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悟りを開いた人の特徴(類語・使い方・悟りを開いた人物・開く方法)

悟りを開いた人の特徴(類語・使い方・悟りを開いた人物・開く方法) | SPITOPI

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悟りを開いた人の特徴(類語・使い方・悟りを開いた人物・開く方法)

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いい意味で「あの人ってなんとなく他人とは違うなぁ」と思った事はありませんか。

卓越しているというか、達観しているというか、何かを悟っているような人物に出会うと自分の価値観や環境と照らし合わせて、色々と考える事があるかもしれません。

私達は個人差はあっても物理的に恵まれた環境の中で生活をしています。

物欲はその最たるもので、お金などは上を見ればキリがありません。

また愛情や友情などの人の感情も同じだと思います。

人は他人との共存の中で生きているので、多かれ少なかれ他人と自分の事を比べてしまうものですが、一体悟りを開いているような人とはどのような人なのでしょうか。

  • 悟りを開くとは
  • 悟りを開いた人の特徴
  • 悟りを開くの類語
  • 悟りを開くの使い方【例文】
  • 悟りを開く方法
  • 悟りを開いたと言われている人物
  • まとめ

1. 悟りを開くとは

悟りを開くとは

悟りとは物事の真髄の意味を知ることや、理解を深めることをいいます。

また五感や第六感に至るまで研ぎ澄まされた感覚を持つことで、あらゆる事に繊細になる事をいいます。

感性や感覚の話なので目に見えるものではないですが、悟りの境地にいくと"無心の世界"や"無相の自己"などと表現されることがあり、無念無想の世界に行く事ができます。

「無」とは何も無い本当に「無」の世界な訳ですが、そこに辿り着くには相当な精神力が必要な事は想像に難くないと思います。

すべき事は沢山あると思いますが、とにかく何事にも変えられない強い意志、そして意外かもしれませんが何より「勇気」は一番重要かもしれません。

それは何者にも屈することのない、それを退けて前進するには勇敢な気持ちが必要になるからです。

悟りを開くには薄っぺらいうわべでは通用しません。

いつ何が起きても冷静沈着で公平に偏りなく、誰もが幸せになる方向を見出さねばいけません。

ちょっとやそっとの精神では一瞬でメッキが剥がれてしまうでしょう。

人は儚くて強く弱い生き物であり、怨み、僻み、妬むものです。

悟りに入ればそれすら可愛らしく思うかもしれません。

それは他人を一人の固体だと思っている事、自分の信念を貫きブレない事、決して自分に限界を作らない事を実践し守っているからかもしれません。

2. 悟りを開いた人の特徴

悟りを開いた人の特徴

2-1. 私利私欲がない

私利私欲がない

生物は全般的にそうですが、人は特に自分の利益や欲求を満たし、自分のことだけを考えて行動することがあります。

本能に忠実な姿が人間らしいと思われる事もありますが、その姿を俯瞰して見ると、四六時中エゴに振り回されて歩き回る姿に決して美しいとは感じないのではないでしょうか。

