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木を見て森を見ずの意味!由来・類語・反対語【特徴やビジネスでの考え方】

木を見て森を見ずの意味!由来・類語・反対語【特徴やビジネスでの考え方】 | SPITOPI

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木を見て森を見ずの意味!由来・類語・反対語【特徴やビジネスでの考え方】

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「木を見て森を見ず」というのは、物事の一部や細部にばかり意識が向いて、物事の全体を見失っていることですが、「木を見て森を見ずになりやすい人の性格・特徴」にはどのようなものがあるのでしょうか? 「木を見て森を見ずのビジネスを改善する考え方・仕事への応用」も含めて、色々な観点から詳しく解説していきます。

  • 木を見て森を見ずとは?:「木を見て森を見ず」ということわざの意味について
  • 木を見て森を見ずについて解説
  • 木を見て森を見ずの類義語・言い換え
  • 木を見て森を見ずになりやすい人の性格・特徴
  • 木を見て森を見ずのビジネス状況を改善する考え方・仕事への応用
  • まとめ

1. 木を見て森を見ずとは?:「木を見て森を見ず」ということわざの意味について

木を見て森を見ずとは?:「木を見て森を見ず」ということわざの意味について

「木を見て森を見ず」というのは、物事の一部や細部にばかり意識が向かってしまい、物事の全体を見失ってしまうことを意味しています。

目の前にある一本一本の木に注意が向けられることによって、「木=部分」が集まっている「森=全体」を認識することができなくなるのです。

あるいは、物事の一部分や細部といった大して重要ではないところにばかり気を取られて、「物事の本質・大切な部分」が見えなくなっていることを意味しています。

「木を見て森を見ず」という状態になってしまうと、視野が狭くなって物事の全体を見通すことができなくなり、重要な意思決定ができなくなります。

「木を見て森を見ず」で本質的な問題や状況に目を向けることができなくなると、本来の目的を達成することができなくなったりしてしまうのです。

2. 木を見て森を見ずについて解説

木を見て森を見ずについて解説

「木を見て森を見ず」ということわざ(諺)の「読み方・由来・英語・反対語」について、分かりやすく解説していきます。

2-1. 木を見て森を見ずの読み方

木を見て森を見ずの読み方

「木を見て森を見ず」の読み方は、「きをみてもりをみず」になります。

特別な読み方があるわけではなく、そのまま普通に「きをみてもりをみず」というように読んでいきます。

2-2. 木を見て森を見ずの由来

木を見て森を見ずの由来

「木を見て森を見ず」ということわざ(諺)の由来は、英語のことわざとしてある「You cannot see the wood for the trees.」を、日本語に翻訳したものと言われています。

この英語の直訳から転じて、目の前にある一本一本の木だけに注意を向けていると、「木=部分」が集まっている「森=全体」を認識することができないという意味が生まれたのです。

「木を見て森を見ず」ということわざでは、「木=部分・細部・枝葉末節・大して重要ではないもの・非本質的なこと」を意味していて、「森=全体・根本・要点・重要なもの・本質的なこと」を意味しています。

「木を見て森を見ず」ということわざから学ぶべき教訓は、「重要ではないもの・本質的ではないこと」の一部分に注意をとらわれずに、「重要なもの・本質的なこと」の全体を認識するようにしなさいということです。

2-3. 木を見て森を見ずの英語

木を見て森を見ずの英語

「木を見て森を見ず」の英語表現は、以下のようになります。

You cannot see the wood for the trees.
(木々を見ていては森というものを見ることはできない。)

一本一本の「木」というのは、飽くまで「森という全体」を構成する「限定的な一部分」に過ぎません。

目の前にある一本の木ばかりに意識を集中している限りは、その木がたくさん集まって構成される「森(全体)」というものをいつまでも認識することはできないのです。

2-4. 木を見て森を見ずの反対語

木を見て森を見ずの反対語

「木を見て森を見ず」の反対語のことわざになることわざには、以下のようなものがあります。

鹿を逐う者は兎を顧みず(しかをおうものはうさぎをかえりみず)

