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リバタリアンとは?リバタリアンの特徴やリバタリアンとリベラリズムの違いなど徹底解説

リバタリアンとは?リバタリアンの特徴やリバタリアンとリベラリズムの違いなど徹底解説 | SPITOPI

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リバタリアンとは?リバタリアンの特徴やリバタリアンとリベラリズムの違いなど徹底解説

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リバタリアンとはリバタリアニズムを信奉する「自由至上主義者・完全自由主義者」であり、「小さな政府と規制緩和・減税の支持+個人の自由・権利の拡大(社会共同体に対する不可侵な個人の優越)」に共感する人たちでもあります。

個人の自由を絶対化するリバタリアンの特徴・価値観(考え方)にはどのようなものがあるのでしょうか?リバタリアン(リバタリアニズム)とリベラリズム、アナキズムの違いなどと合わせて、リバタリアンについて徹底的に解説していきます。

  • リバタリアンとは?
  • リバタリアンの特徴・価値観について
  • リバタリアン(リバタリアニズム)で想定されている最大限に尊重すべき「個人の自由・権利」
  • 「リバタリアン(リバタリアニズム)」と「リベラリズムをはじめとする各種の政治思想」の違い
  • 個人重視のリバタリアンと共同体重視のコミュニタリアニストの価値観の対立
  • リバタリアンの理想と目標について
  • まとめ

1. リバタリアンとは?

リバタリアンとは?

リバタリアンとは自由主義の政治思想の一つである「リバタリアニズム(libertarianism)」に依拠・信奉する自由至上主義者のことです。

リバタリアニズム(libertarianism)は20世紀後半に、政治思想家のロバート・ノージックやマレー・ロスバードらによって提唱された「個人的(精神的)な自由+経済的な自由」を最大限に尊重する政治思想であり、「他者の自由・権利」を侵害しない限り、個人はあらゆることを行う自由があるという価値観に立脚しています。

1-1. リバタリアンは究極の個人主義者・自由主義者で国家による規制・干渉に反対する

リバタリアンは究極の個人主義者・自由主義者で国家による規制・干渉に反対する

リバタリアンは究極の個人主義者かつ自由主義者であり、国家権力であっても「個人の身体・生命・財産の自由」を強制的に侵害したり剥奪したりすることは許されないとして、明確な犯罪以外の理由によるあらゆる徴税・徴発・拘束などに反対する立場に立ちます。

個人の自由を最大限に守るため、政府・国家権力による「規制・干渉・再配分」を最大限に排除し、政府(国家)はその権限と役割を最小化させるべきとするのがリバタリアンの考え方なのです。

高所得のお金持ちからはより高い税金を取っても良く、それが社会的義務であるとする「福祉国家的・垂直的平等的な累進課税」にも強く反対します。

また、個人が同意したのであれば売春・麻薬・ギャンブルなどの不品行・不道徳とされる行為も自由化(合法化)されるべきであり、国家権力がそれらの行為を法律で禁止して処罰することに合理的根拠はなくむしろ個人の自由を不当に侵害しているから悪と考えるのがリバタリアニズムなのです。

2. リバタリアンの特徴・価値観について

リバタリアンの特徴・価値観について

リバタリアンの特徴・価値観には、どのようなものがあるのでしょうか?リバタリアンの特徴・価値観について分かりやすく紹介していきます。

2-1. 他者の自由・権利を明確に侵害しない限り、個人は何をしても良いと考えている

他者の自由・権利を明確に侵害しない限り、個人は何をしても良いと考えている

リバタリアンの典型的な特徴・価値観として、「他者の自由・権利を明確に侵害しない限り、個人は何をしても良いと考えている」ということが上げられます。

リバタリアニズムを掲げるリバタリアンにとって、「個人の自由権」は絶対的・不可侵なものであり、最大限に尊重されなければいけないと考えています。

リバタリアンにとって個人の自由が規制されても良いと言える理由はただ一つだけで、それは「自分の行為が他者の自由・権利を明確に侵害している場合」です。

他者が何かをやろうとしている時にそれを実力で妨害する行為、他者を殴打・脅迫・拘束・強姦したりして相手の身体・行動の自由を奪う行為、窃盗・強盗など他者の財産権を侵害する行為は、リバタリアンにとっても規制されるべき悪ですが、基本的に他者に危害を加えなければ売春でも大麻使用でも何をしても良いとする価値観があります。

