人間には人生の中で、身体に疲れが溜まったり運気が乱れる年があります。
それを「厄年」と呼んで平安時代より前からその年には身を慎み、神社でお祓いをして安全を祈願しました。
1,000年前には男女とも、一生に5~6回の大厄や厄年がありましたが、現在は数え年で男性42歳、女性は33歳の大厄の年を挟んで3年間、前厄、本厄、後厄としています。
この3年間は神社で毎年お祓いを受け、大過無く過ごせるように神様に祈ります。
現在の節分の翌日の立春は昔の元旦に当たります。
その為、節分には豆を撒いて邪気を払い、年神様をお迎えします、
そこで、厄年に入る前日=節分までにお祓いを受ける人が多いです。
特に元旦(初詣)~節分までに受けるのが良いとされますが、寒い時期でもあり、原則として1年中いつ厄払いを受けても御利益はあります。
では、島根県で厄払いに御利益の高い神社をご紹介しましょう。
- 出雲大社
- 須佐神社
- 石見国一宮 物部神社
- 美保神社
- 大年神社
- 佐太神社
- 八重垣神社
- 太鼓谷稲成神社
- まとめ
1. 出雲大社
言わずと知れた大国主命をお祀りした大社です。
縁結びの神様として有名ですが、これは男女の縁に留まらず、生きとし生けるものが人生の中で触れ合う総ての物に対するご縁を結んで下さる神様です。
国譲りの神話で知られるように、大国主命は天照大神のご子孫にこの世を譲られ、ご自身は目に見えない世界=死後の国を治めることとなりました。
大国主命の為には高さ100mもある大神殿が造られ、天照大神の次男である天穂日命(あめのほひ)が祭主を務めることになりました。
これが、現在の出雲大社の宮司の祖先です。
拝殿には巨大なしめ縄が張られていますが、普通の神社とは逆の向きに下げられいます。
これは、神社神道では右が上位、左が下位とされていますが、古くから出雲大社では左を上位、右を下位としてきたしきたりが残っているからです。
また、普通の神社では二礼二拍手一礼がしきたりですが、出雲大社をお参りする際には、「二礼四拍手一礼」とされています、
このように大変由緒のある大社ですから、心身を清めてご祈祷を受けるようにしましょう。
お祓いの受付時間は、8時半~16時半まで。
ご祈祷料は5,000円・8,000円・10,000円以上で、お気持ちでお納めください、とのことです。
予約は要りません。
2. 須佐神社
ご祭神は須佐之男命・稲田比売命・足摩槌命・手摩槌命の四柱です。
須佐神社は須佐之男命が鎮座され、全国にある須佐之男命の社の中の本宮として「出雲の大宮」と称えられてきました。
そのご神徳は農耕、殖産、興業、長寿の神様として人々の深い信仰を集めてきました。
厄払いを受ける時は、神職がこちらに向いたら軽くお辞儀をしながら、両手を床につけ、45度のお辞儀をしたまま、御祈祷が終わるまでその姿勢を保ちます。
また、祝詞奏上の間は60度まで深くお辞儀をして、祝詞終了までそのまま低頭していて下さい。
これは、神様にあなたの願いが届く為の姿勢でもあります。
神職も心を込めて奉祀して下さるので、こちらも敬虔な気持ちで臨む様にしましょう。
厄払いに予約は要りません。
3. 石見国一宮 物部神社
最初は八百山をご神体山として崇めていましたが、513年、継体天皇の勅命に依り、社殿を創建しました。
その後戦火で三度に亘って焼失しましたが、1753年に再建され、数回の修理を経て現在に至っています。
社殿は春日造りとして全国一の規模を誇り、県指定文化財となっています。
ご祭神は物部氏の租神である「宇摩志麻命」です。
宇摩志麻命は、神武天皇の東征の折り忠誠を尽くして天皇を助けて国土開拓に力を尽くしたので、神武天皇より神剣「師霊剣」を賜りました。
そして、神武天皇即位の時には、ご祭神は天皇の為に鎮魂宝寿を祈願されました。
これが鎮魂祭の起源とされています。
厄払いのご祈祷は、予約をして下さい。
お正月等特別な場合を除き、9時半~16時半の間受け付けています。
ご祈祷料は5,000円より。
憑き物等特殊祈祷料は10,000円よりとなります。
また、諸事情により物部神社に来られない方は郵送と腕のご祈祷の受け付けも行っています。
詳しくは電話で問い合わせてください。
4. 美保神社
ご祭神は三穂津姫命と事代主神(えびす様)の二柱の神様です。
三穂津姫命は、大国主命の后神であると共に高皇産霊尊(たかひむすひのみこと)の御娘神に当たられます。
五穀豊穣・夫婦和合・安産・子孫繁栄・歌舞音曲の神様として信仰されています。
また、この神社の名前もこの神様のお名前に縁があると伝えられています。
