「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」は、中国古典を出典とすることわざで「小人物には大人物の志・目的の大きさは分からない」という意味を持っています。
「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」の由来・類語・例文・学びたい事などについて、徹底的に解説していきます。
- 「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」とは?
- 「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」の類語や言い換え
- 「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」の反対語や反対のことわざ
- 「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」の使い方や例文
- 「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」から学びたい事
- 「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」を分解して解釈
- まとめ
1. 「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」とは?
「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」はどんな読み方をするのでしょうか?「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」という故事成語(ことわざ)の歴史的・語源的な由来と合わせて紹介していきます。
1-1. 「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」の読み方と意味
「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」の読み方は、「えんじゃくいずくんぞこうこくのこころざしをしらんや」になります。
「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」の意味は、「見識の狭い小人物には、大人物の目的・志の大きさは分からない」ということです。
小人物を「燕雀=ツバメ・スズメなどの小鳥」に、大人物を「鴻鵠=白鳥・大型の鳥などの大鳥」に喩えた故事成語(ことわざ)になっています。
潜在的な実力や器量のある大人物が、自分を理解してくれない小人物を切り捨てて自己肯定して成功する未来を予見するような内容になっています。
1-2. 「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」の由来
「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」の故事成語(ことわざ)の由来は、古代中国の歴史家・司馬遷(しばせん)が書いた「史記 陳渉世家」にあります。
「史記 陳渉世家」は秦の時代の話なのですが、秦を転覆する壮大な野心を抱いている貧しい農民の陳勝(陳渉)が田畑を耕していて、雇っている主人に対して「私が富貴になったらあなたのことを忘れずにいます」と語りかけたところ、主人はその言葉を笑って「どうして俺に雇われて田畑を耕しているような貧しいお前が、富貴な身分(権力者・富豪)になどなれるのか?なれるはずがないだろう」と返事をしました。
その言葉を聞いた野心旺盛な陳勝(陳渉)は、「嗟乎(ああ)、燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」とため息をつきながら語ったのでした。
このエピソードでは、陳勝(陳渉)が「鴻鵠の大人物」に位置づけられ、雇い主の主人が「燕雀の小人物」に位置づけられているのです。
1-2-1. 陳勝は「陳勝・呉広の乱」で一時的にせよ楚王の地位に就いた
実際、その後に陳勝は徴兵に行く途中で秦に反旗を翻す「陳勝・呉広の乱(紀元前209年〜208年)」を起こしました。陳勝は一時的にせよ、旧・楚国の首都の陳城を占領して一帯を治める「楚王」の地位を勝ち取り、始皇帝が興した苛斂誅求(かれんちゅうきゅう,庶民を厳罰と重税で苦しめる)の秦が滅亡するきっかけを作ったのです。
一介の雇われ農民に過ぎなかった陳勝の大出世とそれを全く信じなかった主人のやり取りは、正に「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」の故事成語(ことわざ)を象徴するものであったと言えるでしょう。
2. 「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」の類語や言い換え
「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」の類語・言い換えには、どのようなものがあるのでしょうか?「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」の類語・言い換えとその意味について紹介していきます。
2-1. 「升を以て石を量る」
「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」の類語・言い換えとして、「升を以て石を量る」があります。