2-2. 「みんな(社会)のため」という理由で、個人の自由を無理やりに規制することは許されない

「みんな(社会)のため」という理由で、個人の自由を無理やりに規制することは許されない

「みんな(社会)のため」という理由で、個人の自由を無理やりに規制することは許されないというのが、リバタリアンの典型的な価値観です。

リバタリアンは「みんなのためだからあなたが我慢しなさい」や「社会のために豊かなあなたが多く負担すべきです」といった共同体主義的(コミュニタリアニズム的)な価値観に真っ向から反対します。

リバタリアニズム(自由至上主義)では「自分が助けて上げたい個人」や「自分が貢献したい団体・慈善事業・社会」のために自発的な自己犠牲・自己負担を払うことには賛同しますが、「みんなのためだから・社会全体のためだから」という理由で個人に無理やり何らかの奉仕活動や寄付行為(多めの累進課税)をさせようとする強制には強く反対するのです。

2-3. 自由市場の競争原理の効率性と個人の私的所有権の正しさを強く信じている

自由市場の競争原理の効率性と個人の私的所有権の正しさを強く信じている

リバタリアンの分かりやすい特徴・価値観として、「自由市場の競争原理の効率性と個人の私的所有権の正しさを強く信じている」ということがあります。

リバタリアンは「自由市場主義者」であり、経済活動の自由を尊重して「公共事業・公務員の仕事増加」に反対しますが、特に政府の経済活動への規制・介入に反対する「自由放任主義(レッセ・フェール)」の立場を取ることが多くなっています。

政府が規制しない自由市場の競争原理がもっとも効率的で、市場競争の結果として手に入れた「個人の私的所有権・財産権」は絶対的なものとして守られなければならないとするのが、リバタリアンの特徴なのです。

2-4. 個人の自己責任と自律性を重視していて権力・他人の干渉を嫌う

個人の自己責任と自律性を重視していて権力・他人の干渉を嫌う

「個人の自己責任と自律性を重視していて権力・他人の干渉を嫌う」というのが、リバタリアンの特徴・価値観の一つになっています。

リバタリアンは基本的に自分の行為や判断の結果責任は自分個人で負わなければならないとする「個人主義的な自己責任原理」を重視しています。

私は自分の行為に対して自己責任を負うから、公権力や他人にもあれこれ指図されたくないというのがリバタリアンなのです。

個人は自律的・主体的に自分の人生を生きて、自分の選択・行為に対する自己責任を負うべきであり、その代わりに「権力・他人からも干渉や強制をされない」というのがリバタリアンの人間観・社会観になっています。

2-5. 国家権力といえども徴税・徴兵(徴発)・国民教育をする正当な権限はないと主張する

国家権力といえども徴税・徴兵(徴発)・国民教育をする正当な権限はないと主張する

リバタリアンの特徴・価値観として、「国家権力といえども徴税・徴兵(徴発)・国民教育をする正当な権限はないと主張する」ということが上げられます。

リバタリアンの最終的な目標は、アナキスト(無政府主義者)に近づく「国家(政府)の廃止」と言われることもありますが、それはリバタリアンが一般に「徴税・徴兵(徴発)・国民教育」をかなり嫌っているからです。

リバタリアンは個人の自由権や財産権を絶対的なものと前提するので、自発的な寄付以外の政府の強制的な徴税を「財産権の侵害」と考え、兵役義務などの政府の強制的な徴兵・徴発を「身体・行動の自由の侵害」と考えます。

「国民としての道徳・義務(自己犠牲)」を植え付けるような国民教育・国民統制にも、基本的に反対のスタンスを示すのです。

3. リバタリアン(リバタリアニズム)で想定されている最大限に尊重すべき「個人の自由・権利」

リバタリアン(リバタリアニズム)で想定されている最大限に尊重すべき「個人の自由・権利」

リバタリアン(リバタリアニズム)で想定されている最大限に尊重すべき「個人の自由・権利」には、どのようなものがあるのでしょうか?リバタリアン(リバタリアニズム)が絶対的に尊重すべきと考えている「個人の自由・権利」について解説していきます。