「鹿を逐う者は兎を顧みず」ということわざ(諺)の意味は、「大きな利益を狙う者は、小さな利益はまともに相手にしない」という意味になります。

大きな「鹿(しか)」の獲物を狙っている狩人は、小さな「兎(うさぎ)」の獲物が出てきても、敢えて一生懸命に追いかけようとはしないのです。

鹿という大きな獲物(利益)を最優先しているからで、兎という小さな獲物(利益)のことは二の次にして執着することがないということです。

「鹿を逐う者は兎を顧みず」ということわざに出てくる「鹿」は「森(全体・本命)」に当たり、「兎」は「木(部分・非本命)」に当たるということになります。

3. 木を見て森を見ずの類義語・言い換え

木を見て森を見ずの類義語・言い換え

木を見て森を見ずの類義語・言い換えに当たることわざ(諺)には以下のようなものがあります。

3-1. 木を数えて林を忘れる

木を数えて林を忘れる

木を見て森を見ずの類義語・言い換えのことわざとして、「木を数えて林を忘れる(きをかぞえてはやしをわすれる)」があります。

木を数えて林を忘れるの意味は、木を見て森を見ずとほぼ同じで、「物事の細部に気を取られてしまって、物事の全体・本質を見ることを忘れてしまう」という意味になります。

一本一本の木を数えていて、木が集まった林のことを忘れているのです。

3-2. 鹿を逐う者は山を見ず

鹿を逐う者は山を見ず

木を見て森を見ずの類義語・言い換えのことわざとして、「鹿を逐う者は山を見ず(しかをおうものはやまをみず)」があります。

鹿を逐う者は山を見ずの意味は、「利益を得ることに熱中している者は、他の大事な事柄が目に入らなくなってしまう」という意味になります。

鹿という大きな獲物ばかりを見ていて、山という全体が全く目に入っていない状態を示唆しています。

「鹿を逐う猟師は山を見ず(しかをおうりょうしはやまをみず)」という類似の意味を持つことわざもあります。

3-3. 金を攫む者は人を見ず

金を攫む者は人を見ず

木を見て森を見ずの類義語・言い換えのことわざとして、「金を攫む者は人を見ず(きんをつかむものはひとをみず)」があります。

金を攫む者は人を見ずの意味は、「ただ一つの物事だけに夢中になると、他の大事な事柄がまったく見えなくなってしまう」という意味になります。

古代中国で金を売る店から金をつかんで逃げた盗人が、役人に捕縛されて尋問された時に、「金を取る時には人が見えなくて、金だけしか見えなかった」と答えたという故事に由来しています。

「金を攫む者は人を見ず」という故事成語の出典は、「列子」になります。

3-4. 獣を逐う者は目に太山を見ず

獣を逐う者は目に太山を見ず

木を見て森を見ずの類義語・言い換えのことわざとして、「獣を逐う者は目に太山を見ず(けものをおうものはめにたいざんをみず)」があります。

獣を逐う者は目に太山を見ずということわざは、中国古典である「淮南子(えなんじ)」の説林訓にある「獣を逐う者は、目に太山を見ず」という言葉に由来しています。

獣を逐う者は目に太山を見ずの意味は、「利益(利益)を得ることばかりに集中している者の目には、他の重要なことが見えなくなってしまう」という意味になります。

獣(獲物)を必死に追いかけている者の目には、太山(泰山)という大きな山さえも目に入ってこないのです。

4. 木を見て森を見ずになりやすい人の性格・特徴

木を見て森を見ずになりやすい人の性格・特徴

「木を見て森を見ず」になりやすい人の性格・特徴には、以下のようなものがあります。

4-1. 目先の利益や目前の損得だけにとらわれやすい

目先の利益や目前の損得だけにとらわれやすい

木を見て森を見ずになりやすい人の典型的な性格・特徴として、「目先の利益や目前の損得だけにとらわれやすい」ということがあります。

木を見て森を見ずになりやすい人は、自分が今からやろうとしている仕事・活動について、「遠い将来にある目的達成・利益の獲得」をイメージすることができないのです。

その結果、すぐに手に入りそうな「目先の利益・目前の損得」だけにこだわって、木を見て森を見ずの状況になってしまいます。

4-2. 長期的な目標設定がなくて短期の目標・利益だけを目指している

長期的な目標設定がなくて短期の目標・利益だけを目指している

「長期的な目標設定がなくて短期の目標・利益だけを目指している」ということが、木を見て森を見ずになりやすい人の性格・特徴の一つになっています。

木を見て森を見ずになりやすい人は、自分の人生・仕事・人間関係における「長期的な目標設定・現実的なプランニング」がないことが多いのです。

数年単位以上の時間軸における「長期的な目標」を自発的に決めきれないので、結局、「短期の目標・利益」ばかりに振り回されることになり、木を見て森を見ずの状態になるのです。

