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自分を客観的に見れる人と見れない人の違い

自分を客観的に見れる人と見れない人の違い | SPITOPI

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自分を客観的に見れる人と見れない人の違い

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「あの人は自分のことを客観的に見ていない」

「客観的に見たら、私ってかなり常識外れかも」

日常的にこんな言葉を耳にする機会は多いと思います。

あなたは「客観的に見た自分」を知っていますか? 改めて考えてみると、「客観的に自分を見る」とはどういうことなのか、わからなくなってきますよね。

それに、自分のことを「客観的に見られる人」というのは、どんな人なのでしょうか。

ここでは客観的とは何か、自分を客観的に見られる人の特徴、また見られない人の特徴、客観的に見られる人と見られない人の違い、自分を客観的に見ることのメリット、自分を客観的に見るコツについてお伝えします。

  • 客観的とは?
  • 自分を客観的に見られる人の特徴
  • 自分を客観的に見られない人の特徴
  • 自分を客観的に見られる人と見られない人の違い
  • 自分を客観的に見ることのメリット
  • 自分を客観的に見るコツ
  • まとめ

1. 客観的とは?

客観的とは?

「客観的」の反対語が「主観的」です。

「主観的」とは、自分ひとりのものの見方・感じ方しかしていないことを指します。

「客観的」とはその反対に、特定の立場にとらわれないで、ものごとを見たり考えたりすることです。

たとえば、目の前に家が2軒並んでいたら、どちらの家がより「大きいか」「きれいか」「新しいか」「住み心地がよさそうか」比較してみることができます。

ところが自分が一方の家に入っていたら、そういう比較ができるでしょうか? 仮に生まれてこの方ずっとその家から出たことがなければ、自分がどんな家に住んでいるか、外から見た様子を理解することができず、目の前にある家を見て、きっとこの家もこんなものなのだろうな、と思うことしかできないでしょう。

人間にとって「自分」とは、生まれてからずっと住んでいる家のようなものです。

その家がどんな家なのか、外に出たことがないから、全体を見ることはできないのです。

「主観」とは、「家の中から外を見ていること」、「客観」とは、「外から家を見ていること」だと考えればわかりやすいですね。

「自分を主観的に見る」とは、家の中から自分の家はこんな家なんだろうな、と空想している状態です。

「客観的に見る」とは、家の外から自分の家を見ることです。

もちろん現実的に私たちは外から見ることはできないのですが、人の話を総合したり、向かいの家の窓に映る自分の家の様子を見たり、グーグルマップの3D画像を見たりして、できるだけありのままに近い形で見ることです。

ここで、もしあなたが自分の家のことを、空想だけで「こんな家」だと思い込んでいたらどうでしょうか。

「カントリー風のかわいいおしゃれな家」だと思っているのに、人から「古いモルタルづくりのふつうの家だよ」と言われたら、そこに「ずれ」が生じますね。

外から見た人の意見をもとに、自分の空想を修正すれば問題は起こりませんが、いや、この人は嘘を言っている、と考えたとすると、このずれが原因で問題が起こってきます。

このように、主観と客観の間にずれが生じると、問題が起こる場合があるのです。

たとえば、モンスターペアレンツと呼ばれる人たちは、主観的には「かわいいわが子が不当な扱いを受けている」と感じて、学校に対して怒りを爆発させているのですが、客観的に見ると、その子の態度に問題があるのかもしれません。

あるいはまた、クレーマーと呼ばれる人たちも同様に、主観的には「店や商品や店のスタッフのせいで不具合が発生した」とクレームをつけているのに対し、客観的には商品の使い方が誤っていたり、スタッフに対して理不尽なサービスを要求しているのかもしれません。

このように、社会の中で生きていると、自分の「主観」と、自分以外の人から見たときの「客観」がずれていると、摩擦が起こってくるのです。

そのとき、客観的な視点を受け入れ、「ああそうか、自分の見方は主観的だったな」と主観を調整することによって、周囲との調和を図ることができます。

鏡やグーグルマップを使って自分の家を外から見るように、周りの人の意見を聞いたり、周りの人のものの見方や行動を、自分のそれと比較することで、「思い込み」ではなく、より「客観視」に近い見方で、自分を見ることができます。

