紫色の小さな花を咲かせるミヤコワスレは、古くから日本で親しまれてきました。
その名前は多くの人が一度は耳にしたことがあるポピュラーな植物です。
そんなミヤコワスレについて解説します。
- ミヤコワスレ(都忘れ)とはどんな花?
- ミヤコワスレ(都忘れ)花言葉
- ミヤコワスレ(都忘れ)を育てる時のポイント
- ミヤコワスレ(都忘れ)の名前の由来
- ミヤコワスレ(都忘れ)の種類
- ミヤコワスレ(都忘れ)に似た花(花言葉や特徴)
- 園芸品種
- まとめ
1. ミヤコワスレ(都忘れ)とはどんな花?
ミヤコワスレは、キク科ミヤマヨメナ属の多年草です。
東アジアを原産とし、本州、四国、九州の山地に自生しているミヤマヨメナの園芸品種につけられた和名です。
草丈は20~30cm程度です。
4月~6月にかけて野菊のように可憐で楚々とした小さな花を咲かせます。
原種のミヤマヨメナは薄い青色の花を咲かせますが、園芸品種であるミヤコワスレは紫、赤紫、青、白、ピンクなどの花を咲かせます。
江戸時代から品種改良が行われており、古くから親しまれてきた花です。
2. ミヤコワスレ(都忘れ)花言葉
「しばしの憩い」「しばしの慰め」「しばしの別れ」
承久の乱(1221年に後鳥羽上皇が鎌倉幕府に対して兵を挙げ、北条氏に敗れた兵乱)の際に佐渡へ島流しにされた後鳥羽上皇の息子である順徳天皇が、この花を見て「都への思いを忘れられる」と慰められたといわれています。
そんな逸話から、これらの花言葉が付けられたと言われています。
3. ミヤコワスレ(都忘れ)を育てる時のポイント
3-1. 栽培環境
日当たりが良く水はけの良い場所に植えましょう。
水はけの悪い場所に植える場合は、盛り土をしたり、腐葉土を混ぜるなどして水はけをよくしてから植え付けます。
強い日差しに弱いので夏には日よけをしましょう。
鉢植えの場合は、6月以降~秋は半日陰で育てます。
暑さには弱いので、風通しの良い場所が適しています。
寒さには強いですが、霜にあたったり凍結しない場所で育てましょう。
春以降の生育が悪くなります。
3-2. 水やり
庭植えの場合は、水やりはほぼ必要ありません。
鉢植えの場合は、土の表面が乾ききったら鉢底から水が出てくるまでたっぷりと水を与えます。
乾燥に弱いので適度な水分を保てるようにしましょう。
ただし、水のやりすぎは根腐れを起こす原因になりますので注意しましょう。
3-3. 肥料
庭植えの場合は、植え付けのときに、元肥として緩効性の化成肥料を土に混ぜておきます。
それ以外に肥料を与える必要はありません。
鉢植えの場合は、植え付けのときに、元肥として緩効性の化成肥料を用土に混ぜておきます。
3月~6月には、追肥として緩効性の化成肥料を与えます。
肥料の与え過ぎは根を痛めますので、用量を守って与えるようにしましょう。
3-4. 用土
庭植えの場合は、水はけの良い土に植えましょう
ミヤコワスレは弱酸性の土壌を好みます。
庭の土が酸性だった場合は、「消石灰」や「苔土石灰」などを使用して弱酸性になるように調整します。
鉢植えの場合も、水はけの良い弱酸性の土を使いましょう
赤玉土5:腐葉土3:酸度調整済みピートモス2の割合の混合土か、赤玉土5:腐葉土3:鹿沼土2の割合の混合土を用意しましょう。
3-5. 植え替え
5月~6月と9月~10月に行います。
庭植えの場合は、数年たつと生育が悪くなってきます。
数年に1回を目安に株分けと植え替えをすると生育が良くなります。
鉢植えの場合は、根の成長が旺盛で良く伸びるので、毎年植え替えをしましょう。
鉢底から根がでてきていたら、一回り大きサイズの鉢に植え替えます。
植え替えをすることで成長が促進されます。
3-6. ふやし方
