ファティマ第3の予言とは、聖母マリアが唱えた3つの予言のうちの一つです。
聖母マリアが現われたのは、ちょうど今から100年ほど前のこと。
100年という節目を迎えた今、再びファティマ第3の予言について注目が集まっています。
- ファティマ第3の予言とは
- 聖母マリアが出現した村・ファティマで起きた奇跡とは
- ファティマの3つの予言とは
- 三人の牧童はその後どうなった?
- 聖母マリアは宇宙人だった!?その真相とは…
- ファティマ第3の予言が恐れられている訳とは?
- ファティマ第三の予言に生じる疑問とは
- まとめ
1. ファティマ第3の予言とは

ファティマ第3の予言とは、ポルトガルの小さな村ファティマに住む3人の少年少女の前に、聖母マリアが現われたことから始まります。
そして、聖母マリアはこの3人の少年少女たちに、これから世界で起こる3つの予言を残しました。
また、この予言を残すとき、聖母マリアは予言の公開時期も指定しています。
ローマ教皇庁では、聖母マリアの指示に従い、第1の予言と第2の予言については、指定された公開時期に予言を公開してきたのですが、なぜか第3の予言だけは公開時期を過ぎても公開しようとしませんでした。
第3の予言の公開時期は1960年。
しかし、いまだに第3の予言だけは公開されておらず、人類が絶滅するのではないか、地球が滅びるのではないかなど、様々な憶測が飛び交っています。
2. 聖母マリアが出現した村・ファティマで起きた奇跡とは

聖母マリアが第3の予言を告げたのは1917年のこと。
このファティマの村では数々の奇跡が起こりました。
2-1. 聖母マリアが出現した始まり

まず、聖母マリアが出現した始まりは、ファティマの村に住む3人の少年少女たちの前でした。
ルシア(10歳)、フランシスコ(8歳)、ジャシンタ(7歳)の3人の牧童が、いつものように羊を放牧していると、澄み渡る晴れやかな天気にも関わらず、突如稲妻が鳴り響いたそうです。
突然の悪天候に驚き、3人が空を見上げると、そこには虹色の光を放つ球体が浮かんでいました。
そしてその球体は3人のもとに近づき、女性の姿へと変わっていきました。
そして、その女性は3人の牧童たちにいくつかの指示を出しています。
2-2. 聖母マリアの指示

その指示の中には、女性が子供達の前に現れたことを秘密にするという指示がありましたが、一番幼い7歳のジャシンタは、言いつけを守れず、親にその秘密を打ち明けてしまいます。
ジャシンタの話を聞いた親は、嘘だと思い、子供を叱りつけましたが、その後、さらに不思議な出来事がファティマの村で起き始めます。
子供たちに女性が会った時、女性は10月まで毎月13日に出現するよと予告していましたが、その予告通り、10月までの毎月13日に、必ずその女性が出現し、様々な予言を言い残しました。
そして、最後の出現となる10月13日には、7万人もの人々が不思議な体験をすることとなります。
なんと、太陽がグルグルと周り出し、地表に急降下したり、七色に輝きだしたりするという奇跡が起きたのです。
興味深いのは、この奇跡を、反宗教主義者である人物も目撃し、奇跡を目の当たりしているところです。
聖母マリアの出現に懐疑的だった人物までも、こういった奇跡を目の当たりにしているので、本当に不思議としか言いようがありません。
また、後にローマ教皇庁ではこの不思議な体験を聖母マリアの出現によるものだと公認しています。
3. ファティマの3つの予言とは

聖母マリアがファティマの村で唱えた予言とは、一体どのような内容だったのでしょう。
詳しくみていきます。
3-1. ファティマ第1の予言

第1の予言は「地獄の幻想」と呼ばれています。
なぜ、このような呼ばれ方をしているのかというと、聖母マリアは、生きながら焼かれ、もがき苦しみながら死にゆく様子を人々の前で見せたからです。
その様子はまさに地獄絵図。
そして、このような地獄絵図がまさに今、地上で繰り広げられていることを知らせると同時に、こういった地獄が間もなく終わりを迎えることを予言しました。
また、聖母マリアは人々が神に背けば、再びこのような地獄が地上を襲うことになるとも予言しています。
この予言が唱えられた1917年当時、ヨーロッパでは第一次世界大戦の真っ只中。
そして、聖母マリアの予言通り、予言が言い残された翌年の1918年に第一次世界大戦は終結しています。
このことから、恐らく聖母マリアが言い残した「地獄の幻想」とは、この第一次世界大戦のことであろうと推察されています。
3-2. ファティマ第2の予言