3-1. 個人の身体・行動の自由

個人の身体・行動の自由

リバタリアンは、「個人の身体・行動の自由」を最大限に尊重します。

リバタリアンは他人の自由や権利を侵害しない限り、個人は自由に行動できるという強い信念を持っています。

そのため、政府(公権力)といえども、個人の身体を拘束したり個人の行動の自由・選択権を奪ったりすることは許されないという考え方になり、徴兵・徴発(勤労奉仕の強制)にも基本的に反対します。

明らかな犯罪を原因とする逮捕・拘束以外には、個人の身体・行動の自由は絶対的に守られるとするのがリバタリアンなのです。

3-2. 個人の財産権・私的所有権

個人の財産権・私的所有権

リバタリアンは、「個人の財産権・私的所有権」を最大限に尊重します。

リバタリアンは市場原理の結果として得た「収入・財産」、あるいは先祖(親)から承継した結果としての「財産」に対する私的所有権を絶対的なものとして保護しようとします。

そのため、リバタリアンは政府(国家権力)による「徴税」にも反対の姿勢を示し、無政府主義的なスタンスで徴税する国家・政府のことを「合法的な強盗・盗人」と非難することもあります。

特に高所得者・資産家に高率の税金をかけようとする「累進課税」に強い抵抗感を示すことが多くなっています。

3-3. 個人の意思決定(自己選択権)と自生的秩序の尊重

個人の意思決定(自己選択権)と自生的秩序の尊重

リバタリアニズム(自由至上主義)の政治思想のエッセンスを一言で集約すると、「個人の意思決定(自己選択権)と自生的秩序の尊重」ということになります。

「個人が自由に行う意思決定+行動選択」に対して、政府(国家権力)といえども無理やりに干渉・強制したりすることは許されないという個人の自由を最大化する政治思想としての特徴がリバタリアニズムにはあるのです。

リバタリアニズムでは自由市場主義(自由競争原理)を尊重して、政府による市場への規制・介入や公共事業による景気対策に反対しますが、それはリバタリアンが「私企業・個人間の市場競争によって形成される自生的秩序」に効率性や正しさを感じているからなのです。

4. 「リバタリアン(リバタリアニズム)」と「リベラリズムをはじめとする各種の政治思想」の違い

「リバタリアン(リバタリアニズム)」と「リベラリズムをはじめとする各種の政治思想」の違い

「リバタリアン(リバタリアニズム)」と「リベラリズムをはじめとする各種の政治思想」には、どのような違いがあるのでしょうか?「リバタリアン(リバタリアニズム)」と「リベラリズム(一般的な自由主義)」の違いを中心にして、政治思想の内容や価値観の違いについて解説します。

4-1. リベラリズムは「個人の自由」だけではなく「自己責任だけではない社会的公正」を重視する

リベラリズムは「個人の自由」だけではなく「自己責任だけではない社会的公正」を重視する

リベラリズム(自由主義)には大きく分けて、19〜20世紀前半の市場主義的な「古典的リベラリズム」と20世紀以降の社会福祉も考慮する「リベラリズム(リベラル)」に分けられます。

アダム・スミスやジョン・ロックらの時代に言及された古典的リベラリズム(古典的自由主義)は、「個人の自由+小さな政府」を強調する思想であり、現代のリバタリアニズムに近いものになっています。

しかし、20世紀半ば以降の「リベラリズム(リベラル)」は、人権・社会保障・福祉国家にも配慮して一定の財の再配分や公共事業の必要性を認めるもので、個人の自由をほとんど無制限に認めるリバタリアンとは異なります。

リベラルは「個人の自己責任」だけではない「社会的公正・公共の福祉(結果としての一定の平等)」を重視する思想なので、必要があれば個人の自由をある程度まで制限するという違いがあります。

