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「明鏡止水」とは?明鏡止水に入る方法

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「明鏡止水」とは?明鏡止水に入る方法

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明鏡止水という四字熟語は日常でも良く耳にする言葉です。

その由来や意味について詳しく解説します。

  • 「明鏡止水」の意味とは?
  • 「明鏡止水」に関する故事
  • 「明鏡止水」の使い方
  • 「明鏡止水」の類語
  • 「明鏡止水」の対義語
  • 「明鏡止水」に入る方法
  • まとめ

1. 「明鏡止水」の意味とは?

「明鏡止水」の意味とは?

「明鏡」とは、一切の曇りがなく塵一つ付いていない鏡のことです。

「止水」とは、波一つ立たない静かに澄んだ水面のことを言います。

汚れのない落ち着いた様子を表す2つの言葉が合わさって、冷静沈着で、不安や苛立ちなど邪なものが一切ない、心が穏やかに澄み切った状態を表す言葉として使われています。

1-1. 「明鏡止水」の由来

「明鏡止水」の由来

「明鏡止水」は、「荘子」の徳充符にある「明鏡」と「止水」の二つの言葉が由来になっています。

徳充符には、徳に満ちた心は、人の外面にも表れる。

という内容の寓話が書かれています。

「明鏡」は、「鑑明らかなれば則ち塵垢止まらず、止まれば則ち明らかならざるなり(鏡に曇りがないのは塵が付いていないから、塵が付くと鏡は曇ってしまう)」という言葉に由来していて、「止水」は、人は流水に鑑みること莫くして、止水に鑑みる。

唯止まるもののみ能く衆衆の止まらんとするものを止む(流水を鏡として使うことはなく、静止している水を鏡とする。

不動の心を持つものだけが、安らぎを求める者にそれを与えることができる)」という言葉に由来しています。

1-2. 「明鏡止水」は座右の銘でも人気

「明鏡止水」は座右の銘でも人気

心に邪念が一切なく、静かに澄み渡った心境を表している「明鏡止水」は、座右の銘にしたい四字熟語として人気があります。

言葉の意味だけでなく、字面や響きがかっこいいというのも、人気の理由の1つになっています。

何事にも動じず、いつでも冷静で、物事の本質を見極められる心境になれる人というのは、誰もが憧れるものです。

1-3. 「明鏡止水」の読み方

「明鏡止水」の読み方

「明鏡止水」は、「めいきょうしすい」と読みます。

「明鏡」とは、良く磨かれて曇りのない鏡のことで、「めいけい」とも読まれます。

「止水」は流れがなく静かに止まった水面のことで、これらの状態から、安らかで落ち着いた心持ちのことを指す言葉として使われています。

清く澄んだ心を持つ人は、一切の偏見がなく、傲慢な振舞いもしません。

そして、穏やかで落ち着いた人の周囲には、自然と人が集まるものです。

「ただただ一切の思慮を捨ててしまって妄想や邪念が、霊智をくもらすことのないようにしておくばかりだ。

すなわちいわゆる明鏡止水のように、心を磨き澄ましておくばかりだ」という、氷川清話の勝海舟の言葉が良く知られています。

2. 「明鏡止水」に関する故事

「明鏡止水」に関する故事

2-1. 「荘子」徳充符の寓話1

「荘子」徳充符の寓話1

魯の国に、足切りの刑を受けた王駘(おうたい)という賢者がいました。

王駘のもとには何故か絶えずに弟子入りに来るものがいて、孔子よりも弟子が多いほどでした。

孔子の弟子が孔子に、なぜ王駘はあれほどの人気があるとかと問うと、孔子は次のように答えました。

「人は流れる水を鏡として使わず、静止している静かな水面を鏡とするものです。

止水のように穏やかで正しい心を持っている人は、周りの人の心も穏やかに正しくすることができるので、人を惹きつけ、その人の周りには人が集まるのです」これが「止水」の由来となっています。