悟りを開くとはまず欲を捨てる事です。

欲は自分を満たすために湧き上がる感情ですがそれにはキリがありません。

常に上を見たり下を見ては自分の居場所を探し位置を確保しようとします。

誰よりも沢山大きく居場所を取ろうとしますが、悟りを開いている人は、それに全く意味がなく、人間を苦しめてしまう事を知っています。

自分以外の家族や大切な人を守るためなら意味が成立しますが、そうであっても欲深いことに変わりなく最低限の守り方で意志を通します。

2-2. 他人を気にしない

他人を気にしない

人は他人と比べて自分の価値や評価をくだすところがあります。

誰かと自分を勝手に比較しては優越感に浸ったり、逆に劣等感に苛まれては苦しむ事を繰り返し、嫉妬をしたり見下したりを繰り返します。

ですが冷静に考えてみると、それが一体何を生むのでしょう。

優越感に浸り他人より素晴らしいと思い込み、心の中でフンっと見下す事で幸せを感じる姿や心は満たされているのでしょうか。

そんなに羨ましいと思われたいのはどうしてでしょうか。

極端にいうと、この幸せは常に他人がいなければ感じる事が出来ないという事です。

優越感自体が何かと比較をしないと得られない物なので、一人では幸せになれない、つまり他力本願なのです。

もちろん劣等感も同じ原理になります。

誰かが作った基準やルール、思い込みなどに振り回されて自分を失くし、結局は他人軸で生きている事に踊らされている事に本人は気付いていません。

悟りを開くと自分軸で生きる事になるので他人が何を言おうと、言われようと気にもならないですし、心に入っても来ないでしょう。

その姿に相手は「強がり」だと思うかもしれません。

ですが「強がり」だと思うのは自分を上だと思っているからであり、強がって欲しいと、負けたくないと勝手に必死に比べているから生まれる感情です。

ですがそれすらも悟りを開くと幼い子供の戯言に聴こえるようです。

2-3. 執着心がない

執着心がない

欲を捨てる、自分軸で物を考えるようになると必然的に執着心がなくなるものです。

その執着心は人・物・お金全般においてなくなる事を表します。

常人は執着心がある事で自分を保とうとするところがあります。

その心の底にあるのは殆どが嫉妬心や劣等感であり、そこに縛られ自らを拘束してしまいます。

また拘りと執着は全く別のものであり、拘りは対象物に魅力や価値があるからこそ無意識に心が奪われてしまう状況ですが、執着はその対象物に魅力や価値を感じているのではなく、その対象物を見ている自分に囚われている状況をいいます。

執着心がなくなると、独占欲や劣等感から解放されるので憑物が取れたように自由な心境地になるでしょう。

自分が自分らしく、ありのままでいいのだと思えるので、全てが新鮮であり価値や値打ちのある事なのだと気付けるようになるようです。

2-4. 考え方にブレがない

考え方にブレがない

悟りを開くには強靭な精神力と勇気が必要になります。

ですがそんな状況になるには、考え方がブレブレであったり、気分で言う事が変わったり、感情で他人に八つ当たりするなどの事があっては到底悟りを開くにはメンタルクオリティが足りません。