ミヤコワスレは、株分けや挿し芽で増やすことができます。
株分け
5月~6月と、9月~10月に行いましょう。
株分けは植え替え時に行います。
株を掘り出したら、根に付いた土を落としてから株を切り分けます。
良く切れる園芸バサミなどを使い、なるべく根を痛めないように丁寧に作業をしましょう。
切り分けた株は、庭や鉢に植え付けます。
挿し芽
春になって伸びてきた芽を先端から2・3節のところで切り取ります。
茎の下半分に付いている葉を全て取り、茎の切り口を水に浸して一晩おきます。
新しい用土に茎を挿します。
直射日光が当たらない場所に置きましょう。
30日~35日ほどで根が生えてきます。
それまでは水やりをして土が乾かないように管理します。
根が生えてきたら、植え替えましょう。
3-7. 病気・害虫
白絹病
白絹病は、高温多湿の時期に発生します。
梅雨の時期には、なるべく雨に当てないようにしておきましょう。
白絹病が発生すると、表土が白い綿のようなもので覆われたようになります。
そのままにしておくと、立ち枯れ病につながります。
白絹病を発生させないために、風の通りが良く、水はけの良い環境で栽培するようにしましょう。
アブラムシ、ナメクジ
4月~11月頃に新芽や花芽にアブラムシが付きます。
アブラムシはキク科の植物を好みますので、薬剤を散布して予防しておきましょう。
アブラムシが付いているのを見つけたら、殺虫剤を使ってすぐに駆除します。
5月~7月の多湿になる時期にはナメクジが活発に活動をします。
新芽や花芽が食べられてしまいますので、薬剤を使うなどしてナメクジが寄り付かないようにしておきましょう。
3-8. 手入れ
花が咲き終わったら花がらは取り除きましょう。
花がらをそのままにしておくと病気の原因になります。
早い時期から開花した株は、3月~4月に茎を切り戻しておくと脇芽が伸びてきますので、再度花を楽しむことができます。
4. ミヤコワスレ(都忘れ)の名前の由来
ミヤコワスレはミヤマヨナメの園芸品種に付けられた和名で、「都忘れ」とも書きます。
この名前は、鎌倉時代に島流しにされた順徳天皇の言葉に由来していると言われています。
鎌倉幕府の討幕を企てて挙兵した後鳥羽上皇が北条氏に敗北した承久の乱では、後鳥羽上皇の息子である順徳天皇が佐渡へ島流しにされました。
その順徳天皇がこの花を見て、「都への思いを忘れられる」と言ったことから「ミヤコワスレ(都忘れ)」と名付けられたと言われています。
学名をGymnaster savatieriといい、Gymnaster はミヤマヨメナ属を意味し、savatieri は日本の植物を採集していたフランス人医師の名前サバチェ(P. Savatier)から付けられました。
5. ミヤコワスレ(都忘れ)の種類
5-1. ミヤマヨメナ(深山嫁菜)
学名:Miyamayomena savatieri
本州、四国、九州の山地の木陰に自生しているキク科ミヤマヨメナ属の多年草で、5月~6月に4cm程の小さな淡い青色の花を咲かせます。
草丈は20~50㎝程になります。
ノシュンギク(野春菊)とも呼ばれています。
野菊は通常は秋に花を咲かせますが、ミヤマヨメナは野菊としては珍しく春に花を咲かせることから、この別名が付けられたとされています。
ミヤコワスレは、ミヤマヨメナの園芸品種の和名です。
5-2. シュンジュギク(春寿菊)
学名:Miyamayomena savatieri subsp. pygmaeus
シュンジュギクは,キク科ミヤマヨメナ属の多年草で日本固有種です。
近畿地方から西と四国に分布しており、山地の林の中や谷筋などに自生しています。
ミヤマヨメナの変種で、小型で葉の光沢が強いのが特徴です。
