「ニヒリズム」という言葉は哲学に興味がある人ならよく知っているかもしれません。
ニヒリズム、虚無主義とはラテン語の「nihil(無)」という言葉から生まれた概念で、絶対的なもの、究極的な存在といったものを認めないといったことを言います。
ここではニヒリズムについて詳しく解説していきます。
- ニヒリズム(虚無主義)とは
- ニーチェとは
- ニヒルな人とは
- ニヒリズムな人の特徴
- 虚無感にとらわれた時に対処方法とは
- まとめ
1. ニヒリズム(虚無主義)とは
ニヒリズムとは、生きる意義の否定、すべてのことに対し「価値が無い」と思うことを言います。
ニヒリズムは「nihil」というラテン語が元になっています。
「虚無感」「虚無」といった方がわかりやすいかもしれません。
またニヒリズムには消極的にニヒリズムと積極的ニヒリズムと2通りあります。
簡単ではありますが、説明していきましょう。
1-1. 消極的ニヒリズム
19世紀後半のヨーロッパにおいては、機械文明の発達があったのですが、その反面人々の間に孤独感、無力感があったと言います。
それは機械文明の発達が、人々に過酷な労働を強いたことが、まるですぐに交換できる部品のような扱いとなり、尊厳を奪ったのでしょう。
結果的に「神などいない」と思ったのか、信仰心が薄れ無神論が広まったとされています。
このことが人々に大きな影響を及ぼしてしまうのです。
神の否定が、生きる意義やすべてのことを否定するということに繋がり、絶望と退廃の世の中となっていきました。
すべてのことにおいて「価値が無い」という消極的ニヒリズムがヨーロッパ中を支配したのです。
ここまで大きな話ではなくても、普段日常生活においても消極的ニヒリズムに支配された考え方の人はいるものです。
「こんなことをしても意味がない」と最初から諦めて何もしない、覇気がない人たちは消極的ニヒリズムにとらわれているのかもしれません。
1-2. 積極的ニヒリズム
19世紀後半、ヨーロッパで起こったキリスト教の否定は人々から生きることの意味を失わせ、虚無感に陥れてしまいました。
このままでは駄目だと、活き活きとした生き方を模索した人が、有名な思想家ニーチェです。
ニーチェは「神は死んだ」と言いました。
何とも大胆な発言ですが、ニーチェはもともとこの世の中というのは目的は無く、不毛な時間を繰り返していると言います。
そしてそのことを嘆くのではなく、運命として受け入れていこうと説いたのです。
つまり虚無感というものは悪いものではない、肯定的に受け入れて神のいないこの世を力強く生き抜いていこうと言ったのです。
虚無感を肯定して生きていくこと、これが積極的ニヒリズムなのです。
2. ニーチェとは
積極的ニヒリズムを説いた思想家ニーチェですが、どのような人であったのかを見ていきましょう。
2-1. ニーチェの生涯
ニーチェ(1844年10月15日〜1900年8月25日)とは、ドイツの哲学者、古典文献学者です。
現代においては、実存主義の代表的な思想家の一人として知られています。
牧師の息子として誕生し、大学においては古典文献学を専攻しました。
バーゼル大学古典文献学教授となり辞職した後は、哲学者として一生を過ごしました。
ニーチェは人々から「天才」「精神病」「悪魔の弟子」などと言われており、賛否両論がこれほど分かれる哲学者は少ないのだそうです。
2-2. ニーチェの名言
ニーチェは数々の言葉、名言があります。
ここではその一部を紹介しましょう。
心に響くものがあるのではないでしょうか。
- 「なぜ生きるか」を知っている者は、ほとんど、あらゆる「いかに生きるか」に耐えるのだ。
- 過去が現在に影響を与えるように、未来も現在に影響を与える。
- 世界には、きみ以外には誰も歩むことのできない唯一の道がある。その道はどこに行き着くのか、と問うてはならない。ひたすら進め。
- あなたが出会う最悪の敵は、いつもあなた自身であるだろう。
- 忘却はよりよき前進を生む。
- あなたにとってもっとも人間的なこと。それは、誰にも恥ずかしい思いをさせないことである。
- 私はあなたに助言する。友よ、人を懲らしめたいという強い衝動を持つ者を信用するな!