4-2. リベラリズムは「累進課税による財の再配分+社会的弱者の救済」を否定しない

リベラリズムは「累進課税による財の再配分+社会的弱者の救済」を否定しない

リバタリアニズムは国家権力による徴税に否定的な思想ですが、リベラリズムは社会的公正としての弱者救済・社会福祉にも配慮する思想であるため、「国家による徴税+徴税した税収の倫理的な再配分」に同意するという違いがあります。

リバタリアンは高所得者や資産家に高率の税金を掛ける「累進課税」に対して、「国家権力による合法的な強盗・収奪」として非難しますが、リベラルは社会的公正を実現するための「社会的責務+能力に応じた負担」として累進課税を肯定する違いがあるのです。

数十億円以上の資産を保有する富豪と生活費にも困ることがある貧困者ではあまりに格差が大きいので、「能力に応じた累進課税+財の再配分」は社会的公正の実現のために必要だとリベラリズム(リベラル)では考えます。

4-3. リベラリズムは結果としての最低限の実質的自由としての「社会権・生存権」を尊重する

リベラリズムは結果としての最低限の実質的自由としての「社会権・生存権」を尊重する

リバタリアンは究極的には「自由競争・自己責任の弱肉強食の原理(どれだけ格差が大きくなってどんなに貧困層が増えたとしてもすべては市場競争・所与の運命に従った自己責任である)」に行き着くことになりますが、リベラリズムはそこまで極端な自己責任を求める自由主義思想ではありません。

リベラリズムも政府の統制・介入に反対する自由主義思想の一つですが、リベラリズム(リベラル)は「国家権力(政府の統制)からの自由の最大化」だけではなく「国家権力の政策によって実現される最低限の自由・平等」を重視する思想なのです。

リバタリアンは個人が自由なら野垂れ死にしても自己責任と考えますが、リベラリストは最低限の自由・平等は国家権力が財の再分配も含めて「社会権・生存権」を保障することで実現すべきと考えます。

4-4. リバタリアニズムとアナキズム(無政府主義)は国家の縮小・廃止を目指す思想として似ている

リバタリアニズムとアナキズム(無政府主義)は国家の縮小・廃止を目指す思想として似ている

リバタリアニズム(自由至上主義)の思想的原点の一つは、政治思想家ロバート・ノージックの「アナーキー・国家・ユートピア(1974年)」にあるとされています。

ノージック自身が国家の規模と政府の役割を最小化して、個人と市場の自由を最大化すべきという「アナキスト(無政府主義者)」でしたが、リバタリアニズムとアナキズムは「国家の介入・干渉を嫌って個人の自由の最大化を目指す思想」として多くの共通点を持っています。

4-5. 「リバタリアン(リバタリアニズム)」と「保守主義・リベラリズム・社会主義・全体主義」の違い

「リバタリアン(リバタリアニズム)」と「保守主義・リベラリズム・社会主義・全体主義」の違い

政治思想のポジションは、リバタリアンの政治学者デイヴィッド・ノーランが作成した「ノーラン・チャート」で簡単に分類することができます。

このチャートでは「個人的自由(社会的自由)の高低」と「経済的自由の高低」を組み合わせることで、各政治思想のポジションの特徴を直感的に把握できます。

  • リバタリアニズム……個人的自由(社会的自由)が最も高い+経済的自由が最も高い
  • 社会主義(左派リベラリズム)……個人的自由(社会的自由)がある程度高い+経済的自由が低い
  • 保守主義……個人的自由(社会的自由)が低い+経済的自由が高い
  • 全体主義・権威主義……個人的自由(社会的自由)が最も低い+経済的自由が最も低い

5. 個人重視のリバタリアンと共同体重視のコミュニタリアニストの価値観の対立

個人重視のリバタリアンと共同体重視のコミュニタリアニストの価値観の対立

「個人重視のリバタリアン」と「共同体重視のコミュニタリアニスト」の間には、どのような価値観の対立があるのでしょうか?リバタリアンの信念・価値観と対局にあるコミュニタリアニストは、リバタリアニズムにどのような批判をしているのでしょうか?