草丈は10cm程と小さい品種ですが、場所によっては大型のもが自生しているところもあります。
茎の先端に1輪~数輪の白い花を咲かせます。
花は2cm程と小さく、野草らしい趣があります。
薄い紫色や赤紫色の花を咲かせるものもあります。
学名の pygmaeus には「ごく小さい」という意味があります。
6. ミヤコワスレ(都忘れ)に似た花(花言葉や特徴)
6-1. ノコンギク(学名:Aster microcephalus var. ovatus )
キク科シオン属(アスター属)の多年草です。
原産地は日本で、日本各地の草原で見ることができます。
漢字では野紺菊と書きます。
野菊とも呼ばれています。
草丈は30~100cm程になり、7月~10月に紫やピンク色の花を咲かせます。
暑さにも寒さにも強い丈夫な品種で、初心者にも育てやすい花です。
花言葉は「守護」「忘れられない想い」「長寿と幸福」
6-2. コンギク(学名:Aster microcephalus var. ovatus)
キク科シオン属(アスター属)の多年草です。
ノコンギクの園芸品種で、古くから栽培されてきました。
本州から九州にかけて野生化しており、草地や庭先などに生えます。
8月から11月に3cm程の青紫色の花を沢山咲かせます。
ノコンギクより花色が青く鮮やかなのが特徴です。
漢字では紺菊と書きます。
草丈は30~40cm程に育ちます。
暑さにも寒さにも強い丈夫な品種で、初心者にも育てやすい花です。
花言葉は「秘めた恋」
6-3. ヨメナ(学名:Kalimeris yomena Kitam)
キク科ヨメナ属の多年草です。
本州中部以西、四国、九州の道端や山間の湿地で見ることができます。
7月~10月頃に薄い紫色や白色の花をさかせます。
漢字では嫁菜と書きます。
名前の由来は美しく優しい花を咲かせる様子から、「嫁」の名が付けられたと言われています。
ハギナ(萩菜)、ヨメハギ(嫁萩)、ヨメガハギ(嫁萩)、ヨメグサ(嫁草)、ノギク(野菊)など、多くの別名を持っています。
若芽は、炊き込みご飯やお浸しなどにして食べられています。
花言葉は「従順」「隠れた美しさ」
6-4. アズマギク(学名:Erigeron thunbergii )
キク科ムカシヨモギ属の多年草です。
本州中部地方、関東地方、東北地方に分布しており、日当たりの良い山地や草原で見ることができます。
4月~5月(自生地では5月~6月)に紫、ピンク、稀に白色の花を咲かせます。
草丈は15~30cmほどになります。
高山では変種が多く見られます。
漢字では東菊と書きます。
関東地方から東北地方にかけてよく見られることから、東国の菊という意味でこの名が付けられたと言われています。
花言葉は「尊い愛」
6-5. イングリッシュデージー(学名:Bellis perennis)
キク科ヒナギク属の一年草で、西ヨーロッパを原産地とするデージーの原種です。
草丈は10cm程で、2月~4月に2~3cmの一重の白い花を咲かせます。
赤紫色やピンク色が混ざることもあります。
暑さに弱いため日本では一年草扱いをされますが、寒冷地では多年草になります。
寒さに強くこぼれ種でも増えるくらい大変丈夫で、初心者にも育てやすい品種です。
ローンデージーとも呼ばれています。
一般的なデージーと比べて花は小振りで控えめな印象ですが、イングリッシュデージーの清楚な花姿は人気が高く、庭植えや鉢植えによく利用されています。
花言葉は「美人」「無邪気」「希望」「平和」
6-6. ヒメシオン(学名:Aster fastigiatus)
キク科シオン属の多年草です。
原産地は日本、朝鮮半島、中国です。
日本では本州、四国、九州に分布しており、水田のあぜ道や小川の周りなど、湿った草原で見ることができます。