第2の予言は「汚れなきマリアの魂の救済」と呼ばれています。
聖母マリアが第2の予言として唱えたのはロシアの国についてでした。
ロシア人が改心し、聖母マリアを崇拝すれば世界に平穏がもたらされるが、改心することなく誤った考えが広まるようなら、戦争が起き、教会は迫害を受けるだろうという内容です。
この第2の予言は、後の第二次世界大戦とロシアとアメリカとの間で起きた冷戦のことであろうと言われています。
3-3. ファティマ第三の予言

3つのうちの、最後の予言についてですが、この予言についてはいまだに公開されていないので内容が全く分かっていません。
1960年に聖母マリアが公開するように指示を出したはずですが、ローマ教皇庁ではその指示に背き、一貫して後悔しない姿勢を貫いています。
ローマ教皇庁が神の意思に背き、その予言を公開しないとは余程の理由があってのことだと予測ができます。
それゆえに、人々の間では、戦慄が走る内容のため、ローマ教皇が腰を抜かしてしまったとか、人類が滅びることが書かれているなどの憶測が飛び交っています。
4. 三人の牧童はその後どうなった?

聖母マリアに遭遇した三人の牧童は、その後どうなったのでしょう。
実は3人のうち、二人は幼いうちに亡くなっています。
これも、聖母マリアとコンタクトを取った際に、二人が間もなく天国に旅立つことを予言されていたので、ぴったりとその予言が的中しています。
亡くなったのはジャシンタとフランシスコです。
予言を聞いた2年後に、流行りのスペイン風邪に感染し、亡くなっています。
一方、聖母マリアに「あなたはもう少し現世で頑張りなさい」
と言われ、長生きできることを予言されたルシアは97歳まで生きました。
ルシアはドロテア修道院に入り、シスターとしての道を歩みました。
亡くなったジャシンタとフランシスコの冥福を祈るとともに、自分の使命を全うしました。
5. 聖母マリアは宇宙人だった!?その真相とは…

聖母マリアが実は宇宙人だったのではないかという説があります。
なぜこのようなことが囁かれるようになったのかというと、聖母マリアの指示をローマ教皇庁が無視をしたからです。
聖母マリアはファティマの村で第3の予言を1960年に公開するように告げました。
しかし、実際はこの予言をローマ教皇庁は公開せず、聖母マリアの指示に背きました。
こういったローマ教皇庁の対応は、人々の憶測を生み出すこととなり、第3の予言には戦慄な内容が書かれているなどと恐れられることとなりましたが、果たして神の意思に忠実なローマ教皇庁が、戦慄が走る内容だからといって聖母マリアの指示に背くことがあるのでしょうか。
ローマ教皇庁が聖母マリアに指示に背き、勝手に公開を取りやめてしまうのは考えにくい面があります。
となると、考えられるのは宇宙人説です。
聖母マリアが実は宇宙人だったと考えれば、これまでの不思議な体験や予言、そしてローマ教皇庁の指示への背きに納得がいきます。
実際に第266代ローマ教皇フランシスコは、火星人について言及しており、「火星人にも洗礼する準備ができている」
などと発言しています。
また、NASAの宇宙探査機「キュリオシティ」が火星の上を歩く女性の姿を捉えており、この真意については今も議論が続いている状態です。
もしかしたら、三人の牧童がみたのは宇宙人だったのかもしれません。
6. ファティマ第3の予言が恐れられている訳とは?