「升を以て石を量る」の読み方は、「しょうをもってこくをはかる」になります。
一升とは「約1. 8リットルの容量」を意味していて、一石とは「一升の約100倍の容量」を意味しています。
一升の枡の中には、一石の大きな量は全く入らず、升で石を軽量することはできません。
そのことから、小さな基準(ものさし)では大きな物・量を量ることはできないことを意味しています。
転じて、小人物には大人物の心中・大志は理解できないという意味になり、「升を以て石を量る」という故事成語(ことわざ)は「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」と同じ意味を持っているのです。
「升を以て石を量る」の出典は、「淮南子(えなんじ)」になります。
2-2. 「鷽鳩大鵬を笑う」
「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」の類語・言い換えとして、「鷽鳩大鵬を笑う」があります。
「鷽鳩大鵬を笑う」の読み方は、「がくきゅうたいほうをわらう」になります。
「鷽鳩(がくきゅう)」というのは小さい鳩(ハト)のことを意味しています。
「大鵬(おおとり)」というのは古代中国における伝説上の霊鳥で、九万里のはるか上空にまで舞い上がる飛行能力があるとされていました。
大して高く飛べない小さな鳩(ハト)が、伝説上の霊長である大鵬のことを笑うというのは、「自分の実力と大鵬の実力の双方が分かっていないこと」を示唆しています。
そこから転じて、小人物には大人物の目的・大志は理解できないという意味になり、「鷽鳩大鵬を笑う」という故事成語(ことわざ)は「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」と同じ意味を持っているのです。
2-3. 「猫は虎の心を知らず」
「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」の類語・言い換えとして、「猫は虎の心を知らず」があります。
「猫は虎の心を知らず」の読み方は、「ねこはとらのこころをしらず」になります。
「猫」と「虎」の動物は外見はかなり似ていますが、身体の大きさ(ボディーサイズ)と生態・気性の激しさ・攻撃能力が随分と違っています。
猫は結局、外見の大まかな特徴が似ているだけで、「虎の心」までは理解することができないのです。
そこから転じて、小人物には大人物の心理・大志を知ることはできないという意味が生まれ、「猫は虎の心を知らず」という故事成語(ことわざ)は「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」と同じ意味を持つようになったのです。
3. 「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」の反対語や反対のことわざ
「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」の反対語・反対のことわざには、どのようなものがあるのでしょうか?「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」の反対語・反対のことわざとその意味について紹介していきます。
3-1. 「英雄は英雄を知る」
「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」の反対語・反対のことわざとして、「英雄は英雄を知る(えいゆうはえいゆうをしる)」があります。
「英雄は英雄を知る」の意味は、「優れた資質・能力を持つ人は、自分と同じような優れた人物のことを知ることができる。
大人物は自分と同類の大人物の才能や資質を見抜くことができる」ということになります。
3-1-1. 「英雄は英雄を知る」の三国志の曹操と劉備の有名なエピソード
「三国志」の時代、曹操(そうそう)は将来自分のライバルになるであろう劉備(りゅうび)の隠された資質を見抜いていました。劉備が戦に敗れて城と領地を失い、曹操から保護されていた時のことです。
曹操が劉備を客分として酒宴に招き、お互いに「天下の英雄」について語り合っていたのですが、曹操は「今、天下にある英雄はただ私とあなただけである」と宣言します。
曹操から英雄的なライバルと見られてつぶされることを恐れた劉備は、雷鳴が鳴った瞬間に耳をふさいで怖がる振り(度胸のない弱い振り)をして見せました。
自分は「英雄などではない臆病者です」ということを態度で示した劉備でしたが、曹操は雷におびえる劉備の姿に大笑いしたものの、その目線は鋭く光っていて、「劉備が自分の将来のライバルになること」を逆に確信したのでした。
その後、劉備は天才軍師・諸葛亮孔明(しょかつりょうこうめい)に支えられて「蜀」という国を建国し、「魏」の王である曹操と対立することになったのでした。
4. 「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」の使い方や例文
「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」の一般的な使い方について解説して、いくつか実際の例文を示していきます。
4-1. 「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」の使い方