5-1. リバタリアンはコミュニタリアニストを個人の自由権・財産権の不当な侵害者として批判する

リバタリアンはコミュニタリアニストを個人の自由権・財産権の不当な侵害者として批判する

リバタリアン(自由至上主義者)は、社会全体のために公権力で「結果の平等(経済的な一定以上の平等配分)」を実現しようとするコミュニタリアニスト(共同体主義者)のことを、「個人の自由・私的所有権を不当に侵害する簒奪者」として非難します。

リバタリアンにとって自分で稼いだお金はあくまで自分のものであり、その収入・財産に対する私的所有権は、「政治的目的や個人間の平等実現という理由」があっても侵害することは許されないからです。

一方、コミュニタリアニストはいくら自分で稼いだお金であっても、社会インフラや社会構成員の購入行動・競争の勝敗などの恩恵を受けて稼いだお金であり、「完全な不可侵の私的所有権」などは存在せず、社会全体の福利厚生やみんなの平等のためにある程度まで徴税して再配分することは許されるとします。

5-2. コミュニタリアニストはリバタリアンを共同体に対する利己的なフリーライダーとして批判する

コミュニタリアニストはリバタリアンを共同体に対する利己的なフリーライダーとして批判する

コミュニタリアニストは個人の自由の最大化ばかりを主張して、社会共同体(みんな)のための再配分を考えないリバタリアンのことを、「利己主義のフリーライダー(ただ乗り者)」として非難します。

どんなお金持ちや権力者であっても、社会共同体(みんな)の支持・協力・競争参加があってその財産・影響力を獲得したのであって、私有財産の全てが「個人の能力・努力だけで勝ち得たもの」ではないからです。

コミュニタリアニストはリバタリアンに社会共同体の中でビジネスや仕事をしている以上、人並み以上に稼いだり財産を築いたのであれば、社会的責務としてその一部を人々(相対的・絶対的な弱者や貧困者)に再配分して還元することに賛成すべきと批判するのです。

6. リバタリアンの理想と目標について

リバタリアンの理想と目標について

リバタリアンが実現を目指している最終的な理想と目標はどのようなことなのでしょうか?「リバタリアンの理想・目標」について、分かりやすく整理していきます。

6-1. 政府(国家)は最小限の夜警国家で良く、将来的には国家・税は縮小して廃止することが望ましい

政府(国家)は最小限の夜警国家で良く、将来的には国家・税は縮小して廃止することが望ましい

リバタリアンの典型的な理想・目標は、政府(国家)は「警察(治安維持)・国防」といった最小限の役割を果たすだけの夜警国家で良いというもので、税金は安ければ安いほど良いというものです。

リバタリアンは国家・税を縮小していき廃止する無政府主義的な目標を持ち、その方が「個人の自由と自律・民間経済の可能性」が拡大すると考えています。

6-2. 社会の経済運営・福祉活動は「市場原理・慈善事業(フィランソロフィー)」に委ねるのが良い

社会の経済運営・福祉活動は「市場原理・慈善事業(フィランソロフィー)」に委ねるのが良い

リバタリアンは社会の経済運営は完全に市場の競争原理に任せるべきと考え、社会福祉においても政府は極力、保険料徴収などで介入しないほうが良いとします。

リバタリアンが理想とする社会は、「市場原理の競争のみで財が再配分される社会」であり、「余裕がある人の自発的な寄付行為+慈善事業(フィランソロフィー)で社会福祉が担われる社会」なのです。

6-3. 個人の自由権・財産権は不可侵であり、他者の自由を侵害しなければ売春・麻薬・愚行なども認めて良い

個人の自由権・財産権は不可侵であり、他者の自由を侵害しなければ売春・麻薬・愚行なども認めて良い

リバタリアンの理想・目標は、「個人の自由権・財産権」が完全に認められている完全自由主義の社会を建設することです。

リバタリアンの目指す自由至上主義の世界では、他者の自由や権利を侵害しない限りは、明らかに馬鹿げた無意味な「愚行」であっても愚行権を認めるべきであると考えられています。