草丈は30~100cm程になります。
8月~10月に1cm程の小さな白い花を咲かせます。
漢字では姫紫苑と書きます。
帰化植物であるヒメジョオンの名前のもとになったと言われています。
6-7. ヒメジョオン(学名:Erigeron annuus)
キク科ムカシヨモギ属の一年草または越年草です。
道端でよく目にする北アメリカ原産の帰化植物です。
草丈は30~100cm程になります。
6月~8月に2cm程の小さな白い花を咲かせます。
日本へは明治維新前後に渡ってきたと伝えられており、ヤナギバヒメギク(柳葉姫菊)と名付けられ大切にされていましたが、繁殖力の強さから現在では、日本全国の道端や野山で目にする植物です。
花言葉は「素朴で清楚」
7. 園芸品種
7-1. みのる紫
ミヤコワスレのなかでは花が大きく、濃い紫色の花を咲かせます。
草丈はやや高く茎も丈夫なため、切り花にも向いています。
7-2. 瀬戸の小波
ミヤコワスレのなかでは花が大きく、薄い青紫色の花を咲かせます。
丈夫な品種です。
7-3. 瀬戸の乙女
鮮やかな濃いピンク色の大輪の花を咲かせます。
花の形はとても美しく整っています。
やや背が高くなる品種です。
7-4. みのる乙女
鮮やかな濃い赤紅色の中輪花を咲かせます。
花弁が丸いのが特徴です。
草丈はやや低く、鉢植えや庭植えに向いています。
7-5. 浜乙女
可愛いピンク色の中輪花を咲かせます。
丈夫で、草丈が高くなる品種です。
7-6. 瀬戸の白雪
美しい白色の非常に大きな花を咲かせます。
開花したばかりの時には、花心が濃緑色になります。
丈夫で、草丈が高くなる品種です。
7-7. 瀬戸の花嫁
純白色で花形の美しい大輪花を咲かせます。
草丈はあまり高くならず、丈夫な品種です。
7-7. 江戸紫
つややかな濃い紫をした大輪の花を咲かせます。
鉢花にも切り花にも向いています。
その他、白い花を咲かせる「白鳥」、ピンク色の花を咲かせる「桃山」、青みがかった薄い紫色の花を咲かせる「青空」などがあります。
まとめ
控えめな印象の楚々とした花姿をしたミヤコワスレは、庭に植えても室内に飾っても、たいへん風情があり、和風のイメージにも洋風のイメージにも馴染みます。
苗も手に入れやすく育てやすい花ですので、一度栽培にチャレンジしてみてはいかがでしょうか。
紫色の小さな花を咲かせるミヤコワスレは、古くから日本で親しまれてきました。
その名前は多くの人が一度は耳にしたことがあるポピュラーな植物です。
そんなミヤコワスレについて解説します。
1. ミヤコワスレ(都忘れ)とはどんな花?
ミヤコワスレは、キク科ミヤマヨメナ属の多年草です。
東アジアを原産とし、本州、四国、九州の山地に自生しているミヤマヨメナの園芸品種につけられた和名です。
草丈は20~30cm程度です。
4月~6月にかけて野菊のように可憐で楚々とした小さな花を咲かせます。
原種のミヤマヨメナは薄い青色の花を咲かせますが、園芸品種であるミヤコワスレは紫、赤紫、青、白、ピンクなどの花を咲かせます。
江戸時代から品種改良が行われており、古くから親しまれてきた花です。
2. ミヤコワスレ(都忘れ)花言葉
「しばしの憩い」「しばしの慰め」「しばしの別れ」
承久の乱(1221年に後鳥羽上皇が鎌倉幕府に対して兵を挙げ、北条氏に敗れた兵乱)の際に佐渡へ島流しにされた後鳥羽上皇の息子である順徳天皇が、この花を見て「都への思いを忘れられる」と慰められたといわれています。
そんな逸話から、これらの花言葉が付けられたと言われています。
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