ファティマ第3の予言が、戦慄が走るほど恐ろしい予言だと言われる理由はなんでしょう。
いくつか紹介していきます。
6-1. ローマ教皇庁が予言の公開をとりやめ

なんといっても、ファティマ第3の予言が恐ろしい予言であると言われ始めたのは、ローマ教皇庁が予言の公開をとりやめたことにあります。
第一の予言、第二の予言については、聖母マリアの指示通り、指示された時期に公開していたのにも関わらず、第3の予言だけは公開しないところにこの予言の恐ろしさがあると目されてきたのです。
この第3の予言が公開される予定だった1960年当時、法王パウロ6世が公開前にその内容を目にしたそうですが、気を失うほどショックな内容だったと言われています。
「公開し、人々が知れば大変な事態になる」
として公開することを取りやめたと言われています。
6-2. 2062年から来た未来人が第3の予言を告知!

実はインターネット上のオカルト掲示板において、2062年から来た未来人からのメッセージが届いています。
その内容とは、ファティマ第3の予言について言及している内容で、その第三の予言の内容とは、「アメリカとロシアが再び冷戦状態に入り、そこから死の雨が降り注ぐだろう」
というものでした。
この2062年からやって来た未来人は、冷戦が再び起こり、核戦争の世界に突入すると告知しています。
これがもし本当であるなら、公開予定だった1960年当時の世界情勢はアメリカとロシアが対立を深めている時期であり、この世界情勢を見て公開を控えたと考えれば、後悔をとりやめた理由にも納得がいきます。
6-3. 第1の予言、第2の予言が恐ろしすぎる…

第3の予言が恐ろしい内容だと推察される理由として、第1の予言と第2の予言が恐ろしい内容だったからということも挙げられます。
そのため、公開がとりやめとなった第3の予言は、第1の予言、第2の予言とは比べ物にならないほど恐ろしい内容だったのであろうと考えられてきています。
実は2000年になって、当時の教皇庁で教理省長官を務めていたヨーゼフ・ラッツィンガー枢機卿が、「第3の予言とは、1981年に起こったローマ教皇ヨハネ・パウロ2世の暗殺未遂事件のことだった」
と公表しています。
しかし、当時のローマ教皇が腰を抜かすほどの内容とは言えないのではないか、真実の予言を隠すためにこのような発表をしたのではないかなどと、新たな憶測を生む結果を招いています。
7. ファティマ第三の予言に生じる疑問とは

さて、ファティマ第三の予言について様々の憶測が飛び交っている現状ですが、この予言には疑問の声や謎に包まれていることが多くあります。
この疑問について、いくつか紹介します。
7-1. 晩年、ルシアが第3の予言について言及

ルシアは聖母マリアから幼少期に直接、第3の予言を聞いた牧童のうちの一人です。
このルシアは、なんと、第3の予言について「それは喜ばしいものであった」
と言い残しています。
もし、第3の予言が喜ばしいものであるならば、ローマ教皇庁が2000年に発表した「ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世の暗殺未遂事件が第3の予言である」
とするのは矛盾があるといえるでしょう。
暗殺未遂事件が喜ばしいものであるはずがありません。
残念ながら、ルシアが何のことを喜ばしいものと話していたのか、類推する情報はありません。
本当に喜ばしいことなら良いのですが、謎は深まるばかりです。
7-2. 平和の天使の正体とは?

実は聖母マリアに遭遇した三人の牧童は、聖母マリアに遭遇する一年前に、平和の天使なる人物と遭遇しています。
その天使は1916年の春か夏に現れたと言われています。
ルシアンの手記によると、この天使は出現する際、風が強まり、木のずっと上の方に雪よりも白く、そして太陽よりも光り輝く透明な若い男が見え始めたと書いています。
その若い男とは、14〜15歳くらいの美しい青年で、平和の天使だと名乗ったそうです。
キリスト教において天使とは神の使いだと言われています。
また、男女の性別はないと言われています。
もし、ルシアが遭った人物が本当に天使ならば、聖母マリアが登場する前のお使いとしてルシアたちにコンタクトをとってきた、そしてその天使が美しい容姿であることから男女の性別のない中性的な美を備えた天使像が浮かび上がります。
本当にルシアは平和の天使にあったのでしょうか。
7-3. ローマ教皇暗殺未遂説を隠す必要はない