特に、自分のものの見方や行動を、「仮に自分ではなく、ほかの誰かだったらどうだろう」と、自発的にチェックできる人を「自分を客観的に見られる人」と言うことができます。

逆に、自分のものの見方・考え方を絶対視して、あくまでも押し通そうとし、その結果、周りから「あの人はしょうがない人だね」と言われるような人は、「自分を客観的に見られない人」と言えるでしょう。

2. 自分を客観的に見られる人の特徴

自分を客観的に見られる人の特徴

2-1. 感情的にならない

感情的にならない

「自分を客観的に見られる人」の最大の特徴は、感情的にならないことです。

とりわけ、自分のことで怒ることが少ないのです。

周囲と意見が対立したときも、冷静に話し合い、結果的に受け入れられなくても怒ったり、不快な表情を浮かべたりしません。

それは、自分が怒っても、何の意味もないどころか、周囲の人までも不快な気持ちになり、ひいてはそれが「あの人は自分の意見が通らないと怒る、わがままな人だ」という評価になって返ってくることを知っているからです。

「意見をゴリ押しする自分」「怒っている自分」の姿を客観的に見られるからこそ、いったんは自分の意見を引っ込め、再度検討し、間違っていないと思ったら、アプローチを変えて提出します。

それが「自分を客観的に見られる人」のやり方です。

2-2. 自分のことを良く知っている

自分のことを良く知っている

「自分を客観的に見られる人」は、自己評価と、周囲の人がその人について抱いている評価の間に、大きなずれがありません。

「自分は分析は得意だが、あまり新しいアイデアを出したりするのは得意ではない」

「少人数で話すのは大丈夫なのだけれど、人前で話すのが苦手だ」

「私はちょっと人に対してキツいところがあるからな」

こうした自己評価を適切に下すことができるのも、自分を外から見る、客観視する、という視点を持っているからです。

2-3. 問題を起こさない

問題を起こさない

人が起こす問題のほとんどは、その人が必要とされている行動をしていないために生じます。

たとえばゴミの分別をしなかったり、交通法規を守らなかったり、支払いをしなかったりすると、たちまち問題になります。

「必要とされている行動」と、自分の欲求がバッティングすると、私たちは「必要とされている行動」に違反することがあります。

急いでいたから信号無視した、面倒くさいからゴミの分別をしなかった、お金がないから払わなかった…というように。

「自分を客観的に見られる人」は、自分の欲求から一歩離れて、「そうしないとどうなるか」を考えることができます。

ゴミの分別をしないで収集してもらえなければ、そこに残ってカラスが食い散らすかもしれない、ここの交差点は視界が悪いから、信号無視したら交通事故を起こすかもしれない、お金を払わなかったら、そこの店にもう行けなくなる…と、もし自分の欲求に従ったらどうなるかを見極め、総合的に判断するのです。