何があっても感じても、常に正しく理性的に判断する事が大切なので、グラグラした考え方では毎回言う事や行動が変わってしまいます。

悟りとは全てを受け入れる事です。

来るもの拒まず、去る者追わず、相手を肯定・否定ではなく、認め受け入れる事なので自分の感情やら考え方が前面に出てしまっては全てのものを受け入れられなくなります。

悟りを開くと瞑想が出来る様になり、心の奥深い部分と対話をするようになります。

そこで人間の真理に常に触れるようになるので邪心が消え考えがブレなくなるのです。

2-5. 限界を決めない

限界を決めない

例えば「これ以上はやめる」「自分には無理だ」「向いていない」から諦めると自らの限界を決めるとします。

それによって何がもたらされるのでしょうか。

まず悟りを開くと感情をコントロールすることができるようになります。

無理をする事も手を抜く事もなく本来のままでいる事に意味があるので、限界という自己否定に繋がる発想を持っていません。

ダメだと決めつけているのは自分の思い込みであり感情です。

何に対し限界を感じボーダーを引くのでしょう。

つまりわざわざ"限界"を作る必要はなく自然に任せ赴くままに身を任せる事に意味があるのです。

2-6. 冷静で理性的

冷静で理性的

人が持っている大切で素晴らしい事の一つに感情があります。

「喜怒哀楽」
は唯一人にしかないものですがいい面も悪い面もあり、この感情のために苦労する事も少なくありません。

そもそも感情とは、これも唯一人にしかない「想像力」によって生まれるものですが、感情を受け取る側にも「想像力」が非常に重要になってきます。

この双方の想像力が釣り合わない時にトラブルや問題が起こり、人間関係がこじれてしまうのです。

ですがどちらにも穏やかでフラットな、相手を思いやる余裕があれば大きな問題にはならないはずです。

この状態を達観すると感情に振り回される事なく、冷静で穏やかで偏りのない言動を取れるようになります。

悟りを開くと常にこの冷静で理性的な状態が続く事になります。

3. 悟りを開くの類語

悟りを開くの類語

3-1. 超越する

超越する
  • 通常の状態や一般的な状態で考えられる程度の発想や想像をはるかに超えていること。常人には考えられないような発想をし、全てにおいてズバ抜けていること。
  • あまりにもレベルが違い世俗とはかけ離れた境地にあること
  • 順序や段階を飛び越えていきなり高い地位につくこと。飛び越して行く様。

3-2. 観照する

観照する
  • 主観を入れず物事を冷静に洞察し、意味を正しく知ること。
  • 対象である物の美を直接的に感じ取ること。

3-3. 開眼する

開眼する
  • 仏像や仏画を供養し、新しく眼を点じて魂を迎え入れること。また、その儀式。「大仏開眼」「開眼供養」などがある。
  • 真理を追究すること。

特に美術・技術・芸能の真髄を研究して極致を窮めること。

またその技を会得?(えとく)?すること。

4. 悟りを開くの使い方【例文】

悟りを開くの使い方【例文】
  • あの人は昔から苦労をしている。その事もあって悟りを開いたかのように冷静で落ち着いている
  • お釈迦様が悟りを開かれたのはアシュバッタ樹の下で石の鉢を使ったと言われています
  • 自力で悟りを開こうとするなんて不可能に近い事だけど、その考えに至るまでには何かよっぽどの事があったに違いない
  • まるで自分で悟りを開いたかのような立場で、他人の相談事に答えている
  • 5. 悟りを開く方法

    悟りを開く方法

    5-1. 感覚を大切にする

    感覚を大切にする

    自分が感じる全ての事をとにかく大切にしなければいけません。

    五感(視覚・聴覚・味覚・臭覚・触覚)は当然ですが、第六感である直感や勘、霊感などの目に見えない個体で変わるものこそ大切にし、研ぎ澄まさなければいけません。

    感覚は人によって変わります。

    人によって変わるという事は、それだけ選択肢があり可能性を秘めているという事なので、その感覚の幅やバリエーションが広いほど人間としての厚みが出て様々なものに対する余裕が生まれる事になります。

    特に平等にある訳ではない第六感に至っては、自分の精神力を集中させたり、より鋭く心の中と対話をしなければいけません。

    悟りを開くには感覚を鈍らせてはいけないのです。

    5-2. 全てを認める

    全てを認める

    先程も悟りとは、全てを受け入れる事で始まり、来るもの拒まず去る者追わず精神で相手の意志を尊重し、自然なまま受け入れる事だと述べましたが、この境地に達するまでには、相当な時間や精神力が必要になります。

    全てを受け入れ認めるにはそれだけの器が必要です。

    大きく緩やかで何にも動じる事のない心を養わなければいけません。

    また悟りの境地での全てを認めるとは、魂のレベルで受け入れるという事なのでただ相手の意見を聞く、今の状態を認めるという事ではなく、過去も未来もありのままの存在全てを受け入れるという意味になります。

