神社でご祈祷をして頂いた後は、お札やお守りが授与されます。
ありがたい物ですから、大切にするのは当然ですが、ここで注意する点があります。
紙の袋に入れられたお札やお守りを、そのまま神棚に納めている人がいますが、必ず袋から出して下さい。
袋はご祈祷を受けた人に渡すまで入れておくものです。
袋に入ったままだと神様も窮屈です。
お札の効果が出にくいということも無いでしょうが、外側の袋から出して神棚に納めましょう。
特に薄い型のお札は半透明の紙で包まれている為、お札の字が見えるので、そのままで良いと考えがちです。
でも、正式にはその薄い紙も剥がします。
家に神職の方に来て頂いてお祓いをして頂いた場合、神職はお札の紙を破いてから帰ります。
一度神棚のお札を調べてみて下さい。
薄いものでも、紙にくるまれて納められているお札があったら、すぐに剥がしてお札自体を出して差し上げましょう。
- 霧島神宮
- 天之御中主(妙見)神社
- 鹿児島県護國神社
- 揖宿神社
- 照國神社
- 牧聞神社(ヒラサキジンジャ)
- 鹿児島神宮
- 山宮神社(通称:安楽山宮神社)
- 菅原神社
- まとめ
1. 霧島神宮
主祭神は天津日高彦火瓊瓊杵尊、相殿神は木花咲耶姫尊・彦火火出見尊・豊玉姫尊・鵜がや草葺不合尊・神倭磐彦尊です。
霧島神宮は、天照大御神より、三種の神器と稲穂を奉持して高千穂の峰に降臨された瓊瓊杵尊を主祭神としてお祀りしています。
瓊瓊杵尊が降り立った地は、霧島神宮の後ろに背後に聳えたつ高千穂峰です。
日本書紀にも「筑紫日向の高千穂の久土流多気に天降ります」「日向の襲の高千穂の峯に天降るます」と記されています。
高千穂峰の頂上には、「天の逆鉾」が今でもあり、山の姿の美しさは筆紙に尽くしがたいと言われます、
創建は、神代昔から霊峰高千穂峰に鎮座すると伝えられており、「延喜式」にも日向国諸県郡霧島神社と記載されています。
本宮は元は高千穂峰と噴火口の中間に祀られていましたが、噴火の為に焼失してしまった為、村上天皇の御代に性空上人が高千穂河原に再建しました、
幾度かの焼失、遷座の後、第21代藩主島津吉貴公の寄進に寄って1715年に造営されたのが、現在の社殿です。
広大な境内は花やモミジの名所でもあります。
また、本殿前にはご神木の杉の大木が聳え、願いが叶うとされています。
お祓いは8時から随時行っています。
本殿での正式参拝は予約が必要です。
2. 天之御中主(妙見)神社
妙見神社は、約800年前に薩摩の人々を苦しみから助け、福寿増益を計る為に紀州那智山より神様をお迎えしました。
ご鎮座800年を記念して平成17年に社殿を改築し、ご祭神を新社殿に遷す正遷座祭を斎行しました。
社殿は本殿流造りの拝殿は八棟造りになっており、非常に縁起が良いと言われています。
また、厄除け、八方除け、安産、病気平癒、学業上達、交通安全等古くより霊験あらたかで、人々が絶えることなく参拝している神社です。
現在でもそのご神徳は広く知られています。
御昇殿祈願祭は随時斎行しています。
3. 鹿児島県護國神社
ご祭神は、幕末から現在に至るまで、尊い命を祖国の為に捧げられた鹿児島県出身の御英霊7万7千余柱です。
明治元年の戊辰の役に於いて、戦功の高かった佐須磨藩の戦死者の忠誠を永久にお守りせよ、との明治天皇の命により、山之口馬場町に「靖献霊社」として建立されたのが始まりです。
その後官祭社に列せられ、「鹿児島県招魂社」となり、昭和28年に社名を「鹿児島県護國神社」改称しました。
全国の摂国神社に先駆けて建立された鹿児島県護国神社は、「護國の神、平和繁栄の神」として多くの人々から崇敬されています。
厄落としという人生儀礼は、昔から日本人が行ってきた風習です。
人生儀礼を行うことに依って、より一層家庭、家族、親族の絆が築かれ深まる物です。
こういう時代だからこそ、何かと略儀になりがちですが、家族と共に人生儀礼を行いましょう。
厄払いの御祈祷の受付時間は8時半から16時半までで、予約は不要です。
4. 揖宿神社
天智天皇が薩摩地方ご巡幸の際、この地の大社に滞在なさった由緒の地として、706年に、加茂懸主堀内氏、指宿氏の塩素が勅命に依り天皇の神霊、遺器を奉斎して葛城宮が創建されました。
その後874年に開聞岳の大噴火の折り、牧間神社の葛城宮に避難したいとのご神託があり、遷宮されました。
当時は「開聞新宮九社大明神」と称されていましたが、それ以来指宿の総氏神として、地方開拓の租神として、航海安全、諸業繁栄の守護神として信仰されてきました。
明治維新に際して「揖宿神社」と改称されて現在に至っています。
境内は10,715㎡あり、樹齢1,130年・目通り8mを超える楠の巨樹8株をはじめ、樹齢500年の大銀杏、椋、那岐等の大樹が群生し、森を形成しています。
これを「揖宿神社の社叢」として、県の天然記念物に指定されています。
また境内には日本庭園もあり、心が休まる神社です。
厄払いのご祈祷は、電話かファックスで依頼日や名前等を伝えて予約します。
御祈祷料は5,000円からとなっています。
5. 照國神社