2-2. 「荘子」徳充符の寓話2

 「荘子」徳充符の寓話2

鄭(てい)の国の申徒嘉(しんとか)と子産(しさん)は、同じ師の元で勉学に励んでいました。

申徒嘉は足切りの刑を受けた人物、子産は鄭の名大臣として知られた人物でした。

子産は申徒嘉に「君は私よりも身分も立場も下なのに、私に敬意を表さないのはなぜか」と問いました。

申徒嘉は「同じ師に師事しているあなたと私の立場は対等です。

あなたは自分の地位を鼻にかけ、他人を見下しています。

“鏡が曇らないのは塵がつかないからであり、塵がつくと鏡は曇る。

立派な人といると曇りは消える。

”ということわざがあるように、あなたは立派な師の元で長く学んでいて過ちがなくなるはずなのに、まだ偏見がなくならないのは、鏡に塵が留まっているのと同じではないですか」と答えました。

これが「明鏡」の由来となっています。

3. 「明鏡止水」の使い方

「明鏡止水」の使い方

「会社を退職して10年が経ちました。

今は、明鏡止水の心境で穏やかな日々を過ごしています」

「あの武道家が強いのは、明鏡止水の境地に達しているからだ」

「あの会社の社長は、明鏡止水の心でいつもどっしりと構えているから、社員も安心して付いていける」

「彼はいつも明鏡止水の心境でいられるから、どんなトラブルが起きても動じない」

4. 「明鏡止水」の類語

「明鏡止水」の類語

4-1. 「虚心坦懐」

「虚心坦懐」

「きょしんたんかい」と読みます。

心に不満や不信などのわだかまりが何もなく、素直で平静な心で物事に臨むこと、又、そうした様を意味しています。

虚心の虚には、「空っぽの、中身がない」といった意味があり、空っぽの心とは、つまり、何の先入観もわだかまりもない、素直な心ということになります。

「虚」は、超越した状態とも捉えられています。

坦懐は、大らかで落ち着いた平坦な気持ちといった意味になります。

心の中にある不満などのマイナスな感情はすべて取り去り、余計な考えを一切持たずに、素直で大らかな気持ちで人と接するということです。

4-2. 「光風霽月」

「光風霽月」

「こうふうせいげつ」と読みます。

心が清々しく澄み切ってわだかまりがない状態を意味します。

光風には「陽の光の中を吹き渡る爽やかな風」という意味があり、霽月には「雨上がりの澄み切った空に浮かぶ月」という意味があります。

澄み切った空に浮かぶ月の光は特に明るく、光りが冴えわたるものです。

さっぱりとして清々しい人柄を表すときに使われることが多い言葉です。

宋の黄庭堅(こうていけん)が周敦頤(しゆうとんい)の人柄を清々しい風と晴れた月に例えて褒め称えた、「宋史」の周敦頤伝にある故事に由来しています。

4-3. 「心頭滅却」

「心頭滅却」

「しんとうめっきゃく」と読みます。

心を無にすることです。

心頭は「心」を意味し、滅却は「消去する」ことを意味しています。

「心頭滅却すれば火もまた涼し」という言葉が有名ですが、これは、心の中にある邪念を取り除き、心を澄み渡った状態にすれば、火でさえも涼しく感じるようになるということで、心持ち一つで、苦痛も苦痛と感じなくなるという意味で使われます。