- 事実というものは存在しない。存在するのは解釈だけである。
- いつまでもただの弟子でいるのは、師に報いる道ではない。
- 愛されたいという要求は、自惚れの最たるものである。
- 真の男のなかにはひとりの子供が隠れている。この子供が遊びたがるのだ。
- 結婚するときはこう自問せよ。「年をとってもこの相手と会話ができるだろうか」そのほかは年月がたてばいずれ変化することだ。
3. ニヒルな人とは
ニヒリズムは「nihil」というラテン語から生まれた言葉です。
時々「ニヒルな人」「ニヒルな表情」と言うことがありますが、このニヒルとはどういう意味なのか、併せて見ていきましょう。
3-1. ニヒルは誤用されることが多い
ニヒルは「ニヒルな笑み」「彼はちょっぴりニヒルなところがある」といったように、一昔前はわりと使われる機会が多かった言葉です。
イメージ的にはクールな男性、ちょっと斜にかまえたような男性に使われる用語のような気がします。
意味も「クール」「カッコいい」といった風に解釈されがちですが、実はそれは誤用です。
クールとニヒルは全く違う意味ですので注意が必要です。
ニヒルの意味は「虚しい」「虚無」です。
つまり「ニヒル」というのは、冷たく醒めているとか、暗い影のあるといった意味になりますので、あまり褒め言葉にはなりません。
(そのように見せたいと思っている人からすれば、褒め言葉になるのかもしれませんが・・・)
3-2. もともとは哲学用語である
ニヒリズムと同じく、ニヒルもやはりもともとは哲学用語です。
ニヒルは「nihil」というラテン語ですし、ニヒリズムはそこから派生した言葉です。
4. ニヒリズムな人の特徴
さて、虚無主義、ニヒリズムな人たちというのはどのような特徴があるのでしょうか。
見ていきましょう。
4-1. 実は認めて欲しいと思っている
虚無感にとらわれている人は、見た感じ謙虚に見えることが多いのです。
「自分なんて無理です」といった風に謙遜しますし、あまりガツガツしたところがないので控えめでいい人といった印象でもあります。
しかし、それは本来の姿ではないのです。
実は自分という人間を認めて欲しいという気持ちはあるのです。
しかし「どうせ無理だ」といった諦めが最初にありどこか投げやりになっています。
また認めて欲しいと思っていたことが認められなかったことが原因となり、素直になれなくなっていることもあるかもしれません。
4-2. 伏し目がち、無表情
虚無感、ニヒリズム、ニヒルな人は、自分に自信が持てなくなっていることが多いのです。
その為人と目をまっすぐに合わせなかったり、顔に表情がない、元気がなさそうな雰囲気を漂わせているのです。
人の内面は表情に出ると言います。
心の中で「生きている意義がない」などと思っていれば、死んだ魚のような目になったり、表情が乏しくなるのも理解できるのではないでしょうか。
4-3. 目が笑っていない
ニヒルな人というのは、笑顔がどこか引きつったような印象があります。
笑おうとしても口元だけで、目は無表情で笑っていないことも多いのです。
実はこの表情は一番相手に違和感を覚えさせるのです。
笑っているけれど、どこかうわべだけと相手も何となくわかるものです。
4-4. 周りのテンションを下げる
ニヒルな人、虚無主義の人というのは人に好かれるタイプとは言い難いでしょう。
正直に言えば、ウザいとか嫌われる傾向にあります。
その理由としては、周りが盛り上がっているのにテンションを下げてしまうからです。
前向きになっている時、やる気が出ている時に、ニヒルな人が「どうせ無理でしょ」とか「そんなことしてどうするの」「何の意味があるの」などと言うことがあります。
冷静に言うこともありますが、攻撃的になることもあります。
「そんなの無意味だ!」といった具合に相手をけなすような言い方をしてしまうのです。