事代主神は、大国主命の第一のお子神で隊を手にするえびす神として知られています。
海上安全・大量満足・商売繁盛・歌舞音曲の守護神として篤く信仰されています。
創建は、「出雲風土記」や「延喜式」に社名が載っていることから、遅くとも733年(天平5)には社が存在していたと考えられています。
境内からは4世紀頃の勾玉の破片や6世紀ころの土馬が出土していることから、古墳時代以前にも、この地では何らかの祭祀が行われていたと推察されています。
厄払い等のご祈祷は、8時半より受け付けています。
ご祈祷料は特に定めていないそうです。
5. 大年神社
ご祭神は大年神と稲倉魂神。
聖武天皇(在位724年~749年)の神亀弐乙丑六月朔日御代に伊勢別宮より鎮座され、正徳元卯年に現在の地に遷座されました。
厄払いは、人生儀礼の1つとして捉えられます。
これは、初宮参り、七五三、成人式、還暦、古希・・・と言ったお祝い事と同様、人生の中で厄年と言う物があります。
この年は現代でも人生の大厄とされるので、神社でお祓いを受け、ご加護で無事に過ごせるように祈りましょう。
ご祈祷の申し込みは郵送やメールでも受け付けています。
6. 佐太神社
ご祭神は佐太大神。
サダとは、伊予の国の佐田岬、大隅半島の佐田岬等の地名にある「岬」の意味で、島根半島一円、所謂「狭田国」の租神です。
ですから、この佐太大神は、出雲の国の中でも最も尊く、古い大神の一柱です。
出雲には大神と呼ばれる四柱の神様がおいでになり、佐太女将の他に杵築・熊野・能義の三柱の神様と共に、「出雲四大神」とされています。
本殿は大社造が三殿並んでいますが、真ん中を正中殿と言い、佐太大神(猿田毘古大神)をはじめとする五柱の神様が、又向かって右の社殿には天照大神と瓊瓊杵尊の二柱を、向かって左の社殿には素戔嗚尊を入れて五柱の神様が祀られています。
併せて十二柱の神々が佐太神社には祀られていることになります。
大社造りの三殿並立は神社建築史上特筆すべきものなので、国の重要文化財に指定されています。
三殿並立の形は平安時代の末頃に成立していたと考えられています。
佐太神社は40年毎の式年遷宮を経て、修理されています。
厄払いのご祈祷料は5,000円、10,000円、30,000円、50,000円となっています。
受付時間は9時~17時までです。
それ以外の時間でも連絡をすれば相談に応じてくれます。
本殿での正式参拝は予約が要ります。
こちらは10,000円からとなります。
また、当神社に参拝出来ない人はファックス、メール、電話でご祈祷を申し込み、後からお守りやお札を神社から郵送してもらうことも出来ます。
さらに、出雲地方に古来より伝わる「悪斬祈祷(あくぎりきとう)」も行っていますが、これは剣で東・西・南・北・中央(天)・黄龍(地)を祓うものです。
このご祈祷は神在月祭(11月20日~25日)と神在裏月祭(5月20日~25日)以外の時期に行われます。
7. 八重垣神社
ご祭神は、八岐大蛇退治で有名な素戔嗚尊とその后神である稲田姫命。
この神社の創建は古く、遠く太古、神話時代と伝えられています。
この地は、八岐大蛇を退治した後、稲田姫命を非難させた地に建てられたとも言われています。
そしてこの時に素戔嗚尊が詠んだ「八雲立つ 出雲八重垣 妻込みに 八重垣造る その八重垣を」の歌に因んで「八重垣の宮」と名付けられ、ここでご夫婦で生活を始められました。
縁結びの神として有名で、他に夫婦和合、授児、厄難除、災難除の御利益があると、信仰を集めています。
中世には和歌の租神、国家鎮護の守護神として円融天皇が選ばれた三十の神社の中に入れられた、他に例を見ない格別の社です。
朝廷、また武家からも崇敬を集めた神社です。
戦後社格制度廃止後、やはり一部の格式のある神社は特別な扱いをする必要が出てきたことから、別表神社が設けられましたが、八重垣神社も昭和56(1981)年に別表神社に社格を上げました。
厄除けには最適な神社の1つと言えるでしょう。
8. 太鼓谷稲成神社
この神社は、安永2(1773)年に津和野藩主亀井矩貞公が、津和野藩の安隠鎮護と領民の安寧を祈願するために、京都の伏見稲荷大社から斎き祀ったのがはじめです。
爾来藩主の祈願所とされてきましたが、明治以降は一般庶民も参拝出来るようになりました。
お稲荷様なので、1,000本の朱塗りの鳥居が並んだ賛同は遠くからも見え、壮観です。
ご祭神は、宇迦之御魂神(うがのみたまのかみ)、つまり稲成大神とイザナミノミコトをお祀りしています。
太鼓谷稲成神社は、日本五大稲荷の1つとされている徳の高い神社です。