この言葉は、晩唐の詩人である杜荀鶴(とじゅんかく)の詩に出てくる「安禅必ずしも山水を須いず、心中を滅し得れば自ら涼し」に由来しています。

安らかな座禅のためには、必ずしも山水が必要なわけではない。

一切の邪念を取り払った心で臨めば、火でさえも涼しく感じる、といった意味合いの言葉です。

4-4. 「則天去私」

「則天去私」

「そくてんきょし」と読みます。

小さな私にとらわれず、身を天地自然にゆだねて生きて行くこと、という意味で、夏目漱石が作った言葉です。

これは、晩年の夏目漱石が、文学や人生の理想とした境地としてよく知られています。

則天は「自然の法則や普遍的な妥当性に従うこと」を意味し、去私は「私心を捨て去ること」を意味しています。

4-5. 「 大悟徹底」

「 大悟徹底」

「たいごてってい」と読みます。

一切の迷いや煩悩を無くし、悟りきることをいいます。

大悟は「迷いを捨て去り悟りの境地に達すること」を意味し、徹底は「隅々まで一貫している」という意味があります。

「だいごてってい」と読むこともあります。

5. 「明鏡止水」の対義語

「明鏡止水」の対義語

「明鏡止水」の対義語には、「疑心暗鬼」「意馬心猿」「玩物喪志」「焦心苦慮」があります。

「疑心暗鬼」は「ぎしんあんき」と読み、あらゆる物事に疑いの気持ちを持つようになり、何でもないことに怯えることを意味します。

「意馬心猿」は「いばしんえん」と読み、せわしなく走り回る馬や、騒ぎ立てる猿の落ち着きのない様子から、心が混乱していて落ち着きがない様子を表します。

「玩物喪志」は「がんぶつそうし」と読み、目新しいものや珍しい物に気を取られて、大切な目標や志を見失うことをいいます。

「焦心苦慮」は「しょうしんくりょ」と読み、気持ちが焦りあれこれ心配すること、心を痛め思いをめぐらし悩むことを表しています。

6. 「明鏡止水」に入る方法

「明鏡止水」に入る方法

6-1. 「自我をなくす」

「自我をなくす」

エゴを全て手放しましょう。

エゴが強いと、自分のことは大切に思えますが、自分以外のものは大切に思えなくなります。

自分を守るためには、自分以外のものを傷つけても壊してもいいと考えてしまうものです。

自分にとって都合の悪いこともしっかりと受け止め、自分以外の物事に対しても、思いやりの心を持って接することが大切です。

自我をなくすことで、あれが欲しい、こうして欲しい、こうあって欲しいといった欲が無くなります。

6-2. 「感謝できる心を持つ」

「感謝できる心を持つ」

全ての物事に対して感謝の心を持つように心がけましょう。

どんな些細な事にでも「ありがとう」と言える心が持てると、不快に感じたり、イライラしたり、不安になったり、焦ったりといったネガティブな感情がなくなってきます。

一日を感謝で始めて感謝で終わる習慣を付けると、自分は、自分を取り巻く自然や人や物事といった、自分以外のすべてによって生かされているのだという感覚を持つことができます。

6-3. 「謙虚な心を持つ」

「謙虚な心を持つ」

常に謙虚な姿勢でいるように心がけましょう。

年齢や立場や肩書、身なりで人を区別せず、全てに敬意を払える心を持つことが大切です。

目上の権力者には媚びて、目下の立場の弱い人には傲慢な振舞いをする、というようなことをしてはいけません。

誰にでも同じように接し、公平に振舞いましょう。

例え自分よりも若い人からでも、立場の低い人からでも、学べることは沢山あります。

全ての人が自分を成長させてくれるのだと認識し、敬うようにしましょう。

全ての人を敬って謙虚な姿勢でいるというのは、自分を卑下することではありません。

「どうせじぶんなんて」と、自分を否定することとは違います。

6-4. 「感情的にならない」

「感情的にならない」

イラついて怒ったり怒鳴ったり、傷ついて深く落ち込んで周囲の人を蔑ろにしたり、感情的になる人は、周囲の人たちを不快にさせることがあります。

常に穏やかでいつでも同じように大らかな気持ちを持っている人は、周囲の人たちも、穏やかな気持ちにさせてくれます。

又、感情的になって冷静さを失っては、物事の本質を見ることができません。

どんな時でも自分の感情に左右されず、何があっても動じない心を持つことが大切です。

6-5. 「限界を決めない」

「限界を決めない」

「もう無理だ」「これ以上は出来ない」と、自分の限界を作るのはやめましょう。

あなたの周りで起こる出来事や、あなたの目の前にある「やらなくてはいけないこと」は、全て、あなたを成長させるためにあります。

最初からできないと諦めたり、途中で投げたしたりすることは、自分の成長を止めてしまうことになります。

「自分にとって無理なことは何も起こらない」と思って行動していると、不思議と無理ではなくなります。

限界を設けないことで、自分を成長させ続けることができるのです。

「失敗したらダメな人だと思われる」という、周囲の目を気にしてしまうのも、良い事ではありません。

あくまでも「自分は自分」というスタンスで生きるようにしましょう。

6-6. 「執着心を捨てる」

「執着心を捨てる」

物事に対する執着心を捨てましょう。

見栄や欲というのは、人が本来持っている真っさらな心を曇らせてしまうものです。

曇った心では、物事の本質は見えません。

自分の本来の良さに気付くこともできなくなってしまいます。

「みんなが持っているものを私は持っていない」「みんなに羨ましがられるような物を持ちたい」「みんなよりも贅沢をしているから満足」といった気持ちは、全て他人が主体になっていて、自分というものがありません。