つまりポジティブ思考の人とは仲良くなれないことが多いのです。
4-5. 目標がない
虚無感にとらわれることは誰しもあります。
しかしそれは大概、一時的なもので立ち直っていったり、やる気が復活したりするものです。
しかし自分から虚無主義を貫いている人の場合は常に虚無感があります。
特徴としては人生や自分にとって未来の夢や目標といったものを持たないことがあげられるでしょう。
「目標なんて何もない」「どうせ無駄だし」といった具合で、やる気なく過ごしている風に映ります。
無理に言い聞かせても「大きなお世話」「うっとうしい」と嫌がられることがほとんどですので、本人がやる気を出す時までは何も言わない方がいいでしょう。
4-6. 頑張ることそのものが無駄だと思っている
虚無主義の人は、仕事などでも決められたことはこなしますが「それ以上はない」ということが多いのです。
さらに頑張って上を目指そうといったことや、誰かの為に動こうといったことはありません。
そもそも必要以上のことを手出ししたり、頑張ることそのものが「無駄」とすら思っているのです。
- 決められたことさえやっていれば良い
- それ以上は何もしない
- 頑張って無駄だから
- 何も変わらない
といった思考なのです。
4-7. 生きる喜びを感じていない
虚無主義の人は日々の生活は淡々と過ごしています。
特に嬉しい、楽しいといった感情が大きく揺さぶられることはない様子です。
また生きる喜びを感じていないことが多く、自分で新たな目標を作る、いいことを探すといった前向きな行動もとりません。
その為流されて生きている人、何が楽しくて生きているのだろうと思われることもあります。
5. 虚無感にとらわれた時に対処方法とは
さて、生きていれば色々なことが起こります。
いいことも沢山ありますが、嫌なこと、辛いことも起こるでしょう。
精神的なバランスを崩してしまうこともあります。
もしかしたら自分も虚無感にとらわれてすべてのことが煩わしいと思ったり、生きていることが無意味に思える時があるかもしれません。
そのような虚無感にとらわれたままでいればいずれ虚無主義、ニヒリズムが身についてしまうかもしれません。
そうならない為にどうしたらいいのか、考え方や行動など対処方法を見ていきましょう。
5-1. やりがいを持つ、見つける
虚無感にとらわれる原因として、やりがいや生きがいがない、失うことが代表例としてあげられています。
つまり、虚無感にとらわれているのを回復させたいと思うならば、やりがいを持つこと、新たなやりがいを見つけることがとても大事なのです。
やりがいというのは人から奪われても、また新たに見つけ出すことができるのではないでしょうか。
例えば仕事を辞めることになり、仕事を奪われたと感じたとしてもです。
自分が次の仕事に有利になる為の勉強を始めることで新たなやりがいを見つけることができます。
以前よりもパワーアップして復活してやるという気持ちを持てば虚無感にとらわれずにすむのです。
5-2. 自分にしかできないこと、存在意義を持つ
自分は大した能力もなく、もう若くもなく、何もできないなどと落ち込んでしまうことはないでしょうか。
しかし、どんな人でもその人にしかできないこと、得意なことというのはあるものです。
またそれがないと言うならば、自分が好きなことに熱中することがおすすめです。
虚無感にとらわれた時は自分にしかできないこと、今目の前にあるしなくてはならないことに集中していきましょう。
仕事、趣味、家事(洗濯、掃除)でも何でもいいのです。
自分の存在は無意味などと決めつけることは止めましょう。
5-3. 旅行、散歩など外に出る
虚無感がある時は、考え方が偏っているサインです。
おすすめの方法は旅行に出ること、それが無理ならば散歩など外に出てみることです。