4-3. 理性的に物事を考えずにその場の感情・気分に従って動いている

理性的に物事を考えずにその場の感情・気分に従って動いている

木を見て森を見ずになりやすい人の性格・特徴として、「理性的に物事を考えずにその場の感情・気分に従って動いている」ということを上げることができます。

木を見て森を見ずになりやすい人の性格は、「理性的・論理的に物事を考えること」が苦手なことが多いのです。

理性的に物事を考えることができないので、どうしてもその場その場の「感情・気分」によって自分の行動を決めやすくなってしまいます。

すぐに変化してしまう感情や不安定な気分に振り回される形で、自分の行動(重要な物事に関する行動)を決めてしまうので、「木を見て森を見ずのライフスタイル」に陥る結果になるのです。

4-4. 自己否定感が強くて自暴自棄になりやすい

自己否定感が強くて自暴自棄になりやすい

「自己否定感が強くて自暴自棄になりやすい」ということが、木を見て森を見ずになりやすい人の分かりやすい性格・特徴になっています。

木を見て森を見ずになりやすい人の性格特徴として、「自己否定感の強さ+自己評価の低さ」を上げることができます。

自己肯定感が強くて自己評価が高いという人は、自信を持って自分の人生設計(長期的目標に向かう計画)を組み立てて実行に移していくことができるので、「木を見て森を見ずの重要ではないことにこだわる行動」をすることが少ないのです。

自己否定感が強いといじけて自暴自棄になりやすく、「(長期的目標を意識することのない)衝動的な判断・行動」が増えてくるので、どうしても「木を見て森を見ずの状態」に陥りやすいのです。

4-5. 利己主義(エゴイズム)や自己愛が極端に強い

利己主義(エゴイズム)や自己愛が極端に強い

木を見て森を見ずになりやすい人の性格・特徴として、「利己主義(エゴイズム)や自己愛が極端に強い」ということを上げられます。

木を見て森を見ずになりやすい人の性格は、「他者に合わせた行動ができない+人間関係のバランスを考えた適切な振る舞いができない」ということがあります。

木を見て森を見ずになりやすい人は、利己主義(エゴイズム)や自己愛が極端に強い傾向があり、その影響で「他者との関係性を踏まえた全体的な目標・目的」を考えて行動することができないのです。

自分さえ良ければいいという利己主義、自分だけが特別な存在であるという自己愛が、「木を見て森を見ず」の自分中心の視野狭窄な世界観を作り上げてしまうのです。

4-6. 全体のバランスや最終的な結論を軽視してしまう

全体のバランスや最終的な結論を軽視してしまう

「全体のバランスや最終的な結論を軽視してしまう」ということが、木を見て森を見ずになりやすい人の性格・特徴になっています。

木を見て森を見ずになりやすい人の性格特徴として、「最終的な結論なんかどうでもいいから、とにかく今すぐに楽しいことをしたい」という刹那主義や自暴自棄があります。

あるいは、「物事・仕事・人間関係の全体のバランス」が分からずに、自分がやりたいことだけを無理やりにでもやろうとする自己中心的な行動パターンが多くなっているのです。

全体のバランス感覚を無視して、「最終的な結論」まで軽視すれば、「木を見て森を見ずの視野狭窄な考え方」に陥ってしまいます。

5. 木を見て森を見ずのビジネス状況を改善する考え方・仕事への応用

木を見て森を見ずのビジネス状況を改善する考え方・仕事への応用

「木を見て森を見ず」のビジネス状況を改善する考え方や仕事への応用にはどのようなものがあるのでしょうか?「木を見て森を見ず」のビジネスにおける考え方や仕事への応用事例について分かりやすく解説していきます。