周囲の評価を気にしたり、無い物ねだりをするような心を捨てることができれば、自分自身と向き合うことができるようになり、素直な自分と対話することができるのです。

6-7. 「他人に嫉妬しない」

「他人に嫉妬しない」

嫉妬心というのは、とても醜い感情です。

自分にとって何も役に立たないばかりか、周囲を不快にさせてしまうものです。

他人に嫉妬する、妬む、という感情は、裏を返せば、他人を羨ましいと思うことで、それは、自分が持っていないものを手に入れたいと思う欲があるから湧いてくる感情です。

自分が今持っている素晴らしい物に気付けずに、他人が持っているものばかりを欲しがることは、大変に勿体ないことです。

自分は自分なのですから、自分に目を向けてみれば、自分は素晴らしいものを持っているということに気付けるでしょう。

そして、自分が持っていないものは、今の自分には必要ない物なのだということが認識できるようになるでしょう。

6-8. 「自分にも他人にも優しくなる」

「自分にも他人にも優しくなる」

自分に厳しく他人に優しい人、自分にも他人にも厳しい人、人には色々なタイプがありますが、明鏡止水の心を持ちたいのであれば、自分にも他人にも優しくなりましょう。

他人がミスをした時に腹を立てずにフォローできる人、そして、そんな自分を褒めてあげられるような人です。

他人のミスに腹を立てて責める人、自分のミスを他人のせいにする人、他人のミスも自分のミスであると、自分を責める人、もしあなたがそんな人だったとしたら、自分にも他人にも優しくできるように、意識を変えてみましょう。

6-9. 「自分の世界がすべてだと思わない」

「自分の世界がすべてだと思わない」

自分が見ている、知っている世界がすべてだと思ってはいけません。

自分が常識だと思っていることが、万人の常識だと思ってはいけません。

そして、自分の価値観とは違う価値観が沢山あることを知りましょう。

自分の知らないことはまだ沢山あります。

むしろ、知っていることなど一握りに過ぎません。

広い視野を持って世の中を見てみましょう。

あるとき「自分は井の中の蛙大海を知らず」だったことに気付くでしょう。

そして、自分とは異なる様々な価値観を、批判したり拒絶するのではなく、しっかりと受け入れましょう。

それが、広い心を持つということです。

6-10. 「好ましくないことも含め全てを受け入れる」

「好ましくないことも含め全てを受け入れる」

自分にとって都合の悪い事、好ましくない事も含めて全てを受け入れることができる大らかな心を持ちましょう。

誰にでも苦手な人や嫌いな人はいるものです。

でも、その人達を憎んだり拒絶したりしていても、何もプラスにはなりません。

嫌いな人や苦手な人のことを、自分自身を成長させてくれる存在として受け入れ、そのような人とご縁があったことに感謝しましょう。

人は誰もが皆強い心を持っているわけではありません。

弱い心から、道を誤った人や道に迷っている人がいたら、正しい道へ導く手助けをしましょう。

まとめ

まとめ

「明鏡止水」は、多くの人が座右の銘としている四字熟語で、明鏡止水の心を持ちたいと願う人は沢山います。

小さな心がけの積み重ねで、人は成長するものです。

何事にもざわつかない静かな心を持つことで、物事の本質を見極める力も身に付きます。

明鏡止水という四字熟語は日常でも良く耳にする言葉です。

その由来や意味について詳しく解説します。


「明鏡止水」の意味とは?