例えば、現在多くの国で規制されている売春・援助交際なども「被害者のいない犯罪」だから、双方が合意していて問題がないのであれば法的に認めるべきとします。

麻薬も他者に危害を加える向精神作用が強くなければ、麻薬使用で健康を壊しても個人の自己責任として認めるべきという極端に自由を尊重するビジョンを持っています。

まとめ

まとめ

リバタリアン(リバタリアニズム)について徹底的に解説しましたが、リバタリアンとは他人に危害を加えなければ個人はあらゆることをする自由があると考える「自由至上主義者(完全自由主義者)」のことです。

リバタリアニズムとリベラリズム(自由主義)には、「社会的公正+税による財の再配分(社会福祉的な再配分)」を認めるか否かの違いがありますが、リバタリアンは究極的には「市場主義者+自己責任主義者」としての特徴を持っています。

個人の自由を最大化して国家の役割(徴税・規制の権限)を縮小・消滅させようとするリバタリアン(自由至上主義者)について詳しく調べたい時には、この記事をぜひ参考にしてみて下さい。

リバタリアンとはリバタリアニズムを信奉する「自由至上主義者・完全自由主義者」であり、「小さな政府と規制緩和・減税の支持+個人の自由・権利の拡大(社会共同体に対する不可侵な個人の優越)」に共感する人たちでもあります。

個人の自由を絶対化するリバタリアンの特徴・価値観(考え方)にはどのようなものがあるのでしょうか?リバタリアン(リバタリアニズム)とリベラリズム、アナキズムの違いなどと合わせて、リバタリアンについて徹底的に解説していきます。


リバタリアンとは?

リバタリアンとは自由主義の政治思想の一つである「リバタリアニズム(libertarianism)」に依拠・信奉する自由至上主義者のことです。

リバタリアニズム(libertarianism)は20世紀後半に、政治思想家のロバート・ノージックやマレー・ロスバードらによって提唱された「個人的(精神的)な自由+経済的な自由」を最大限に尊重する政治思想であり、「他者の自由・権利」を侵害しない限り、個人はあらゆることを行う自由があるという価値観に立脚しています。

1-1. リバタリアンは究極の個人主義者・自由主義者で国家による規制・干渉に反対する

リバタリアンは究極の個人主義者・自由主義者で国家による規制・干渉に反対する

リバタリアンは究極の個人主義者かつ自由主義者であり、国家権力であっても「個人の身体・生命・財産の自由」を強制的に侵害したり剥奪したりすることは許されないとして、明確な犯罪以外の理由によるあらゆる徴税・徴発・拘束などに反対する立場に立ちます。

個人の自由を最大限に守るため、政府・国家権力による「規制・干渉・再配分」を最大限に排除し、政府(国家)はその権限と役割を最小化させるべきとするのがリバタリアンの考え方なのです。

高所得のお金持ちからはより高い税金を取っても良く、それが社会的義務であるとする「福祉国家的・垂直的平等的な累進課税」にも強く反対します。

また、個人が同意したのであれば売春・麻薬・ギャンブルなどの不品行・不道徳とされる行為も自由化(合法化)されるべきであり、国家権力がそれらの行為を法律で禁止して処罰することに合理的根拠はなくむしろ個人の自由を不当に侵害しているから悪と考えるのがリバタリアニズムなのです。

リバタリアンの特徴・価値観について

リバタリアンの特徴・価値観には、どのようなものがあるのでしょうか?リバタリアンの特徴・価値観について分かりやすく紹介していきます。

2-1. 他者の自由・権利を明確に侵害しない限り、個人は何をしても良いと考えている

他者の自由・権利を明確に侵害しない限り、個人は何をしても良いと考えている

リバタリアンの典型的な特徴・価値観として、「他者の自由・権利を明確に侵害しない限り、個人は何をしても良いと考えている」ということが上げられます。

リバタリアニズムを掲げるリバタリアンにとって、「個人の自由権」は絶対的・不可侵なものであり、最大限に尊重されなければいけないと考えています。

リバタリアンにとって個人の自由が規制されても良いと言える理由はただ一つだけで、それは「自分の行為が他者の自由・権利を明確に侵害している場合」です。

他者が何かをやろうとしている時にそれを実力で妨害する行為、他者を殴打・脅迫・拘束・強姦したりして相手の身体・行動の自由を奪う行為、窃盗・強盗など他者の財産権を侵害する行為は、リバタリアンにとっても規制されるべき悪ですが、基本的に他者に危害を加えなければ売春でも大麻使用でも何をしても良いとする価値観があります。