5-1. 専門化・細分化による企業組織の全体的なパフォーマンス低下を改善する

専門化・細分化による企業組織の全体的なパフォーマンス低下を改善する

木を見て森を見ずのビジネス状況を改善して仕事に応用するためには、「専門化・細分化による企業組織の全体的なパフォーマンス低下を改善する」ことが必要になってきます。

現代の企業・組織では、企業活動の全体的な動き・問題点を見渡すことのできるゼネラリストが減っていて、自分の所属している部署や専門業務の内容だけしか分からない(他部署の仕事には興味すらない)というスペシャリストが増えています。

企業組織は経営を効率化させるために「専門化・細分化」を進めてきましたが、専門化・細分化が進み過ぎると、逆に全体的なパフォーマンスが低下してしまうのです。

それは「木を見て森を見ない人材」ばかりが増えているからであり、ビジネスの課題として、部署・専門分野を横断してビジネスや企業活動の全体を見渡して調整する人材の育成が求められているのです。

5-2. 短期的利益ばかりにこだわりやすいビジネスの近視眼的な目標設定を改善する

短期的利益ばかりにこだわりやすいビジネスの近視眼的な目標設定を改善する

「短期的利益ばかりにこだわりやすいビジネスの近視眼的な目標設定を改善する」ということが、木を見て森を見ずのビジネス状況を改善する考え方になってきます。

企業組織・ビジネスの目的は、民間企業であれば「利潤追求(利益追求)」になりますが、いくら短期的に大きな利益を上げても、長期的に稼げる仕組みが継続できなければ、企業活動はいずれ経営破綻に追い込まれてしまいます。

とにかく月間のノルマを達成して短期的利益さえどんどん積み重ねられればいいというのは、「木を見て森を見ず」に当てはまる近視眼的な目標設定に過ぎないのです。

近視眼的に短期の利益ばかりを追求し続けても、企業組織やその商品・サービスが全体としての需要・信用を生み出し続けなければ、企業が生き残ることにとっての本質的な意味はないのです。

5-3. 派閥グループによるセクショナリズムの弊害を排除する

派閥グループによるセクショナリズムの弊害を排除する

木を見て森を見ずのビジネス状況を改善して仕事に応用するには、「派閥グループによるセクショナリズムの弊害を排除する」ということが大切になってきます。

仕事状況や企業活動において「木を見て森を見ずの事態」になるのは、社内にいくつかの派閥グループができて影響力争いで対立する「セクショナリズム(部門主義)」が強まってきた時なのです。

派閥グループは「企業全体の利益」を無視して、「自分たちの派閥の利益・存続」だけを目的にして活動しています。

「木を見て森を見ずの事態」を改善するためには、「部分(派閥)の利益」ばかりを追求して同じ会社の仲間同士で争い合うセクショナリズムを、段階的に根絶させていく必要があります。

5-4. 新入社員の視野狭窄な働き方を指導とコミュニケーションで改善する

新入社員の視野狭窄な働き方を指導とコミュニケーションで改善する

木を見て森を見ずの仕事への有効な応用としては、「新入社員の視野狭窄な働き方を指導とコミュニケーションで改善する」ということがあります。

入社したばかりの新入社員は、ある程度の基礎知識や基本スキルがあるとしても、「会社組織全体の仕組み・目的+部署同士の相互関係」までは理解することができていません。

新入社員の間は、自分に与えられた「目の前の簡単な仕事」だけこなしていればいいという考え方もありますが、その考え方では「新入社員のやる気・アイデア・自発性」をダメにしてしまうのです。

新入社員が「受け身の仕事」を続けていると、その内、自分の目の前の業務だけをしていればいい(会社全体の仕組みや利益なんてどうでもいい)という「木を見て森を見ずの状態=本質的な役割を果たせない働き方」に陥りやすいのです。

上司・先輩は新入社員と共感的なコミュニケーションを取りながら、「今やってもらっている仕事が会社全体にとってどのように役立っていくのか」という仕組みを分かりやすく説明することで、「新入社員の視野狭窄的な働き方」を改善しやすくなります。

まとめ

まとめ

「木を見て森を見ず」ということわざ(諺)の意味を説明して、「由来・反対語・類義語・英語表現」を紹介してきましたが、いかがだったでしょうか? 木を見て森を見ずになりやすい人の性格・特徴として、「目先の利益や目前の損得だけにとらわれやすい」「利己主義(エゴイズム)や自己愛が極端に強い」などがあります。