「明鏡」とは、一切の曇りがなく塵一つ付いていない鏡のことです。

「止水」とは、波一つ立たない静かに澄んだ水面のことを言います。

汚れのない落ち着いた様子を表す2つの言葉が合わさって、冷静沈着で、不安や苛立ちなど邪なものが一切ない、心が穏やかに澄み切った状態を表す言葉として使われています。

1-1. 「明鏡止水」の由来

「明鏡止水」の由来

「明鏡止水」は、「荘子」の徳充符にある「明鏡」と「止水」の二つの言葉が由来になっています。

徳充符には、徳に満ちた心は、人の外面にも表れる。

という内容の寓話が書かれています。

「明鏡」は、「鑑明らかなれば則ち塵垢止まらず、止まれば則ち明らかならざるなり(鏡に曇りがないのは塵が付いていないから、塵が付くと鏡は曇ってしまう)」という言葉に由来していて、「止水」は、人は流水に鑑みること莫くして、止水に鑑みる。

唯止まるもののみ能く衆衆の止まらんとするものを止む(流水を鏡として使うことはなく、静止している水を鏡とする。

不動の心を持つものだけが、安らぎを求める者にそれを与えることができる)」という言葉に由来しています。

1-2. 「明鏡止水」は座右の銘でも人気

「明鏡止水」は座右の銘でも人気

心に邪念が一切なく、静かに澄み渡った心境を表している「明鏡止水」は、座右の銘にしたい四字熟語として人気があります。

言葉の意味だけでなく、字面や響きがかっこいいというのも、人気の理由の1つになっています。

何事にも動じず、いつでも冷静で、物事の本質を見極められる心境になれる人というのは、誰もが憧れるものです。

1-3. 「明鏡止水」の読み方

「明鏡止水」の読み方

「明鏡止水」は、「めいきょうしすい」と読みます。

「明鏡」とは、良く磨かれて曇りのない鏡のことで、「めいけい」とも読まれます。

「止水」は流れがなく静かに止まった水面のことで、これらの状態から、安らかで落ち着いた心持ちのことを指す言葉として使われています。

清く澄んだ心を持つ人は、一切の偏見がなく、傲慢な振舞いもしません。

そして、穏やかで落ち着いた人の周囲には、自然と人が集まるものです。

「ただただ一切の思慮を捨ててしまって妄想や邪念が、霊智をくもらすことのないようにしておくばかりだ。

すなわちいわゆる明鏡止水のように、心を磨き澄ましておくばかりだ」という、氷川清話の勝海舟の言葉が良く知られています。

「明鏡止水」に関する故事

2-1. 「荘子」徳充符の寓話1

「荘子」徳充符の寓話1

魯の国に、足切りの刑を受けた王駘(おうたい)という賢者がいました。

王駘のもとには何故か絶えずに弟子入りに来るものがいて、孔子よりも弟子が多いほどでした。

孔子の弟子が孔子に、なぜ王駘はあれほどの人気があるとかと問うと、孔子は次のように答えました。

「人は流れる水を鏡として使わず、静止している静かな水面を鏡とするものです。

止水のように穏やかで正しい心を持っている人は、周りの人の心も穏やかに正しくすることができるので、人を惹きつけ、その人の周りには人が集まるのです」これが「止水」の由来となっています。

2-2. 「荘子」徳充符の寓話2

 「荘子」徳充符の寓話2

鄭(てい)の国の申徒嘉(しんとか)と子産(しさん)は、同じ師の元で勉学に励んでいました。

申徒嘉は足切りの刑を受けた人物、子産は鄭の名大臣として知られた人物でした。

子産は申徒嘉に「君は私よりも身分も立場も下なのに、私に敬意を表さないのはなぜか」と問いました。

申徒嘉は「同じ師に師事しているあなたと私の立場は対等です。

あなたは自分の地位を鼻にかけ、他人を見下しています。

“鏡が曇らないのは塵がつかないからであり、塵がつくと鏡は曇る。

立派な人といると曇りは消える。

”ということわざがあるように、あなたは立派な師の元で長く学んでいて過ちがなくなるはずなのに、まだ偏見がなくならないのは、鏡に塵が留まっているのと同じではないですか」と答えました。

これが「明鏡」の由来となっています。

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この記事は2021年02月09日に更新されました。

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