    5-3. 冷静を保つ

    冷静を保つ

    悟りを開く事と感情は極地にあり正反対だと言えるでしょう。

    感情的でヒステリック、気分で八つ当たりをする悟りを開いた人などあり得ないのではないでしょうか。

    何かある度にアタフタしたり、バタバタ焦りまくりでは境地にいくどころか普段の人間関係もうまくいかないと思います。

    悟りを開いた人には独特のオーラがあります。

    人によっては何でも見抜かれているようでソワソワしてしまう人もいるかもしれませんが、殆どの場合はなぜか安心し、無条件に信用や信頼してしまうのではないでしょうか。

    ただ話を聞いてもらうだけで心のわだかまりが解けていくような気になるものです。

    それは相手が冷静であり正しく理性論な人物であるからこそなので、悟りを開くには自分の精神を無駄に騒がせたり、エネルギーを使わないように努力をしなくてはいけません。

    5-4. 物事をシンプル化する

    物事をシンプル化する

    まず人間関係がこじれてしまったり、トラブルが起こってしまう事がなぜか考えた事があるでしょうか。

    人には感情があります。

    それは人の数だけ存在し、それが交錯する事で面倒が起きるのです。

    また一人に一つしか感情がないわけではありません。

    嬉しい反面哀しんでいたり、笑いながらムカムカしている場合もあり単純な感情の行き来だけではないのでややこしくなるのです。

    またその上に立場や見栄、権力などが乗ってくるのでさらに絡まり収拾がつかなくなるのです。

    ですが人は本来シンプルなのです。

    好き・嫌い、必要・不必要など極端な話白か黒かで決まるのです。

    人間関係をスムーズにするためにグレーが必要だと思っているだけで、各々の感情にはグレーはありません。

    何らかの理由で感情を抑えれがためにグレーを作るわけで、シンプルになると余計なものを削ぎ落とせるようになってきます。

    5-5. 自分を知ること

    自分を知ること

    悟りを開く上で何よりも大切な事が自分を知ることです。

    自分は何者か、自分について何を知っているのか、どう見えていて、どうみせているのかなどの多角的な自己分析が出来ていないと話になりません。

    自分と向き合い自分と対話が出来ないと瞑想をし真理に辿り着く事も人とは何たるやを知る事すらできないからです。

    物事の成り立ち、意味や意義などを深く考える事、感情が発生するプロセスなども大切にしなければいけません。

    まず自分とは何かを問いかけてみて、対話をする事から始めなくてはいけません。

    6. 悟りを開いたと言われている人物

    悟りを開いたと言われている人物

    6-1. 釈迦

    釈迦

    釈迦とは約2600年前に人間の両親から生まれ仏の悟りを開いた人の事です。

    仏教は世界の三大宗教の一つでありそのトップにあげられています。

    釈迦は人間から生まれているので神ではなく人間になります。

    また4月8日が誕生日とされていて、「花祭り」といわれお祝いがなされる事もあります。

    釈迦は35歳の12月8日に仏の悟りを開き、80歳で亡くなるまでの45年間を、世界にいる全てのものに真理に沿った本当の幸せになれる道を説き続けてらっしゃいました。

    6-2. イエス・キリスト

    イエス・キリスト

    イエス・キリストは約2000年前に馬小屋で母親のマリアが処女のままで産んだ子といわれていて、キリストもまた神ではなく人間になります。

    紀元前6年から紀元後4年頃に活躍した宗教家であり、三位一体理論や聖書などで考え方を時、人々を救い幸せに導く教えを説きました。

    6-3. 空海

    空海

    空海は5年(774年) - 承和2年3月21日(835年4月22日))は平安時代初期の人物であり、高野山に金剛峰寺を構え真言宗を開いた高僧です。

    弘法大師と呼ばれ、日本を代表する悟りを開いた人物と言ってもいいでしょう。

    31歳の時に遣唐使として唐に渡り(当時の中国)に渡り密教を習得し帰国します。

    帰国後は厳しい荒修行の果てに悟りを開き、高野山を聖地とし真言宗を開きました。

    まとめ

    まとめ

    現在はものに溢れ、ないモノを探す方が難しいかもしれません。

    物理的には非常に恵まれてはいますが引き換えに失ったものも多いのではないでしょうか。

    金銭欲や物欲、人間関係などのしがらみなど、モノが豊富になればなる程ややこしくなりお互いが絡まりあって軋轢を生んでいる状態だと思います。

    お互いにシンプルに生きる事ができればもっと楽に自由になれるはずですが、一筋縄ではいかないのが人間かもしれません。

    そんな中で悟りを開く事は非常に難しく至難の業となるでしょう。

    悟りまで行かなくても変わりたいと思い少しずつ努力をしている方も少なくないと思います。

    昔、悟りを開いた人物達とは時代も背景も違うので同じようにする事は不可能かもしれませんが、日々悩み、自分なりに感情のあり方について訓練をしコントロールができるように努力をする事で、時間がかかっても悟りの境地に入っていく事ができるようになるかもしれません。