「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」の使い方は、「鴻鵠(大鳥、鵬)」に当たる優れた大人物が、「燕雀(小鳥)」に当たる大したことのない小人物に対して使うというのが原則になります。
一方、小人物の側が大人物の考えている目的・野心のことなど分かるはずがないという「開き直り・諦めのニュアンス」で用いられることもあります。
「鴻鵠に相当する大人物」というのは、「大きな目的・野望(大望)」を持っていて、その大きな目的・野望を実現できるだけの潜在的な能力・実力を持っている人物のことです。
「燕雀に相当する小人物」というのは、「大人物の潜在的な実力」を認識することができずに大言壮語している口だけの人と侮っている人物(庶民)のことです。
大人物が自分の実力を理解してくれない小人物を気にせずに、自己肯定する時に使うことができる
「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」の実際的な使い方は、「大きな目的・野望(大望)」を持っていて、その大きな目的・野望を実現できるだけの潜在的な実力・気概(意志の強さ)を持っている人物が主体になって使うということです。
自分に大きな目標・野心があってそれを実現するだけの潜在的な実力もあるが、まだその実力を実際に発揮できていない大人物が、自分の実力・志を理解できない小人物から軽視されている状況において、「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや(あなたのような小人物には私の大きな志は理解できないだろう)」と自己肯定的に使うことができます。
4-2. 「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」の例文の文章1
「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」を用いた例文としては、以下のような文章・状況を考えることができます。
普段は全く野心的な側面を見せなかった気弱な感じの彼が、社運と出世のかかった大勝負のプロジェクトにおいて、人間離れした八面六臂の大活躍を見せた。
その彼の常人とは思えない交渉能力と実務処理のスピードを見ていた周囲の同僚たちは、「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」というべき現実の事例を目の当たりにしたのだった。
その後、彼は短期間で営業本部長へと躍進し、M&Aで大規模なリストラの嵐が吹き荒れた時にも切られることはなく、合併した企業の役員にまで出世した。
その話を聞いて、かなり昔にリストラされた燕雀たる我々は、鴻鵠の才覚を隠していた彼の出世ぶりに感嘆させられてしまった。
4-3. 「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」の例文2
「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」を用いた例文としては、以下のような文章・状況を考えることができます。
先輩は確かに計算高くてビジネスにおいて利益の先読みをするのが得意だが、率直に言えば、小銭稼ぎのための小賢しい知恵が回るだけの人材であるとも言える。
先輩は酒を飲んだ時には必ず、直属の上司の悪口をぶちまけながら、「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」と上司を小物に見立てて自分は社内のリーダーになるのだと大言壮語をしている。
だが私が見る限り、先輩よりもその上司のほうがビジネスマンとしても人間としてもその器量がだいぶ上回っているように見える。
「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」と怪気炎を上げる勇ましい先輩の姿が余計に小さく見えてしまう最近は、先輩の愚痴・不満に付き合うことに疲れてきたのである。
5. 「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」から学びたい事
「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」という故事成語(ことわざ)から学びたい事には、以下のようなものがあります。
5-1. 他人に自分の才能が認められなくても腐らずに、自分の大きな志に向かって自信を持って前進することが大切である
「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」という故事成語(ことわざ)から学びたい事は、「他人に自分の才能が認められなくても腐らずに、自分の大きな志に向かって自信を持って前進することが大切である」ということになります。
みんなに自分の能力や才覚を認めてもらう必要はないのです。
大事なことは、人に認められなくても腐ったりいじけたりせずに、マイペースで自分の持てる力と可能性をフルに発揮することにあります。
自分に大きな志・目的があって、それを実現できるだけの潜在的な能力も備わっているのであれば、小人物のことなど気にせずに、自分の能力と目標に自信を持ってただひたすらに前進していくだけで良いのです。
自分に自信を持って目的達成に向けた努力を続けることの大切さを、教えてくれています。
5-2. 自分自身に本当の潜在的な能力が備わっていて行動力もあるのであれば、他人の批判・悪口など気にする必要はない