そして、判断した上で、「自分の必要とされている行動」をとります。

その結果、問題は起こりません。

2-4. コミュニケーション能力が高い

コミュニケーション能力が高い

「自分を客観的に見られる人」は、人の意見や批判に耳を傾けます。

「自分の長所」が本当に人から見てもそうなのか。

自分の知らない「欠点」はないか。

日ごろから、そういう面を意識して聞いているので、基本的に聞き上手になっていきます。

そこから「自分のことを『生意気』だと思っているこの人は、どうしてそんな風に思うのか」とさらに耳を傾け、だんだん「そう思うこの人はどんな人か」もわかってきます。

そうしているうちに、周囲の人の理解も進み、もっとうまく話を聞くことができるようになっていきます。

たいていの人は人の話を聞くより自分の話をする方が好きなので、人の話に耳を傾ける人は、結果的にコミュニケーション能力が高くなっていくのです。

3. 自分を客観的に見られない人の特徴

自分を客観的に見られない人の特徴

3-1. 自己中心的

自己中心的

「自分を客観的に見ない・見られない」ままでいると、自分の立場から一歩も離れることができません。

自分の見方がすべてであり、ほかの人が一体何を言おうが、考えていようが、一切気にすることもありません。

仮におなかが空いたら、「おなかが空いた」という感覚がその人にとっては絶対なので、勝手に食べ始める。

そういうことをしている自分を客観的に見られないために、それが場違いで不作法なことか気づきもしません。

そういう人は、周囲からは「自分を客観的に見られない人」ではなくて、「自己中心的な人」という評価をされます。

3-2. 感情的

感情的

「自分を客観的に見られない人」の言動は、かならず周囲と摩擦を起こします。

周りから批判されると、自分の立場からしかものが見られないために、すぐに怒り始めます。

暴走老人やモンスターペアレンツ「もたいてい怒っています。

「自分を客観的に見られない」ために、自分が言っていることが、自分だけの欲求に過ぎないことに気づかず、それが受け入れられないのも当たり前だということにも気づきません。

相手に自分の欲求を受け入れてもらうには、相手が受け入れやすいようなアプローチが必要だということなど考えたこともなく、ただただ自分の欲求を繰り返すのです。

3-3. 周りに対する要求が多い

周りに対する要求が多い

「自分を客観的に見られない人」にとって、自分を取り巻く人も自分とまったく同じように、それぞれに欲求を持ち、それを要求したり、抑えたりしていることは、うまく実感できません。

そのために、自分の欲求と他人の欲求がバッティングすることが想像できないため、要求が受け入れられないと怒り始めます。

「ここで自分が怒ると、周りの人からどのように思われるか」という視点がないために、平気で要求することができるのです。

「あれやって」「これやって」と要求ばかりしている人は、「要求ばかりする自分」を客観的に見られない人」なのです。

3-4. 「人のため」という発想がない

「人のため」という発想がない

「自分を客観的に見られない人」は「自分がどれだけ仕事ができる人間か」と自分で宣伝することで、「仕事ができる人」だと思ってもらおうとします。

評価は自分ではなく他人が下すものだという発想がないために、「人のために仕事をして、良い評価をもらおう」と考えることができません。

こういう人にとって周囲の人は、単に「自分の欲求を満たしてくれる人」でしかないのです。

4. 自分を客観的に見られる人と見られない人の違い

自分を客観的に見られる人と見られない人の違い

4-1. 自己評価について

自己評価について

じぶんについて適切に評価できている人は、「自分を客観的に見られる人」。

こういう人は返せない額の借金をしたり、できない仕事を引き受けたりすることもありません。

できることには自信を持っており、反面、低い評価をされたら、もちろんおもしろくはありませんが、それが理にかなっているかどうかを考え、自分に非があれば受け入れます。

それに対して「自分を客観的に見られない人」は、きちんと自己評価ができていないため、自慢したり、自分を大きく見せようとする一方で、コンプレックスも強く、ちょっとのことですぐ怒り出します。

自分の力量もわきまえないで仕事を引き受け、周囲に迷惑をかけるのも、「自分を客観的に見られない人」の特徴です。

4-2. 人間的な成熟度

人間的な成熟度

小さい子供は自分が世界の中心です。

次第に大きくなるにつれ、自分が世界の一員に過ぎないことを受け入れ、社会の中の自分を意識するようになります。

これもまた「自分を客観的に見る」ということの一部なのです。

つまり、「自分を客観的に見られる人」は、人間的に成熟していると言えます。

「大人」なのです。

反対に「自分を客観的に見られない人」は、いまだに自分が世界の中心の子供だと言えるでしょう。

4-3. パートナーとして

パートナーとして

仕事上でも私生活でも、「自分を客観的に見られる人」とパートナーを組むと、いろいろなことがとてもスムーズに運びます。

一緒に過ごすことで、学ぶ機会も多く、自分も成長できます。

反面「自分を客観的に見られない人」がパートナーだと、いろいろ問題が起こってくるでしょう。

ところがそんな人は、自分のせいだとは思わず、あなたに責任を押し付けてくるのです。

5. 自分を客観的に見ることのメリット

自分を客観的に見ることのメリット

5-1. 問題を突き止め、解決することができる

問題を突き止め、解決することができる

他人の問題だと「こうしたらいいのに」とよくわかるのに、自分のこととなると、どうしたらいいかわからなくなってしまう…。

そんな経験はありませんか? それは、自分のことは「こうしたい」という気持ちや「こうすべき」という義務感、「周りからどう思われるだろう」という疑問や、「うまくいかなかったらどうしよう」という懸念などがごちゃ混ぜになって、問題をややこしくしているからなんです。