木を見て森を見ずのビジネス状況を改善する考え方・仕事への応用には、「専門化・細分化による企業組織の全体的なパフォーマンス低下を改善する」「派閥グループによるセクショナリズムの弊害を排除する」などがあります。

「木を見て森を見ず」ということわざ(諺)について詳しく調べたい人は、ぜひこの記事を参考にしてみて下さい。

「木を見て森を見ず」というのは、物事の一部や細部にばかり意識が向いて、物事の全体を見失っていることですが、「木を見て森を見ずになりやすい人の性格・特徴」にはどのようなものがあるのでしょうか? 「木を見て森を見ずのビジネスを改善する考え方・仕事への応用」も含めて、色々な観点から詳しく解説していきます。


木を見て森を見ずとは?:「木を見て森を見ず」ということわざの意味について

「木を見て森を見ず」というのは、物事の一部や細部にばかり意識が向かってしまい、物事の全体を見失ってしまうことを意味しています。

目の前にある一本一本の木に注意が向けられることによって、「木=部分」が集まっている「森=全体」を認識することができなくなるのです。

あるいは、物事の一部分や細部といった大して重要ではないところにばかり気を取られて、「物事の本質・大切な部分」が見えなくなっていることを意味しています。

「木を見て森を見ず」という状態になってしまうと、視野が狭くなって物事の全体を見通すことができなくなり、重要な意思決定ができなくなります。

「木を見て森を見ず」で本質的な問題や状況に目を向けることができなくなると、本来の目的を達成することができなくなったりしてしまうのです。

木を見て森を見ずについて解説

「木を見て森を見ず」ということわざ(諺)の「読み方・由来・英語・反対語」について、分かりやすく解説していきます。

2-1. 木を見て森を見ずの読み方

木を見て森を見ずの読み方

「木を見て森を見ず」の読み方は、「きをみてもりをみず」になります。

特別な読み方があるわけではなく、そのまま普通に「きをみてもりをみず」というように読んでいきます。

2-2. 木を見て森を見ずの由来

木を見て森を見ずの由来

「木を見て森を見ず」ということわざ(諺)の由来は、英語のことわざとしてある「You cannot see the wood for the trees.」を、日本語に翻訳したものと言われています。

この英語の直訳から転じて、目の前にある一本一本の木だけに注意を向けていると、「木=部分」が集まっている「森=全体」を認識することができないという意味が生まれたのです。

「木を見て森を見ず」ということわざでは、「木=部分・細部・枝葉末節・大して重要ではないもの・非本質的なこと」を意味していて、「森=全体・根本・要点・重要なもの・本質的なこと」を意味しています。

「木を見て森を見ず」ということわざから学ぶべき教訓は、「重要ではないもの・本質的ではないこと」の一部分に注意をとらわれずに、「重要なもの・本質的なこと」の全体を認識するようにしなさいということです。

2-3. 木を見て森を見ずの英語

木を見て森を見ずの英語

「木を見て森を見ず」の英語表現は、以下のようになります。

You cannot see the wood for the trees.
(木々を見ていては森というものを見ることはできない。)

一本一本の「木」というのは、飽くまで「森という全体」を構成する「限定的な一部分」に過ぎません。

目の前にある一本の木ばかりに意識を集中している限りは、その木がたくさん集まって構成される「森(全体)」というものをいつまでも認識することはできないのです。

2-4. 木を見て森を見ずの反対語

木を見て森を見ずの反対語

「木を見て森を見ず」の反対語のことわざになることわざには、以下のようなものがあります。

鹿を逐う者は兎を顧みず(しかをおうものはうさぎをかえりみず)

「鹿を逐う者は兎を顧みず」ということわざ(諺)の意味は、「大きな利益を狙う者は、小さな利益はまともに相手にしない」という意味になります。

大きな「鹿(しか)」の獲物を狙っている狩人は、小さな「兎(うさぎ)」の獲物が出てきても、敢えて一生懸命に追いかけようとはしないのです。

鹿という大きな獲物(利益)を最優先しているからで、兎という小さな獲物(利益)のことは二の次にして執着することがないということです。

「鹿を逐う者は兎を顧みず」ということわざに出てくる「鹿」は「森(全体・本命)」に当たり、「兎」は「木(部分・非本命)」に当たるということになります。

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この記事は2021年02月01日に更新されました。

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