「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」という故事成語(ことわざ)から学びたい事は、「自分自身に本当の潜在的な能力が備わっていて行動力もあるのであれば、他人の批判・悪口など気にする必要はない」ということなのです。
自分が大きな目的を達成するだけの高い能力・実力を持っているのであれば、外野の雑音や小人物の悪口に耳を傾けて心を痛める必要などはないのです。
「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」という故事成語から、自分の本当の実力や意志の堅固さを理解する能力のない小人物の無責任な言葉(特に誹謗中傷の類の言葉)を気にする必要はないということを学ぶことができます。
5-3. 人は見かけによらないものだから、どんなに大したことがないように見える相手でも軽視して侮ってはならない
「人は見かけによらないものだから、どんなに大したことがないように見える相手でも軽視して侮ってはならない」というのが、「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」という故事成語(ことわざ)から学びたい事になります。
人は見た目の第一印象だけでは、「本当の実力+潜在的な能力・意志の強さ」を見極めることができません。
自分から見て大したことがない小人物に見える相手であっても、その後に大きな目的や野望を実現して、自分よりも上の立場の相手になってしまうことが少なからずあります。
つまり、人を見た目の第一印象だけで大した力がないと決めつけて、馬鹿にしたり軽視して侮ったりしてはいけないという事を教えているのです。
6. 「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」を分解して解釈
「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」という故事成語(ことわざ)を、各言葉ごとに分解して、それぞれの言葉の意味を詳しく解釈していきます。
6-1. 燕雀
「燕雀」とは、「ツバメ・スズメなどの小さな鳥」を意味する名詞です。
燕雀が小鳥を意味しているところから転じて、燕雀は「能力が低くて器量が小さい小人物」を意味するようになりました。
6-2. 安んぞ
「安んぞ(いずくんぞ)」とは、漢文において疑問・反語を表現するのに用いられる定型的な漢文の訓読語です。
「安んぞ」の下に推量の意味がある「知らんや」などの言葉を伴うことで、「どうして鴻鵠の志を知っているだろうか?いや、知らないだろう」という意味の反語文を形成します。
「安んぞ」そのものの意味は、「どうして・なぜ・何で」などの疑問文を構成する意味になります。
6-3. 鴻鵠
「鴻鵠」とは、「大鳥(鵬)・白鳥などの大きな鳥」を意味する名詞です。
鴻鵠が大鳥を意味しているところから転じて、鴻鵠は「能力が高くて器量が大きな大人物」を意味するようになりました。
6-4. 志
「志(こころざし)」とは、「ある大きな目的・目標を達成しようとする意志」のことを意味しています。
「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」では、鴻鵠(大人物)の持っている「志(大きな目的・野望)」を、燕雀(小人物)がどうしても理解することができないということが主題になっているのです。
6-5. 知らんや
「知らんや」は、「知るの未然形の“知らん”」に「疑問を示す“や”」が付いていることで、「知っているだろうか?」という意味を示しています。
上にある「安んぞ(いずくんぞ)」と「知らんや」がセットになることで、「どうして鴻鵠(大人物)の志を燕雀(小人物)が知っているだろうか?いや、どうせ知らないだろう」という反語文を形成しているのです。
まとめ
「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」という故事成語(ことわざ)の由来・類語・例文・学びたい事などについて徹底的に解説してきましたが、いかがだったでしょうか?
「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」には、「大人物の大志や目的は小人物には知ることができない」という意味があります。
「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」のことわざからは、「自分自身に本当の潜在的な能力が備わっていて行動力もあるのであれば、他人の批判・悪口など気にする必要はない」ことを学ぶことができます。
「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」の故事成語(ことわざ)について調べたい時には、ぜひこの記事を参考にしてみて下さい。
「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」は、中国古典を出典とすることわざで「小人物には大人物の志・目的の大きさは分からない」という意味を持っています。
「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」の由来・類語・例文・学びたい事などについて、徹底的に解説していきます。
1. 「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」とは?
