純粋な人とはよく聞く言葉です。
友人関係、職場での人間関係などでも、あの人は純粋な人であるといった評価をされている人はいます。
しかし、いったい純粋とはどのような定義なのでしょうか。
純粋な人という言葉を聞きすぎて、逆に漠然としたイメージになっていないでしょうか。
今回は、純粋である人の特徴や、純粋な人が生活で感じる様々なことをご紹介していきます。
- 純粋とは?
- 純粋な人の特徴
- 純粋な人が生きにくい原因
- 純粋な人に向いている仕事
- 純粋な人の恋愛傾向
- まとめ
1. 純粋とは?
純粋であるとは、辞書上で言えば「邪念がないこと」そして「ひたすら行うさま」とあります。
しかし、文字上で見る純粋と、実生活で感じる純粋さには隔たりがありますね。
純粋な人が持ちやすい特徴や、純粋さが故の生活上のメリット・デメリットを通して純粋さについて見直してみましょう。
2. 純粋な人の特徴
純粋な人は、共通の特徴を持っています。
それは、他者からの爽やかな評価です。
純粋さには様々なジャンルがあるのですが、どんな純粋さであっても他者に与える印象は共通しています。
形に差はあれど、爽快感や明るさ、総じてポジティブなイメージを持っているのです。
では、その差のある「形」とは、どのようなものなのでしょうか。
2-1. ひとつのことに集中できる人
他のことには目も触れず、たった一つのことをやり遂げる…
これは、かなりの率で純粋な人が持っている特徴のひとつです。
人間、作業中に気が散ってしまい、異なることをして効率が下がることがよくあります。
しかし、純粋な人は気が散ることが少なく、目の前のことに集中して取り組める人が多いのです。
それは、その作業に対しての愛情や意義をしっかりと理解し、感じているからにほかなりません。
例えば一日に何時間でもゲームができるといった人も、善悪のラインを除外すれば間違いなく純粋な人と言えるでしょう。
どんな道も、突き抜ければ爽やかなもの。
他者に迷惑さえ与えなければ、これほどすがすがしい行為はありません。
2-2. 他者の言葉に惑わされず、我が道を行く人
他人の言うことは、得てして邪念となり、自分のやっていることに疑いを持つ結果になることが多々あります。
しかし、純粋な人はいい意味で人の言葉に耳を貸しません。
人の言葉に耳を貸さないと言うといい意味に聞こえないかもしれませんが、今の世の中はNETしかりTVしかり、情報が多すぎるきらいがあります。
それに惑わされ、自らの行為を恥じたり、迷いが生じて立ち止まってしまう人はとても多いはずです。
しかし、ほかの人の話を聞かずに自らの道を行く人は、迷う人より常に一歩先に行くことができます。
どんな道でも、迷い休憩しながら行く道と、ただ目の前の道を歩くことに集中する道なら、後者の方が早く、確実に目的地にたどり着くのは自明の理です。
純粋な人とは、迷いの少ない人ともいえるのです。
2-3. 疑うことを知らず、誰にでも優しい人
人が困っている時、弱っている時。
愚痴を聞いたりすることはあっても、ほとんどの人は話半分で聞き流しているはずです。
それは大人の処世術としてとても正しく、ある意味で正解です。
しかし、純粋な人はそこで思い切り感情移入をしてしまいます。
なぜなら、目の前の人(それがNET上などであっても)が嘘をついたり、自分をだましたりするなどとは考えないからです。
あくまで話を聞いたとおりに受け取り、そしてそれに深く共感します。
そして、それに伴った助言をして相手を助けたいと願います。
純粋さを伴わない優しさはありません。
純粋な人は、かなりの可能性で優しいという属性を持ち合わせています。
2-4. 少々の失敗は多めに見る、長いスパンの目を持っている人
純粋さを失わない人は、例えばビジネスパーソンにも見ることができます。
ビジネスに失敗はつきものです。
そのビジネスの方向性を決める立場の人であれば、失敗したビジネスモデルに疑問を感じてしまいます。
