明神大社として明神際も預かる大社に列せられています。
その後も平将門の乱や阿部貞任追悼の神験に依って正一位勲一等の神位勲等を極めました。
以来、鎌倉、室町、戦国時代を通じて源氏、北条市、土岐氏等の有力武将の信仰を集め、美濃国一宮として、また、金の髪の総本宮として崇敬を集めている大社です。
それを証明するかのように、この大社には金物として、刀剣類が多く奉納されてきました。
中には重要便化剤もあり、その他の胴丸、絵馬等と一緒に11月3日に一般公開されています。
厄除けのお祓いは9時から16時半まで受け付けています。
ご祈祷料は5,000円からとなっています。
車のお祓いも受け付けています。
6. 長良天神神社
ご祭神は言わずと知れた学問の神様、菅原道真公です。
この地に天神神社が祀られたのは、承久年間(1219~1221)、美濃国の目代であった斎藤帯刀左衛門尉親頼を祖とする美濃国の斎藤氏が氏神様として勧請したとされています。
本殿を造営したのは寛正年中(1504~1520)でした。
江戸時代に長良地方が尾張藩の所領となった後も、尾張藩は当神社を尊崇し、篤い崇敬の念を寄せました。
このように、部門の篤い信仰を集めたので、同じく領民の崇敬も篤く、古来より神威の高い神社です。
5,000坪もある広大な境内には天神の森と呼ばれる自然豊かな森があり、珍しい樹木も沢山生えています。
お祓いは9時から17時まで受け付けています。
2月3日には節分祭が催され、厄除け、家内安全を祈って豆まきを行います。
7. 御首神社(みくびじんじゃ)
首から上の大神さまとして崇められる御首神社の主祭神は、平将門公の御神霊です。
今から約1,000年前、平将門が朝廷に反乱を起こしました(天慶の乱)。
しかし、それは藤原秀郷・平貞盛等に依って鎮められ、将門は首を討たれました。
首は京都に晒されましたが、故郷恋しさに関東へ向けて飛び立ったと言います。
このことを知った美濃の国南宮神社では、将門の首が関東に戻って再び反乱を起こす事が無いように祈願しました。
その時、神社に座す隼人神達が射た矢が飛んでいく将門の首を射落としました。
この時首が落ちた荒尾の地に将門公を神として祀り、怒りを鎮めて霊を慰める為に、当神社が創建されたと伝えられています。
ですから、御首神社は桓武天皇第六代の皇胤平将門公のご神霊をお祀りしている神社です。
特に首から上の初期がんに対して霊験あらたかで、そのご神徳を慕って全国からお参りの人々が集まります。
特に正月明けは、受験生のお参りで境内は大変な混雑を呈す程です。
近年は、そのご神威の高さから、首から上の病気平癒に留まらず、ボケ防止や学業成就、厄払い、商売繁盛等も祈願されています。
厄払いのご祈祷は、9時から16時半迄受け付けています。
また、本人が参拝出来ない場合は、家族や友人に依る代参や郵送での申し込みも可能です。
ご祈祷料は5,000円です。
8. 大垣八幡神社
ご祭神は応神天皇・神功皇后・比咩大神です。
神社が現在の地に落ち着いたのは、宝徳3(1451)年のことでした。
その後も栓かで焼失したりもありましたが、代々の領主の崇敬を受け、再建築が成されてきました。
また、後陽成天皇宸筆の神号軸や三蹟の一人である藤原行成筆の神号額、大垣城主奉納の神鏡等もあり、歴史の深さや朝廷や貴族との深いつながりを知ることが出来ます。
境内には、出雲社、大福稲荷神社、大垣天満宮、大垣竜神王、広瀬神社と龍田神社があり、沢山の神様が他が祀られています。
厄払いのご祈祷は毎日9時から16時まで受け付けています。
代参も可能です。
ご祈祷料は5,000円以上か、10,000円以上です。
まとめ
岐阜県の神社も歴史が深く、神代の時代まで遡る神社も少なくなかったです。
また、将門公の御首射落とし、そこにお祀りした神威の高い神社もあり、不思議な由緒を持つ神社もありました。