「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」はどんな読み方をするのでしょうか?「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」という故事成語(ことわざ)の歴史的・語源的な由来と合わせて紹介していきます。
1-1. 「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」の読み方と意味
「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」の読み方は、「えんじゃくいずくんぞこうこくのこころざしをしらんや」になります。
「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」の意味は、「見識の狭い小人物には、大人物の目的・志の大きさは分からない」ということです。
小人物を「燕雀=ツバメ・スズメなどの小鳥」に、大人物を「鴻鵠=白鳥・大型の鳥などの大鳥」に喩えた故事成語(ことわざ)になっています。
潜在的な実力や器量のある大人物が、自分を理解してくれない小人物を切り捨てて自己肯定して成功する未来を予見するような内容になっています。
1-2. 「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」の由来
「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」の故事成語(ことわざ)の由来は、古代中国の歴史家・司馬遷(しばせん)が書いた「史記 陳渉世家」にあります。
「史記 陳渉世家」は秦の時代の話なのですが、秦を転覆する壮大な野心を抱いている貧しい農民の陳勝(陳渉)が田畑を耕していて、雇っている主人に対して「私が富貴になったらあなたのことを忘れずにいます」と語りかけたところ、主人はその言葉を笑って「どうして俺に雇われて田畑を耕しているような貧しいお前が、富貴な身分(権力者・富豪)になどなれるのか?なれるはずがないだろう」と返事をしました。
その言葉を聞いた野心旺盛な陳勝(陳渉)は、「嗟乎(ああ)、燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」とため息をつきながら語ったのでした。
このエピソードでは、陳勝(陳渉)が「鴻鵠の大人物」に位置づけられ、雇い主の主人が「燕雀の小人物」に位置づけられているのです。
1-2-1. 陳勝は「陳勝・呉広の乱」で一時的にせよ楚王の地位に就いた
実際、その後に陳勝は徴兵に行く途中で秦に反旗を翻す「陳勝・呉広の乱(紀元前209年〜208年)」を起こしました。陳勝は一時的にせよ、旧・楚国の首都の陳城を占領して一帯を治める「楚王」の地位を勝ち取り、始皇帝が興した苛斂誅求(かれんちゅうきゅう,庶民を厳罰と重税で苦しめる)の秦が滅亡するきっかけを作ったのです。
一介の雇われ農民に過ぎなかった陳勝の大出世とそれを全く信じなかった主人のやり取りは、正に「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」の故事成語(ことわざ)を象徴するものであったと言えるでしょう。
2. 「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」の類語や言い換え
「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」の類語・言い換えには、どのようなものがあるのでしょうか?「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」の類語・言い換えとその意味について紹介していきます。
2-1. 「升を以て石を量る」
「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」の類語・言い換えとして、「升を以て石を量る」があります。
「升を以て石を量る」の読み方は、「しょうをもってこくをはかる」になります。
一升とは「約1. 8リットルの容量」を意味していて、一石とは「一升の約100倍の容量」を意味しています。
一升の枡の中には、一石の大きな量は全く入らず、升で石を軽量することはできません。
そのことから、小さな基準(ものさし)では大きな物・量を量ることはできないことを意味しています。
転じて、小人物には大人物の心中・大志は理解できないという意味になり、「升を以て石を量る」という故事成語(ことわざ)は「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」と同じ意味を持っているのです。
「升を以て石を量る」の出典は、「淮南子(えなんじ)」になります。
2-2. 「鷽鳩大鵬を笑う」
「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」の類語・言い換えとして、「鷽鳩大鵬を笑う」があります。
「鷽鳩大鵬を笑う」の読み方は、「がくきゅうたいほうをわらう」になります。
「鷽鳩(がくきゅう)」というのは小さい鳩(ハト)のことを意味しています。
「大鵬(おおとり)」というのは古代中国における伝説上の霊鳥で、九万里のはるか上空にまで舞い上がる飛行能力があるとされていました。
大して高く飛べない小さな鳩(ハト)が、伝説上の霊長である大鵬のことを笑うというのは、「自分の実力と大鵬の実力の双方が分かっていないこと」を示唆しています。
そこから転じて、小人物には大人物の目的・大志は理解できないという意味になり、「鷽鳩大鵬を笑う」という故事成語(ことわざ)は「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」と同じ意味を持っているのです。
2-3. 「猫は虎の心を知らず」
「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」の類語・言い換えとして、「猫は虎の心を知らず」があります。
「猫は虎の心を知らず」の読み方は、「ねこはとらのこころをしらず」になります。
「猫」と「虎」の動物は外見はかなり似ていますが、身体の大きさ(ボディーサイズ)と生態・気性の激しさ・攻撃能力が随分と違っています。
猫は結局、外見の大まかな特徴が似ているだけで、「虎の心」までは理解することができないのです。
そこから転じて、小人物には大人物の心理・大志を知ることはできないという意味が生まれ、「猫は虎の心を知らず」という故事成語(ことわざ)は「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」と同じ意味を持つようになったのです。
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