2-2. 「みんな(社会)のため」という理由で、個人の自由を無理やりに規制することは許されない

「みんな(社会)のため」という理由で、個人の自由を無理やりに規制することは許されない

「みんな(社会)のため」という理由で、個人の自由を無理やりに規制することは許されないというのが、リバタリアンの典型的な価値観です。

リバタリアンは「みんなのためだからあなたが我慢しなさい」や「社会のために豊かなあなたが多く負担すべきです」といった共同体主義的(コミュニタリアニズム的)な価値観に真っ向から反対します。

リバタリアニズム(自由至上主義)では「自分が助けて上げたい個人」や「自分が貢献したい団体・慈善事業・社会」のために自発的な自己犠牲・自己負担を払うことには賛同しますが、「みんなのためだから・社会全体のためだから」という理由で個人に無理やり何らかの奉仕活動や寄付行為(多めの累進課税)をさせようとする強制には強く反対するのです。

2-3. 自由市場の競争原理の効率性と個人の私的所有権の正しさを強く信じている

自由市場の競争原理の効率性と個人の私的所有権の正しさを強く信じている

リバタリアンの分かりやすい特徴・価値観として、「自由市場の競争原理の効率性と個人の私的所有権の正しさを強く信じている」ということがあります。

リバタリアンは「自由市場主義者」であり、経済活動の自由を尊重して「公共事業・公務員の仕事増加」に反対しますが、特に政府の経済活動への規制・介入に反対する「自由放任主義(レッセ・フェール)」の立場を取ることが多くなっています。

政府が規制しない自由市場の競争原理がもっとも効率的で、市場競争の結果として手に入れた「個人の私的所有権・財産権」は絶対的なものとして守られなければならないとするのが、リバタリアンの特徴なのです。

2-4. 個人の自己責任と自律性を重視していて権力・他人の干渉を嫌う

個人の自己責任と自律性を重視していて権力・他人の干渉を嫌う

「個人の自己責任と自律性を重視していて権力・他人の干渉を嫌う」というのが、リバタリアンの特徴・価値観の一つになっています。

リバタリアンは基本的に自分の行為や判断の結果責任は自分個人で負わなければならないとする「個人主義的な自己責任原理」を重視しています。

私は自分の行為に対して自己責任を負うから、公権力や他人にもあれこれ指図されたくないというのがリバタリアンなのです。

個人は自律的・主体的に自分の人生を生きて、自分の選択・行為に対する自己責任を負うべきであり、その代わりに「権力・他人からも干渉や強制をされない」というのがリバタリアンの人間観・社会観になっています。

2-5. 国家権力といえども徴税・徴兵(徴発)・国民教育をする正当な権限はないと主張する

国家権力といえども徴税・徴兵(徴発)・国民教育をする正当な権限はないと主張する

リバタリアンの特徴・価値観として、「国家権力といえども徴税・徴兵(徴発)・国民教育をする正当な権限はないと主張する」ということが上げられます。

リバタリアンの最終的な目標は、アナキスト(無政府主義者)に近づく「国家(政府)の廃止」と言われることもありますが、それはリバタリアンが一般に「徴税・徴兵(徴発)・国民教育」をかなり嫌っているからです。

リバタリアンは個人の自由権や財産権を絶対的なものと前提するので、自発的な寄付以外の政府の強制的な徴税を「財産権の侵害」と考え、兵役義務などの政府の強制的な徴兵・徴発を「身体・行動の自由の侵害」と考えます。

「国民としての道徳・義務(自己犠牲)」を植え付けるような国民教育・国民統制にも、基本的に反対のスタンスを示すのです。

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この記事は2021年02月09日に更新されました。

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