外に出ること、家の中にいるのとは違った景色が広がりますし、他の人と触れ合うこともあるでしょう。
新たな価値観と出会える可能性も高まります。
悪い意味で「煮詰まったな」と感じる時は、外に出るということを試してみてください。
5-4. しっかり睡眠をとる
心身の健康の為、しっかりと睡眠をとることは大事なことです。
疲れた体と頭を休めましょう。
それだけでも随分と違ってくるものです。
5-5. 栄養バランスのとれた食事を摂る
栄養バランスのとれた食事を摂り、健康に気をつけるようにしましょう。
体の具合が悪くなれば、人はどうしても、イライラしたり、悲観的になってしまうものです。
つまり元気さえあれば、何とかなるということでもあるのです。
5-6. 人と過ごす
家族や心を許した友人、恋人など、人と過ごすようにしましょう。
一人でいればいるほど、虚無感が強くなるのであれば、心落ち着く相手と一緒にいることを意識してください。
5-7. 体を動かす
軽い運動をすることで気分がすっきりします。
またウォーキング、ランニングといったように一定のリズムで動くことで幸せホルモンと呼ばれる「セロトニン」が分泌されるとされています。
憂鬱な気分がすっきりする効果が得られるのです。
5-8. リラックスできる音楽を聴く
音楽の力は偉大です。
元気がない時、落ち込んだ時、辛い時など好きな音楽を聴くと勇気づけられたり、元気が出たりします。
自分にとってリラックスできる音楽、元気が出てくる音楽を聴くようにしましょう。
音楽を聴きながらウォーキングは一番おすすめな方法です。
5-9. 裏切りを恐れない
信じていた人に裏切られることは大きな喪失感、虚無感を引き起こすことでしょう。
「この人は裏切らない」と信じることは素晴らしいことですが、裏切らない人などいるでしょうか。
もしかしたら裏切るかもしれません。
盲目的に相手を信じるよりも、自分一人でもやっていけるという自信をつける方が賢明です。
裏切りを恐れない強い心を養うようにしましょう。
それは自分が自立することです。
5-10. 自分以外のものに期待をし過ぎない
すぐに相手や物事に依存してしまう傾向がある人は要注意です。
自分が期待した通りにいかないと、落ち込んだり、怒ったりする人です。
こういったことを繰り返したり、強まっていくことで、いずれ何もかもに疲れた、無意味、何の為に自分が頑張っているのかわからないといった心境になりやすいのです。
自分以外の人や物事は思うようにいかなくて当たり前と思っておくようにしましょう。
まとめ
いかがでしたでしょうか。
ニヒリズム、虚無主義について詳しく解説をしました。
もともとは19世紀後半ヨーロッパの無神論から広まった思想なのですが、現代においてもニヒリズムにとらわれている人たちは多いのです。
思想家のニーチェが言ったように、ニヒリズムは肯定して、受け入れて前向きに頑張っていくことを目指していくようにしましょう。
虚無感に襲われることは誰しもあります。
そのような時はニーチェの積極的ニヒリズムを思い出しましょう。
自分の中の虚無感を受け入れて、どういう風に前向きに生きるか、それが大事なのではないでしょうか。
「ニヒリズム」という言葉は哲学に興味がある人ならよく知っているかもしれません。
ニヒリズム、虚無主義とはラテン語の「nihil(無)」という言葉から生まれた概念で、絶対的なもの、究極的な存在といったものを認めないといったことを言います。
ここではニヒリズムについて詳しく解説していきます。
1. ニヒリズム(虚無主義)とは
ニヒリズムとは、生きる意義の否定、すべてのことに対し「価値が無い」と思うことを言います。
ニヒリズムは「nihil」というラテン語が元になっています。
「虚無感」「虚無」といった方がわかりやすいかもしれません。
またニヒリズムには消極的にニヒリズムと積極的ニヒリズムと2通りあります。