その結果、やり方を根本から変えたり、そもそも撤退したりなどという事態が起こります。
しかし、純粋な人が責任者となっている企業や団体であれば、こういった心配は少ないと言えます。
彼らには、失敗の一度や二度など些末なこと。
なぜなら目的を果たすまでの経過すら、彼らにとっては必要な過程にすぎないからです。
純粋な人はただ目的地だけを見ており、ほかのことには目もくれません。
むしろ、そういった失敗こそ、目的地へ早くたどり着く必要悪として喜んで受け止めるでしょう。
2-5. 好奇心旺盛で、なんでも試したがる人
こどものような心を持つ、とはよく言いますが、そういった人もまた純粋な人です。
純粋な人は、他者に与えるイメージや印象を考慮しません。
ひるがえって言えば、他人などどうでもいいとすら思っている部分があります。
そのような人は、他者に何かを言われるというより先に、思いついたことを試したい、やってみたいと願い、そして素早く実行してしまいます。
問題行動であるとか、誰かに迷惑をかけるかもしれないということはまず考えず、とにかく自分の欲求に忠実であること。
これは幼児期のこどもにありがちな心理と考え方ですが、純粋な人はいくつになってもそのような衝動性を持ち合わせていることがあるのです。
3. 純粋な人が生きにくい原因
今までご紹介した中では、純粋な人は仕事や趣味などに埋没し、ある程度の成果をあげることができる人物像のように見えます。
しかしその反面、純粋な人はこと日本社会において生きづらさを感じることもままあります。
それではどうして、純粋な人は生きづらいと感じることがあるのでしょうか。
それは、純粋な人が持つ特徴がそのまま反転した理由が主になります。
3-1. 他人と折り合いをつけるのが難しい
まず、純粋な人は他者の言い分を聞かないことがよくあります。
これは自分の考えが確立されており、それを曲げる理由も、他者に妥協する必要も感じていないからです。
こういった特徴は、ビジネスの成功や特技の獲得などに大変役立つことではあります。
しかし、他者からすればこちらの言ったことを聞き入れてくれないことにより、ワンマンであるという印象を持ってしまうのです。
一対一の関係であればまだなんとかなりますが、特に問題なのは集団や団体になった時です。
ワンマンである、対話ができないという印象を持たれてしまうことは、信頼関係へ深刻なダメージを与えます。
多少の雑念があるくらいの方が、日本の社会では生きやすいのです。
3-2. 優しすぎて自らまでダメージを追ってしまう
純粋な人は、他者に優しくできます。
これは、自らが純粋なゆえ、嘘をつくということそのものが実感できないことだからです。
自分の前で弱っている、困っている人は全員がすべて、本当に弱っている人と思ってしまうのです。
しかし、実際の社会ではそのような事実はなく、本当は全く問題がないのにあえて困った様子を見せている人はとても多いです。
例えば仕事が終わらないとため息をついている人に、純粋な人は素直に助けの手を差し伸べるでしょう。
そしてその人は純粋な人に仕事を押し付け、手柄だけ横取りするといったことが起こり得るのです。
3-3. ほどほどに終わらせることができない
集中してひとつのことに取り組めるのは、子供のころは特に褒められる物事への向き合い方です。
しかし、大人ともなればある程度の折り合いをつけることが必要になってきます。
例えば立ち上げた事業を成功させるため、1年間会社に寝泊まりして仕事を行うということは、純粋がゆえにできることと言えるでしょう。
こういったことをすれば、業績は良くなり良い企業を作ることができるはずです。
しかし、企業だけにパワーを振り分けた結果、プライベートは完全に犠牲になってしまいます。
この例で言えば、もし家族がいた場合には見放されてしまうことも起こり得ます。
バランスをとることが難しい。
これは、純粋な人が生きづらくなってしまう理由の大きなひとつです。
3-4. ともすれば反社会的とみなされてしまう