    自分の気持ちを解放し限界を設定せず自由に飛び回れるようになれれば、あらゆるものへの見方も観念も変わっていくのではないでしょうか。

いい意味で「あの人ってなんとなく他人とは違うなぁ」と思った事はありませんか。

卓越しているというか、達観しているというか、何かを悟っているような人物に出会うと自分の価値観や環境と照らし合わせて、色々と考える事があるかもしれません。

私達は個人差はあっても物理的に恵まれた環境の中で生活をしています。

物欲はその最たるもので、お金などは上を見ればキリがありません。

また愛情や友情などの人の感情も同じだと思います。

人は他人との共存の中で生きているので、多かれ少なかれ他人と自分の事を比べてしまうものですが、一体悟りを開いているような人とはどのような人なのでしょうか。


悟りを開くとは

悟りとは物事の真髄の意味を知ることや、理解を深めることをいいます。

また五感や第六感に至るまで研ぎ澄まされた感覚を持つことで、あらゆる事に繊細になる事をいいます。

感性や感覚の話なので目に見えるものではないですが、悟りの境地にいくと"無心の世界"や"無相の自己"などと表現されることがあり、無念無想の世界に行く事ができます。

「無」とは何も無い本当に「無」の世界な訳ですが、そこに辿り着くには相当な精神力が必要な事は想像に難くないと思います。

すべき事は沢山あると思いますが、とにかく何事にも変えられない強い意志、そして意外かもしれませんが何より「勇気」は一番重要かもしれません。

それは何者にも屈することのない、それを退けて前進するには勇敢な気持ちが必要になるからです。

悟りを開くには薄っぺらいうわべでは通用しません。

いつ何が起きても冷静沈着で公平に偏りなく、誰もが幸せになる方向を見出さねばいけません。

ちょっとやそっとの精神では一瞬でメッキが剥がれてしまうでしょう。

人は儚くて強く弱い生き物であり、怨み、僻み、妬むものです。

悟りに入ればそれすら可愛らしく思うかもしれません。

それは他人を一人の固体だと思っている事、自分の信念を貫きブレない事、決して自分に限界を作らない事を実践し守っているからかもしれません。

悟りを開いた人の特徴

2-1. 私利私欲がない

私利私欲がない

生物は全般的にそうですが、人は特に自分の利益や欲求を満たし、自分のことだけを考えて行動することがあります。

本能に忠実な姿が人間らしいと思われる事もありますが、その姿を俯瞰して見ると、四六時中エゴに振り回されて歩き回る姿に決して美しいとは感じないのではないでしょうか。

悟りを開くとはまず欲を捨てる事です。

欲は自分を満たすために湧き上がる感情ですがそれにはキリがありません。

常に上を見たり下を見ては自分の居場所を探し位置を確保しようとします。

誰よりも沢山大きく居場所を取ろうとしますが、悟りを開いている人は、それに全く意味がなく、人間を苦しめてしまう事を知っています。

自分以外の家族や大切な人を守るためなら意味が成立しますが、そうであっても欲深いことに変わりなく最低限の守り方で意志を通します。

2-2. 他人を気にしない

他人を気にしない

人は他人と比べて自分の価値や評価をくだすところがあります。

誰かと自分を勝手に比較しては優越感に浸ったり、逆に劣等感に苛まれては苦しむ事を繰り返し、嫉妬をしたり見下したりを繰り返します。

ですが冷静に考えてみると、それが一体何を生むのでしょう。

優越感に浸り他人より素晴らしいと思い込み、心の中でフンっと見下す事で幸せを感じる姿や心は満たされているのでしょうか。

そんなに羨ましいと思われたいのはどうしてでしょうか。

極端にいうと、この幸せは常に他人がいなければ感じる事が出来ないという事です。

優越感自体が何かと比較をしないと得られない物なので、一人では幸せになれない、つまり他力本願なのです。

もちろん劣等感も同じ原理になります。

誰かが作った基準やルール、思い込みなどに振り回されて自分を失くし、結局は他人軸で生きている事に踊らされている事に本人は気付いていません。