簡単ではありますが、説明していきましょう。
1-1. 消極的ニヒリズム
19世紀後半のヨーロッパにおいては、機械文明の発達があったのですが、その反面人々の間に孤独感、無力感があったと言います。
それは機械文明の発達が、人々に過酷な労働を強いたことが、まるですぐに交換できる部品のような扱いとなり、尊厳を奪ったのでしょう。
結果的に「神などいない」と思ったのか、信仰心が薄れ無神論が広まったとされています。
このことが人々に大きな影響を及ぼしてしまうのです。
神の否定が、生きる意義やすべてのことを否定するということに繋がり、絶望と退廃の世の中となっていきました。
すべてのことにおいて「価値が無い」という消極的ニヒリズムがヨーロッパ中を支配したのです。
ここまで大きな話ではなくても、普段日常生活においても消極的ニヒリズムに支配された考え方の人はいるものです。
「こんなことをしても意味がない」と最初から諦めて何もしない、覇気がない人たちは消極的ニヒリズムにとらわれているのかもしれません。
1-2. 積極的ニヒリズム
19世紀後半、ヨーロッパで起こったキリスト教の否定は人々から生きることの意味を失わせ、虚無感に陥れてしまいました。
このままでは駄目だと、活き活きとした生き方を模索した人が、有名な思想家ニーチェです。
ニーチェは「神は死んだ」と言いました。
何とも大胆な発言ですが、ニーチェはもともとこの世の中というのは目的は無く、不毛な時間を繰り返していると言います。
そしてそのことを嘆くのではなく、運命として受け入れていこうと説いたのです。
つまり虚無感というものは悪いものではない、肯定的に受け入れて神のいないこの世を力強く生き抜いていこうと言ったのです。
虚無感を肯定して生きていくこと、これが積極的ニヒリズムなのです。
2. ニーチェとは
積極的ニヒリズムを説いた思想家ニーチェですが、どのような人であったのかを見ていきましょう。
2-1. ニーチェの生涯
ニーチェ(1844年10月15日〜1900年8月25日)とは、ドイツの哲学者、古典文献学者です。
現代においては、実存主義の代表的な思想家の一人として知られています。
牧師の息子として誕生し、大学においては古典文献学を専攻しました。
バーゼル大学古典文献学教授となり辞職した後は、哲学者として一生を過ごしました。
ニーチェは人々から「天才」「精神病」「悪魔の弟子」などと言われており、賛否両論がこれほど分かれる哲学者は少ないのだそうです。
2-2. ニーチェの名言
ニーチェは数々の言葉、名言があります。
ここではその一部を紹介しましょう。
心に響くものがあるのではないでしょうか。
- 「なぜ生きるか」を知っている者は、ほとんど、あらゆる「いかに生きるか」に耐えるのだ。
- 過去が現在に影響を与えるように、未来も現在に影響を与える。
- 世界には、きみ以外には誰も歩むことのできない唯一の道がある。その道はどこに行き着くのか、と問うてはならない。ひたすら進め。
- あなたが出会う最悪の敵は、いつもあなた自身であるだろう。
- 忘却はよりよき前進を生む。
- あなたにとってもっとも人間的なこと。それは、誰にも恥ずかしい思いをさせないことである。
- 私はあなたに助言する。友よ、人を懲らしめたいという強い衝動を持つ者を信用するな!
- 事実というものは存在しない。存在するのは解釈だけである。
- いつまでもただの弟子でいるのは、師に報いる道ではない。
- 愛されたいという要求は、自惚れの最たるものである。
- 真の男のなかにはひとりの子供が隠れている。この子供が遊びたがるのだ。
- 結婚するときはこう自問せよ。「年をとってもこの相手と会話ができるだろうか」そのほかは年月がたてばいずれ変化することだ。
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