そういうとき、自分のことを他人を見るような目で見ることによって、問題が一気に整理される場合があります。

つまり、自分を客観的に見るのです。

5-2. 仕事や勉強の実績が上がる

仕事や勉強の実績が上がる

自分を客観的に見ることによって、自分の力量や可能な仕事量が正確に把握できるようになります。

それができれば、自分の力以上の仕事を引き受けて、結果的に周囲に迷惑をかけてしまったり、自分にはふさわしくない目標を掲げて挫折したりすることもなくなります。

5-3. 討論ができるようになる

討論ができるようになる

会議の席で口をとざしたまま、貝になっていませんか? もちろん慣れの要素はありますが、会議で自分の意見を述べ、賛成できない場合の反体意見を展開するには、自分を客観的に見ることが何より必要です。

客観的に見ることによって、自分に求められている役割や相手の立場が理解でき、感情に任せた発言をすることもなくなります。

問題解決につながる発言ができるようになるのです。

5-4. 人間関係がうまくいく

人間関係がうまくいく

「自分のことを客観的に見られない人」は、自分の意見を押し通そうとしたり、自分の自慢ばかりしたりして、人間関係の摩擦の原因になっています。

逆に、「客観的に見られる人」は、相手の話をよく聞き、みんなで楽しめるように気を配ることができます。

その結果、「客観的に見られない人」の周りからは人がいなくなっていき、「客観的に見られる人」のところへ人が集まっていきます。

5-5. 自分をコントロールできる

自分をコントロールできる

「自分を客観的に見られる人」は、自分が感情的になっているときは、「ああ、自分は今、感情的になっているな」と気づくことができます。

「感情的になって、何か良いことがあるだろうか。

問題解決は遠くなるばかりではないか。

ひとつ深呼吸して、落ち着こう」と考えることによって、冷静さを取り戻すことができるのです。

人は怒っているときや、混乱したり、落ち込んだりしているとき、その気持ち自体にドライブがかかってしまって、どんどんその怒りや混乱が加速してしまうところがあります。

そのとき、客観的に「怒っている自分」を意識するだけで、状態はかなり改善されるのです。

6. 自分を客観的に見るコツ

自分を客観的に見るコツ

6-1. 「感じている自分」を意識する

「感じている自分」を意識する

自分を客観的に見る、といっても、最初は何をしたら良いか、よくわからないかもしれません。

そんなときは、手始めに「今の自分の感覚」を言葉に落とし込んでみましょう。

寒いか暑いか、心は穏やかか何か心配なことがあるのか。

気がかりなことはあるか。

何がしたいか。

こうやって自分の感覚をひとつひとつ確かめながら、自分を言葉でなぞっていきます。

こうしたトレーニングを重ねることで、次第に「怒っている自分」「有頂天の自分」を意識することができるようになります。

6-2. 周りの人やもの、出来事を「鏡」にする

周りの人やもの、出来事を「鏡」にする

私たちは、自分の姿を見ることはできません。

でも、鏡があれば、自分の姿を見ることができます。

それと同様に、周囲の人や、ものや出来事はあなたを映す鏡です。

「類は友を呼ぶ」という言葉がありますが、いつも一緒にいるあなたの友達は、あなたの似姿を映し出しています。

同じ学校や会社の人は、よく似た雰囲気を醸し出すものですから、あなた自身もそんな風に見えているのかもしれません。

また、好きなものを鏡にすることもできます。

サッカーが好き、写真を撮るのが好き、食べ歩きが好き、そんな趣味のある人は、同じような趣味の人を気を付けて見てください。

「自分はちょっと違うな」というところがあれば、そこを修正して、もっとあなた自身の姿に近づけることができます。

日本には「人の振り見て我が振り直せ」ということわざがありますが、これも人に自分を映し出す「鏡」にしているのです。

あらゆるものは、自分を映し出す鏡です。

その鏡を使って、「自分がどんな人間か」「客観的に見るとどうか」を知ってください。

まとめ

まとめ

ここでは客観的とはどういうことか、自分を客観的に見られる人・見られない人の特徴はどのようなものか、客観的に見られる人と見られない人の違いはどんなところにあるか、自分を客観的に見ることのメリット、自分を客観的に見るコツについてお話しました。