純粋な人は好奇心や興味のまま行動することがあります。
常識的な人であればブレーキをかける行動でも、純粋がためにそのまま突っ走ってしまうこともよくあります。
また、社会的に完全な違反と言えなかった場合、法の目をくぐり抜ければ実行できると感じた時、法律としてグレーだったとしても実行してしまうこともあります。
悪気はなくとも、やってはいけないことはたくさんあります。
特に日本の社会において、そういったことは残念ながらとても多く存在すると言えます。
本人は純粋な気持ちでも、法律に照らし合わせると犯罪者になってしまう。
純粋な人は、このような形で不本意に罪を犯してしまう可能性があるのです。
3-5. 本音と建前のボーダーが見分けられない
人間は嘘をつこうとして嘘をつくことより、結果的に嘘になってしまうということもよくあります。
言ってはみたけれどできそうにないこと、本気で受け取ってほしくないことなど、純粋な人でなくても判断の難しいケースは世の中にあふれています。
当然純粋な人はこれを本当のこととして受け止め、その前提で行動します。
これは特に小規模でプライベートな集団で毛嫌いされる行為です。
友人間や小さい職場間など、責任の無い与太話が歓迎される場所で、純粋な人は困った存在として認識されてしまいます。
そして、純粋な人は空気の読めない人というレッテルを張られてしまうのです。
4. 純粋な人に向いている仕事
純粋な人は、できれば空気を読んだり、忖度しない仕事に就いた方がその特性を活かすことができます。
更に、なにかをやり続ける、そしてそれに疑問を感じない性質も踏まえると、向いている仕事が見えてきます。
4-1. プログラマやエンジニアなど
純粋な人は他の人の言葉を考慮することが苦手な傾向があります。
その反面、自らの好むことや信じたことは一心にやり遂げます。
これは、延々とパソコンに向かうプログラマやエンジニアに適した性質と言えます。
また、プログラミングとはそもそも、パソコン上でコンピュータに命令する言語です。
パソコンに言うものですから、あいまいな物言いや空気を読んでもらうといったことは一切通用しません。
しかし行間を読む必要がないことは、純粋な人にはむしろプラスに働きます。
純粋な人にとっては、人と人との空気感を読むことより、難解なプログラミングの方が明快で簡単に感じるのです。
4-2. アーティスト
独立独歩、自らの道を行くと言えば、芸術を様々な形で表現するアーティストが筆頭でしょう。
自らの表現したいことに、他者の意見は必要ありません。
ここでも、純粋な人が持つ特性が役に立ってきます。
しかし、さらに言うなら純粋な人の持つバランスの悪さが良い役割を果たします。
アートを形作るにあたり、作品上のバランス以外は取る必要はありません。
例えば予算であったり、日程であったり、人間関係であったりのバランスを考慮する必要はないのです。
この部分を考え、次回作などのために割り振りを考える人はアーティストではなく職業人です。
それが悪いとは言いませんが、その部分を思い切り振り切って、いい作品を出すためだけに邁進することは純粋な人にこそできるパフォーマンスと言えるでしょう。
4-3. 教師、保育士、介護士など
純粋な人は、人との関係をほどよくとることにはあまり向いていなません。
しかし、教師、保育士や介護士など、単純に社会性、合理性だけでは済まされない職業があります。
そのような職業で、最後に必要となってくるのは結局純粋さです。
もちろん、教師などはあまり一人に深入りすることも良くなく、受け持つ子供たちを均一に教育することは必要なことです。
しかしそれでもなお、純粋さを持った教師と持たない教師であれば、こども達に与える影響の良し悪しは言わずもがなでしょう。
こども達からしても、ビジネスライクにさらりとかわす教師より、不器用でも純粋な先生の方を慕うようになります。
純粋さは、教育者に必要不可欠であると言えます。
5. 純粋な人の恋愛傾向
純粋な人は、恋愛という一対一の個人的なパワーゲームは苦手です。