いずれも御品徳の高い神社ですので、意義を正してご祈祷をお受けしましょう。
5. 美濃国一の宮 南宮大社
主祭神として金山彦命をお祀りする美濃國の一之宮です。
全国の鉱山、金属業の総本宮として、今も深い親交を集めています。
境内には本殿・拝殿・楼門等が朱塗りの華麗な姿で建ち、江戸時代の神社建築の遺構18棟が国の重要文化財に指定されています。
主祭神である金山彦命は、天照大神の兄神に当たられる大神さまです。
社伝に依れば、神武天皇東征の折、金鵄を助けて霊験を顕されたことで祀られ、その後垂仁天皇の御代に見の仲山麓の現在の地に遷されたということです。
また、古くは仲山金山彦神社という名でしたが、国府から南方に位置することから「南宮大社」と呼ばれるようになったと伝えられています。
延喜式に葉美濃国39座のうち、当社のみが明神大社として明神際も預かる大社に列せられています。
その後も平将門の乱や阿部貞任追悼の神験に依って正一位勲一等の神位勲等を極めました。
以来、鎌倉、室町、戦国時代を通じて源氏、北条市、土岐氏等の有力武将の信仰を集め、美濃国一宮として、また、金の髪の総本宮として崇敬を集めている大社です。
それを証明するかのように、この大社には金物として、刀剣類が多く奉納されてきました。
中には重要便化剤もあり、その他の胴丸、絵馬等と一緒に11月3日に一般公開されています。
厄除けのお祓いは9時から16時半まで受け付けています。
ご祈祷料は5,000円からとなっています。
車のお祓いも受け付けています。
6. 長良天神神社
ご祭神は言わずと知れた学問の神様、菅原道真公です。
この地に天神神社が祀られたのは、承久年間(1219~1221)、美濃国の目代であった斎藤帯刀左衛門尉親頼を祖とする美濃国の斎藤氏が氏神様として勧請したとされています。
本殿を造営したのは寛正年中(1504~1520)でした。
江戸時代に長良地方が尾張藩の所領となった後も、尾張藩は当神社を尊崇し、篤い崇敬の念を寄せました。
このように、部門の篤い信仰を集めたので、同じく領民の崇敬も篤く、古来より神威の高い神社です。
5,000坪もある広大な境内には天神の森と呼ばれる自然豊かな森があり、珍しい樹木も沢山生えています。
お祓いは9時から17時まで受け付けています。
2月3日には節分祭が催され、厄除け、家内安全を祈って豆まきを行います。
7. 御首神社(みくびじんじゃ)
首から上の大神さまとして崇められる御首神社の主祭神は、平将門公の御神霊です。
今から約1,000年前、平将門が朝廷に反乱を起こしました(天慶の乱)。
しかし、それは藤原秀郷・平貞盛等に依って鎮められ、将門は首を討たれました。
首は京都に晒されましたが、故郷恋しさに関東へ向けて飛び立ったと言います。
このことを知った美濃の国南宮神社では、将門の首が関東に戻って再び反乱を起こす事が無いように祈願しました。
その時、神社に座す隼人神達が射た矢が飛んでいく将門の首を射落としました。
この時首が落ちた荒尾の地に将門公を神として祀り、怒りを鎮めて霊を慰める為に、当神社が創建されたと伝えられています。
ですから、御首神社は桓武天皇第六代の皇胤平将門公のご神霊をお祀りしている神社です。
特に首から上の初期がんに対して霊験あらたかで、そのご神徳を慕って全国からお参りの人々が集まります。
特に正月明けは、受験生のお参りで境内は大変な混雑を呈す程です。
近年は、そのご神威の高さから、首から上の病気平癒に留まらず、ボケ防止や学業成就、厄払い、商売繁盛等も祈願されています。
厄払いのご祈祷は、9時から16時半迄受け付けています。
また、本人が参拝出来ない場合は、家族や友人に依る代参や郵送での申し込みも可能です。
ご祈祷料は5,000円です。
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