たいていの人は、ある程度までは自分を客観的に見ることができていることでしょう。

でも、最近どうもトラブルが多い、と思ったら、もう一度、他人のような目で、自分のことをスキャンしてみてください。

もしかしたら、気づかないうちに、ある面では自分のことを客観的に見られなくなっているのかもしれません。

「あの人は自分のことを客観的に見ていない」

「客観的に見たら、私ってかなり常識外れかも」

日常的にこんな言葉を耳にする機会は多いと思います。

あなたは「客観的に見た自分」を知っていますか? 改めて考えてみると、「客観的に自分を見る」とはどういうことなのか、わからなくなってきますよね。

それに、自分のことを「客観的に見られる人」というのは、どんな人なのでしょうか。

ここでは客観的とは何か、自分を客観的に見られる人の特徴、また見られない人の特徴、客観的に見られる人と見られない人の違い、自分を客観的に見ることのメリット、自分を客観的に見るコツについてお伝えします。


客観的とは?

「客観的」の反対語が「主観的」です。

「主観的」とは、自分ひとりのものの見方・感じ方しかしていないことを指します。

「客観的」とはその反対に、特定の立場にとらわれないで、ものごとを見たり考えたりすることです。

たとえば、目の前に家が2軒並んでいたら、どちらの家がより「大きいか」「きれいか」「新しいか」「住み心地がよさそうか」比較してみることができます。

ところが自分が一方の家に入っていたら、そういう比較ができるでしょうか? 仮に生まれてこの方ずっとその家から出たことがなければ、自分がどんな家に住んでいるか、外から見た様子を理解することができず、目の前にある家を見て、きっとこの家もこんなものなのだろうな、と思うことしかできないでしょう。

人間にとって「自分」とは、生まれてからずっと住んでいる家のようなものです。

その家がどんな家なのか、外に出たことがないから、全体を見ることはできないのです。

「主観」とは、「家の中から外を見ていること」、「客観」とは、「外から家を見ていること」だと考えればわかりやすいですね。

「自分を主観的に見る」とは、家の中から自分の家はこんな家なんだろうな、と空想している状態です。

「客観的に見る」とは、家の外から自分の家を見ることです。

もちろん現実的に私たちは外から見ることはできないのですが、人の話を総合したり、向かいの家の窓に映る自分の家の様子を見たり、グーグルマップの3D画像を見たりして、できるだけありのままに近い形で見ることです。

ここで、もしあなたが自分の家のことを、空想だけで「こんな家」だと思い込んでいたらどうでしょうか。

「カントリー風のかわいいおしゃれな家」だと思っているのに、人から「古いモルタルづくりのふつうの家だよ」と言われたら、そこに「ずれ」が生じますね。

外から見た人の意見をもとに、自分の空想を修正すれば問題は起こりませんが、いや、この人は嘘を言っている、と考えたとすると、このずれが原因で問題が起こってきます。

このように、主観と客観の間にずれが生じると、問題が起こる場合があるのです。

たとえば、モンスターペアレンツと呼ばれる人たちは、主観的には「かわいいわが子が不当な扱いを受けている」と感じて、学校に対して怒りを爆発させているのですが、客観的に見ると、その子の態度に問題があるのかもしれません。

あるいはまた、クレーマーと呼ばれる人たちも同様に、主観的には「店や商品や店のスタッフのせいで不具合が発生した」とクレームをつけているのに対し、客観的には商品の使い方が誤っていたり、スタッフに対して理不尽なサービスを要求しているのかもしれません。