なぜなら、純粋な人は押して押して押しまくってしまうから。
それがいい意味でも悪い意味でも引くことはあまりなく、その結果疲弊してしまうことがよくあるからです。
5-1. やきもちを焼き過ぎてしまう
純粋な人は、自らの気持ちに正直ですし、また自らの気持ちを感じることが上手です。
そのため、パートナーにも自分と同じくらいの深さの感情を持ってもらいたいと願います。
しかし、パートナーとは言え別人格。
純粋な人がやらないであろう行為を行ってしまうことはよくあります。
例えば、一緒に会ってデートする頻度。
例えば、飲み会や付き合いに参加する回数。
そういった部分に違いを感じると、自分が感じる感情の深さより愛情をかけられていないと感じてしまうのです。
そのため、パートナーからすると当たり前の友人づきあいや会社の付き合いに関して嫉妬の感情を抱いてしまうことがよくあります。
5-2. 世話係になってしまうことがある
純粋な人は、心から相手が望むことをしたいと願います。
そのため、特にだらしのない人からすると格好の世話係になってしまうことがあるのです。
掃除ができない、料理ができない、大人であれば放っておけばいいことではありますが、純粋な人は放っておくことはできません。
相手の喜ぶ顔を見るため、かいがいしく世話を焼き、尽くします。
純粋であるがゆえ、自分が困った時の感情、そしてそれを助けてもらった時の感情を覚えており、相手に施したいと考えるからです。
しかしそれは、相手にとっても実はあまりよくないこと。
甘えに甘えたパートナーが生活力をなくしてしまうこともあるからです。
5-3. 悪気のある相手の気持ちを見抜けない
純粋な人の悲しく、一番悪いパターンの恋愛が悪気のあるパートナーとの交際です。
ここで言う悪気とは、明確に利用してやろうとか、食い物にしてやろうと言った圧倒的な悪気ばかりではありません。
少し面倒な手続き、やってくれないかなあ…というような、生活でのちょっとした甘えを持ったパートナー。
自分では自覚していないけれど、不安な気持ちを共有しないと精神的に不安定になってしまう…という依存心を持ったパートナー。
こういった、悪気と切り捨ててしまってはいけないような部分も過度にケアして増長させてしまう危険があるのが、純粋な人なのです。
当然、そもそも悪い人との恋愛は論外です。
純粋な人ほど、悪い人には気をつけましょう。
5-4. 良い相手と巡り合えればこれほど幸福なことはない
純粋な人にとって良い相手とは、自立心が高く、依存心を適度に持ったパートナーです。
純粋な人はともすればおせっかいになりがちです。
それを逆に断るような、しっかりとした自己を確立した人をパートナーに持つと、純粋な人は大変幸福な生活を送ることができるでしょう。
そもそも、自立心を持ち、他者のおせっかいを断ることができるパートナーとは、その人自体も純粋である必要があります。
そのため、純粋な人は純粋な人とパートナーシップを持つことこそ、素晴らしい愛情を育むことができると言えます。
まとめ
純粋であるということは、美しい類い稀な才能です。
現在の日本社会では、純粋であることを揶揄する動きも多分にあります。
確かに、純粋な人はある意味で愚かです。
しかし、それ以上に美しく、気高い心を持っていると言えます。
純粋な人は空気が読めなかったり、他人と歩幅を合わせられないがゆえに生きづらさを感じることすらあります。
しかしそれは卑下することでは全くありません。
堂々と胸を張り、その素晴らしい特性を活かしてほしいものです。
純粋な人とはよく聞く言葉です。
友人関係、職場での人間関係などでも、あの人は純粋な人であるといった評価をされている人はいます。
しかし、いったい純粋とはどのような定義なのでしょうか。
純粋な人という言葉を聞きすぎて、逆に漠然としたイメージになっていないでしょうか。
今回は、純粋である人の特徴や、純粋な人が生活で感じる様々なことをご紹介していきます。
1. 純粋とは?