通常「稲荷」と書くところ、「稲成」と書くのは、この神社を勧請われた直後、蔵番が蔵の鍵を失くしてしまいました。
蔵番は思いあまって、本来お殿様しか参拝出来ないお稲荷様に七日間の端を掛けました。
すると、七日目の朝、蔵の鍵の所でチリンチリンと音がして、鍵がそこにありました。
鍵番は正直に事の次第を話したので、内緒でお参りをしていたことも許され、願望成就のご神威が高いお稲荷様だ、ということで、「稲成」と改めて称する事になったと言います。
その為、この神社は五穀豊穣、失せ物発見、開運厄除、商売繁盛、産業発展のご利益があります。
厄払いは9時~16時の間受け付けています。
ご祈祷料金は5,000円~となっています。
厄年の本人が行けない場合は、家族が受付をしてお祀りして頂くことも出来ます。
まとめ
出雲地方は歴史が古く、大和民族とは違った歴史を持つ神社も多く、その分神話の世界にも近いので、独特のご神徳を感じます。
厄払いをして頂くと同時に、日本の歴史についても考えてみるのも興味深いのではないでしょうか。
5. 大年神社
ご祭神は大年神と稲倉魂神。
聖武天皇(在位724年~749年)の神亀弐乙丑六月朔日御代に伊勢別宮より鎮座され、正徳元卯年に現在の地に遷座されました。
厄払いは、人生儀礼の1つとして捉えられます。
これは、初宮参り、七五三、成人式、還暦、古希・・・と言ったお祝い事と同様、人生の中で厄年と言う物があります。
この年は現代でも人生の大厄とされるので、神社でお祓いを受け、ご加護で無事に過ごせるように祈りましょう。
ご祈祷の申し込みは郵送やメールでも受け付けています。
6. 佐太神社
ご祭神は佐太大神。
サダとは、伊予の国の佐田岬、大隅半島の佐田岬等の地名にある「岬」の意味で、島根半島一円、所謂「狭田国」の租神です。
ですから、この佐太大神は、出雲の国の中でも最も尊く、古い大神の一柱です。
出雲には大神と呼ばれる四柱の神様がおいでになり、佐太女将の他に杵築・熊野・能義の三柱の神様と共に、「出雲四大神」とされています。
本殿は大社造が三殿並んでいますが、真ん中を正中殿と言い、佐太大神(猿田毘古大神)をはじめとする五柱の神様が、又向かって右の社殿には天照大神と瓊瓊杵尊の二柱を、向かって左の社殿には素戔嗚尊を入れて五柱の神様が祀られています。
併せて十二柱の神々が佐太神社には祀られていることになります。
大社造りの三殿並立は神社建築史上特筆すべきものなので、国の重要文化財に指定されています。
三殿並立の形は平安時代の末頃に成立していたと考えられています。
佐太神社は40年毎の式年遷宮を経て、修理されています。
厄払いのご祈祷料は5,000円、10,000円、30,000円、50,000円となっています。
受付時間は9時~17時までです。
それ以外の時間でも連絡をすれば相談に応じてくれます。
本殿での正式参拝は予約が要ります。
こちらは10,000円からとなります。
また、当神社に参拝出来ない人はファックス、メール、電話でご祈祷を申し込み、後からお守りやお札を神社から郵送してもらうことも出来ます。
さらに、出雲地方に古来より伝わる「悪斬祈祷(あくぎりきとう)」も行っていますが、これは剣で東・西・南・北・中央(天)・黄龍(地)を祓うものです。
このご祈祷は神在月祭(11月20日~25日)と神在裏月祭(5月20日~25日)以外の時期に行われます。
7. 八重垣神社
ご祭神は、八岐大蛇退治で有名な素戔嗚尊とその后神である稲田姫命。
この神社の創建は古く、遠く太古、神話時代と伝えられています。
この地は、八岐大蛇を退治した後、稲田姫命を非難させた地に建てられたとも言われています。
そしてこの時に素戔嗚尊が詠んだ「八雲立つ 出雲八重垣 妻込みに 八重垣造る その八重垣を」の歌に因んで「八重垣の宮」と名付けられ、ここでご夫婦で生活を始められました。
縁結びの神として有名で、他に夫婦和合、授児、厄難除、災難除の御利益があると、信仰を集めています。
中世には和歌の租神、国家鎮護の守護神として円融天皇が選ばれた三十の神社の中に入れられた、他に例を見ない格別の社です。
朝廷、また武家からも崇敬を集めた神社です。
戦後社格制度廃止後、やはり一部の格式のある神社は特別な扱いをする必要が出てきたことから、別表神社が設けられましたが、八重垣神社も昭和56(1981)年に別表神社に社格を上げました。
厄除けには最適な神社の1つと言えるでしょう。
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