もう一つの謎として挙げたいのは、ローマ教皇庁が発表した第3の予言である「ローマ教皇暗殺未遂事件」についてです。
もし、これが本当に第3の予言であるならば、1960年の公開をとりやめた理由とは何でしょう。
ローマ教皇の暗殺事件を予言した情報を取り上げることで、ローマ教皇を自分の手で暗殺したいという人物が出てくることを危惧してのことなのでしょうか。
それにしても、それだけの理由で公開を取り消すとは考えにくいです。
第1の予言も第2の予言も、非常に重要な予言でありながらも公開しているので、第3の予言が暗殺事件のことを取り上げているからといって公開を取り消すのは考えにくいといえます。
一体、第3の予言の真実はどうなのでしょう。
まとめ

第3の予言がどのような内容なのでしょう。
人類の滅亡をさすのか、あるいはルシアの言った通り、喜ばしい予言であるのか。
ルシアが天国へと旅立った今、その真実を問いただすことはできませんが、私達の未来が明るいものであることを願うばかりです。
ファティマ第3の予言とは、聖母マリアが唱えた3つの予言のうちの一つです。
聖母マリアが現われたのは、ちょうど今から100年ほど前のこと。
100年という節目を迎えた今、再びファティマ第3の予言について注目が集まっています。
1. ファティマ第3の予言とは

ファティマ第3の予言とは、ポルトガルの小さな村ファティマに住む3人の少年少女の前に、聖母マリアが現われたことから始まります。
そして、聖母マリアはこの3人の少年少女たちに、これから世界で起こる3つの予言を残しました。
また、この予言を残すとき、聖母マリアは予言の公開時期も指定しています。
ローマ教皇庁では、聖母マリアの指示に従い、第1の予言と第2の予言については、指定された公開時期に予言を公開してきたのですが、なぜか第3の予言だけは公開時期を過ぎても公開しようとしませんでした。
第3の予言の公開時期は1960年。
しかし、いまだに第3の予言だけは公開されておらず、人類が絶滅するのではないか、地球が滅びるのではないかなど、様々な憶測が飛び交っています。
2. 聖母マリアが出現した村・ファティマで起きた奇跡とは

聖母マリアが第3の予言を告げたのは1917年のこと。
このファティマの村では数々の奇跡が起こりました。
2-1. 聖母マリアが出現した始まり

まず、聖母マリアが出現した始まりは、ファティマの村に住む3人の少年少女たちの前でした。
ルシア(10歳)、フランシスコ(8歳)、ジャシンタ(7歳)の3人の牧童が、いつものように羊を放牧していると、澄み渡る晴れやかな天気にも関わらず、突如稲妻が鳴り響いたそうです。
突然の悪天候に驚き、3人が空を見上げると、そこには虹色の光を放つ球体が浮かんでいました。
そしてその球体は3人のもとに近づき、女性の姿へと変わっていきました。
そして、その女性は3人の牧童たちにいくつかの指示を出しています。
2-2. 聖母マリアの指示

その指示の中には、女性が子供達の前に現れたことを秘密にするという指示がありましたが、一番幼い7歳のジャシンタは、言いつけを守れず、親にその秘密を打ち明けてしまいます。
ジャシンタの話を聞いた親は、嘘だと思い、子供を叱りつけましたが、その後、さらに不思議な出来事がファティマの村で起き始めます。
子供たちに女性が会った時、女性は10月まで毎月13日に出現するよと予告していましたが、その予告通り、10月までの毎月13日に、必ずその女性が出現し、様々な予言を言い残しました。
そして、最後の出現となる10月13日には、7万人もの人々が不思議な体験をすることとなります。
なんと、太陽がグルグルと周り出し、地表に急降下したり、七色に輝きだしたりするという奇跡が起きたのです。
興味深いのは、この奇跡を、反宗教主義者である人物も目撃し、奇跡を目の当たりしているところです。
聖母マリアの出現に懐疑的だった人物までも、こういった奇跡を目の当たりにしているので、本当に不思議としか言いようがありません。
また、後にローマ教皇庁ではこの不思議な体験を聖母マリアの出現によるものだと公認しています。
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