このように、社会の中で生きていると、自分の「主観」と、自分以外の人から見たときの「客観」がずれていると、摩擦が起こってくるのです。

そのとき、客観的な視点を受け入れ、「ああそうか、自分の見方は主観的だったな」と主観を調整することによって、周囲との調和を図ることができます。

鏡やグーグルマップを使って自分の家を外から見るように、周りの人の意見を聞いたり、周りの人のものの見方や行動を、自分のそれと比較することで、「思い込み」ではなく、より「客観視」に近い見方で、自分を見ることができます。

特に、自分のものの見方や行動を、「仮に自分ではなく、ほかの誰かだったらどうだろう」と、自発的にチェックできる人を「自分を客観的に見られる人」と言うことができます。

逆に、自分のものの見方・考え方を絶対視して、あくまでも押し通そうとし、その結果、周りから「あの人はしょうがない人だね」と言われるような人は、「自分を客観的に見られない人」と言えるでしょう。

自分を客観的に見られる人の特徴

2-1. 感情的にならない

感情的にならない

「自分を客観的に見られる人」の最大の特徴は、感情的にならないことです。

とりわけ、自分のことで怒ることが少ないのです。

周囲と意見が対立したときも、冷静に話し合い、結果的に受け入れられなくても怒ったり、不快な表情を浮かべたりしません。

それは、自分が怒っても、何の意味もないどころか、周囲の人までも不快な気持ちになり、ひいてはそれが「あの人は自分の意見が通らないと怒る、わがままな人だ」という評価になって返ってくることを知っているからです。

「意見をゴリ押しする自分」「怒っている自分」の姿を客観的に見られるからこそ、いったんは自分の意見を引っ込め、再度検討し、間違っていないと思ったら、アプローチを変えて提出します。

それが「自分を客観的に見られる人」のやり方です。

2-2. 自分のことを良く知っている

自分のことを良く知っている

「自分を客観的に見られる人」は、自己評価と、周囲の人がその人について抱いている評価の間に、大きなずれがありません。

「自分は分析は得意だが、あまり新しいアイデアを出したりするのは得意ではない」

「少人数で話すのは大丈夫なのだけれど、人前で話すのが苦手だ」

「私はちょっと人に対してキツいところがあるからな」

こうした自己評価を適切に下すことができるのも、自分を外から見る、客観視する、という視点を持っているからです。

2-3. 問題を起こさない

問題を起こさない

人が起こす問題のほとんどは、その人が必要とされている行動をしていないために生じます。

たとえばゴミの分別をしなかったり、交通法規を守らなかったり、支払いをしなかったりすると、たちまち問題になります。

「必要とされている行動」と、自分の欲求がバッティングすると、私たちは「必要とされている行動」に違反することがあります。

急いでいたから信号無視した、面倒くさいからゴミの分別をしなかった、お金がないから払わなかった…というように。

「自分を客観的に見られる人」は、自分の欲求から一歩離れて、「そうしないとどうなるか」を考えることができます。

ゴミの分別をしないで収集してもらえなければ、そこに残ってカラスが食い散らすかもしれない、ここの交差点は視界が悪いから、信号無視したら交通事故を起こすかもしれない、お金を払わなかったら、そこの店にもう行けなくなる…と、もし自分の欲求に従ったらどうなるかを見極め、総合的に判断するのです。

そして、判断した上で、「自分の必要とされている行動」をとります。

その結果、問題は起こりません。

2-4. コミュニケーション能力が高い

コミュニケーション能力が高い

「自分を客観的に見られる人」は、人の意見や批判に耳を傾けます。

「自分の長所」が本当に人から見てもそうなのか。

自分の知らない「欠点」はないか。

日ごろから、そういう面を意識して聞いているので、基本的に聞き上手になっていきます。

そこから「自分のことを『生意気』だと思っているこの人は、どうしてそんな風に思うのか」とさらに耳を傾け、だんだん「そう思うこの人はどんな人か」もわかってきます。

そうしているうちに、周囲の人の理解も進み、もっとうまく話を聞くことができるようになっていきます。

たいていの人は人の話を聞くより自分の話をする方が好きなので、人の話に耳を傾ける人は、結果的にコミュニケーション能力が高くなっていくのです。

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この記事は2021年02月09日に更新されました。

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