悟りを開くと自分軸で生きる事になるので他人が何を言おうと、言われようと気にもならないですし、心に入っても来ないでしょう。

その姿に相手は「強がり」だと思うかもしれません。

ですが「強がり」だと思うのは自分を上だと思っているからであり、強がって欲しいと、負けたくないと勝手に必死に比べているから生まれる感情です。

ですがそれすらも悟りを開くと幼い子供の戯言に聴こえるようです。

2-3. 執着心がない

執着心がない

欲を捨てる、自分軸で物を考えるようになると必然的に執着心がなくなるものです。

その執着心は人・物・お金全般においてなくなる事を表します。

常人は執着心がある事で自分を保とうとするところがあります。

その心の底にあるのは殆どが嫉妬心や劣等感であり、そこに縛られ自らを拘束してしまいます。

また拘りと執着は全く別のものであり、拘りは対象物に魅力や価値があるからこそ無意識に心が奪われてしまう状況ですが、執着はその対象物に魅力や価値を感じているのではなく、その対象物を見ている自分に囚われている状況をいいます。

執着心がなくなると、独占欲や劣等感から解放されるので憑物が取れたように自由な心境地になるでしょう。

自分が自分らしく、ありのままでいいのだと思えるので、全てが新鮮であり価値や値打ちのある事なのだと気付けるようになるようです。

2-4. 考え方にブレがない

考え方にブレがない

悟りを開くには強靭な精神力と勇気が必要になります。

ですがそんな状況になるには、考え方がブレブレであったり、気分で言う事が変わったり、感情で他人に八つ当たりするなどの事があっては到底悟りを開くにはメンタルクオリティが足りません。

何があっても感じても、常に正しく理性的に判断する事が大切なので、グラグラした考え方では毎回言う事や行動が変わってしまいます。

悟りとは全てを受け入れる事です。

来るもの拒まず、去る者追わず、相手を肯定・否定ではなく、認め受け入れる事なので自分の感情やら考え方が前面に出てしまっては全てのものを受け入れられなくなります。

悟りを開くと瞑想が出来る様になり、心の奥深い部分と対話をするようになります。

そこで人間の真理に常に触れるようになるので邪心が消え考えがブレなくなるのです。

2-5. 限界を決めない

限界を決めない

例えば「これ以上はやめる」「自分には無理だ」「向いていない」から諦めると自らの限界を決めるとします。

それによって何がもたらされるのでしょうか。

まず悟りを開くと感情をコントロールすることができるようになります。

無理をする事も手を抜く事もなく本来のままでいる事に意味があるので、限界という自己否定に繋がる発想を持っていません。

ダメだと決めつけているのは自分の思い込みであり感情です。

何に対し限界を感じボーダーを引くのでしょう。

つまりわざわざ"限界"を作る必要はなく自然に任せ赴くままに身を任せる事に意味があるのです。

2-6. 冷静で理性的

冷静で理性的

人が持っている大切で素晴らしい事の一つに感情があります。

「喜怒哀楽」
は唯一人にしかないものですがいい面も悪い面もあり、この感情のために苦労する事も少なくありません。

そもそも感情とは、これも唯一人にしかない「想像力」によって生まれるものですが、感情を受け取る側にも「想像力」が非常に重要になってきます。

この双方の想像力が釣り合わない時にトラブルや問題が起こり、人間関係がこじれてしまうのです。

ですがどちらにも穏やかでフラットな、相手を思いやる余裕があれば大きな問題にはならないはずです。

この状態を達観すると感情に振り回される事なく、冷静で穏やかで偏りのない言動を取れるようになります。

悟りを開くと常にこの冷静で理性的な状態が続く事になります。

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この記事は2021年02月01日に更新されました。

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