純粋であるとは、辞書上で言えば「邪念がないこと」そして「ひたすら行うさま」とあります。
しかし、文字上で見る純粋と、実生活で感じる純粋さには隔たりがありますね。
純粋な人が持ちやすい特徴や、純粋さが故の生活上のメリット・デメリットを通して純粋さについて見直してみましょう。
2. 純粋な人の特徴
純粋な人は、共通の特徴を持っています。
それは、他者からの爽やかな評価です。
純粋さには様々なジャンルがあるのですが、どんな純粋さであっても他者に与える印象は共通しています。
形に差はあれど、爽快感や明るさ、総じてポジティブなイメージを持っているのです。
では、その差のある「形」とは、どのようなものなのでしょうか。
2-1. ひとつのことに集中できる人
他のことには目も触れず、たった一つのことをやり遂げる…
これは、かなりの率で純粋な人が持っている特徴のひとつです。
人間、作業中に気が散ってしまい、異なることをして効率が下がることがよくあります。
しかし、純粋な人は気が散ることが少なく、目の前のことに集中して取り組める人が多いのです。
それは、その作業に対しての愛情や意義をしっかりと理解し、感じているからにほかなりません。
例えば一日に何時間でもゲームができるといった人も、善悪のラインを除外すれば間違いなく純粋な人と言えるでしょう。
どんな道も、突き抜ければ爽やかなもの。
他者に迷惑さえ与えなければ、これほどすがすがしい行為はありません。
2-2. 他者の言葉に惑わされず、我が道を行く人
他人の言うことは、得てして邪念となり、自分のやっていることに疑いを持つ結果になることが多々あります。
しかし、純粋な人はいい意味で人の言葉に耳を貸しません。
人の言葉に耳を貸さないと言うといい意味に聞こえないかもしれませんが、今の世の中はNETしかりTVしかり、情報が多すぎるきらいがあります。
それに惑わされ、自らの行為を恥じたり、迷いが生じて立ち止まってしまう人はとても多いはずです。
しかし、ほかの人の話を聞かずに自らの道を行く人は、迷う人より常に一歩先に行くことができます。
どんな道でも、迷い休憩しながら行く道と、ただ目の前の道を歩くことに集中する道なら、後者の方が早く、確実に目的地にたどり着くのは自明の理です。
純粋な人とは、迷いの少ない人ともいえるのです。
2-3. 疑うことを知らず、誰にでも優しい人
人が困っている時、弱っている時。
愚痴を聞いたりすることはあっても、ほとんどの人は話半分で聞き流しているはずです。
それは大人の処世術としてとても正しく、ある意味で正解です。
しかし、純粋な人はそこで思い切り感情移入をしてしまいます。
なぜなら、目の前の人(それがNET上などであっても)が嘘をついたり、自分をだましたりするなどとは考えないからです。
あくまで話を聞いたとおりに受け取り、そしてそれに深く共感します。
そして、それに伴った助言をして相手を助けたいと願います。
純粋さを伴わない優しさはありません。
純粋な人は、かなりの可能性で優しいという属性を持ち合わせています。
2-4. 少々の失敗は多めに見る、長いスパンの目を持っている人
純粋さを失わない人は、例えばビジネスパーソンにも見ることができます。
ビジネスに失敗はつきものです。
そのビジネスの方向性を決める立場の人であれば、失敗したビジネスモデルに疑問を感じてしまいます。
その結果、やり方を根本から変えたり、そもそも撤退したりなどという事態が起こります。
しかし、純粋な人が責任者となっている企業や団体であれば、こういった心配は少ないと言えます。
彼らには、失敗の一度や二度など些末なこと。
なぜなら目的を果たすまでの経過すら、彼らにとっては必要な過程にすぎないからです。
純粋な人はただ目的地だけを見ており、ほかのことには目もくれません。
むしろ、そういった失敗こそ、目的地へ早くたどり着く必要悪として喜んで受け止めるでしょう。
2-5. 好奇心旺盛で、なんでも試したがる人
こどものような心を持つ、とはよく言いますが、そういった人もまた純粋な人です。
純粋な人は、他者に与えるイメージや印象を考慮しません。
ひるがえって言えば、他人などどうでもいいとすら思っている部分があります。
そのような人は、他者に何かを言われるというより先に、思いついたことを試したい、やってみたいと願い、そして素早く実行してしまいます。
問題行動であるとか、誰かに迷惑をかけるかもしれないということはまず考えず、とにかく自分の欲求に忠実であること。
これは幼児期のこどもにありがちな心理と考え方ですが、純粋な人はいくつになってもそのような衝動性を持ち合わせていることがあるのです。
スポンサーリンク