ご祭神は島津家28代当主にして、第11代藩主の島津斉彬公です。
神様としての御名を「照國大明神」と言います。
斉彬公は1851〜1858年の間の7年間という短い治世で、藩内のみならず、日本国にとっても大きな業績を数々残されました。
日本の軍艦と外国の軍艦を区別する為にも、日本の印が必要であると感じ、「日の丸」を総船印にすることを幕府に提案したのも斉彬公です。
そして、日本初めての西洋式軍艦「昇平丸」には「日の丸」が掲げられました。
そのご遺徳を慕い、崇敬の念を寄せる万民の願いに依って神様として祀られることになりました。
1862年、鶴丸城の西域にある南泉院の郭内に社地が選定され、1863年勅命に依って照國大明神の神号を授けられました。
翌年の1864年に社殿が竣工し、照國神社と称し、1901年には正一位を賜っています。
厄払いのご祈祷は予約不要で随時執り行っています。
受付時間は8時半から17時まで。
御祈祷料は5,000円・7,000円・10,000円からの御志で、となっています。
6. 牧聞神社(ヒラサキジンジャ)
ご祭神は大日ルメ貴命、天之忍穂耳命、天之穂日命始め9柱の神々です。
創建は遠く神代といわれています。
既に貞観二2(860)年、薩摩国従五位下開聞紙加従四位下、と「三代実録」に記載されている他、数度の神位昇叙の件が記されています。
また、「延喜式」には薩摩国頴棋娃牧聞神社と、現在の文字を使い、加紫久利神社と共に、薩摩国式内社の1社として記載されています。
古来、薩摩国一之宮として朝廷の尊崇も篤く、度々奉幣があった由緒正しい神社です。
また、地元ばかりでは無く、琉球人からの崇敬も篤く、琉球王の名で航海安全を祈った折り、献納された額が今も大切に保存されています。
神代から存在する、霊験あらたかな薩摩国一之宮は、人々の参拝が絶えない神社です。
厄払いのご祈祷については、神社に直接問い合わせて下さい。
7. 鹿児島神宮
主祭神は天津日高彦火火出見尊と豊玉比売命、相殿神は帯中比子尊(仲哀天皇)、息長帯比売命(神功皇后)、品陀和気尊(応神天皇)、中比売命(応神天皇皇后)です。
創建は古く神代にまで遡ります。
また、皇孫神武天皇の御代とも言われています。
主祭神天津日高彦火火出見尊(山幸彦)はこの地に高お伝わっています。
千穂宮(皇居)を建てられ、500有余歳の長寿であったと伝わっています。
その間、農耕畜産漁猟の道を人々に開拓し、国家の礎を築かれました。
境内には石體神社があり、古くから安産の神様として篤く信仰されてきました。
境内に積まれた丸井氏をお守りとして持ち帰ると、安産にご利益があると言われています。
厄払いのご祈祷の受け付けは9時から16時半までで、団体以外は予約なしで随時行います。
8. 山宮神社(通称:安楽山宮神社)
ご祭神は、天智天皇、持統天皇、玉依姫、大友皇子、乙姫、倭姫です。
創建は709年時の元明天皇の廟を御在所岳の山頂にお祀りし、山宮大明神と号したのがはじめと伝えられています。
その後、807年大友皇子、持統天皇、玉依姫、倭姫、乙姫を合祀して山口六社大明神と号して現地に祀られました。
時代と共に、舞殿、観音堂、龍所、御供所、鐘楼等が作られ、大隅随一の規模を誇りました。
明治維新後は、山宮神社と改称され、当地方の宗廟として人々から崇敬されました。
境内には国指定天然記念物の大樟(くす)があり、一説には天智天皇お手植えの樟とも言われています。
他にも中国原産の広葉杉、神舞面、神舞衣裳、絵馬等が大切に保存されています。
厄払いのご祈祷については、神社に直接問い合わせて下さい。
9. 菅原神社
ご祭神は言わずと知れた菅原道真公、御利益の高い神社です。
創建について、大宰府に左遷された道真が、隠棲した跡地に建てられたという伝承があります。
この地は太宰府天満宮の荘園である「安楽寺領」であり、そこに勧請された神社が発祥であるとされています。
一時は豊臣秀吉の九州征伐で社殿や宝物も総てを焼失したので、創建の確かな情報も無くなってしまいました。
その後は島津家の庇護を受けて再興、社伝の修造も行われました。
二の鳥居の脇には、道真公の墓と伝えられる塚があります。
境内には、西郷隆盛の愛犬「ツン」の銅像もあります。
あの、東京の上野にある西郷隆盛の像の横にいる「ツン」です。
ツンは、元はこの辺りの百姓の家で買われていた犬でしたが、菅原神社で馬1頭と交換で西郷に譲渡されました。
境内には梅の木が約150本ありますが、これは道真公手植えの1本から増えて行ったとされています。
150本のうち50本は龍が伏せたような形をしているので、「臥龍梅」と呼ばれています。
厄払いのご祈祷については、直接神社に問い合わせて下さい。
まとめ
鹿児島県は宮崎県と同じく、高千穂伝説があるので、神社の創建も神代の時代まで遡る由緒の正しい神社が多かったです。
神話がそのまま生きていると感じられました。
また、天智天皇が鹿児島県まで来られ、滞在された場所を神社としたという伝説も珍しいと思います。
是非神話や歴史を思い出しながら、厄払いの神社を決めるのも良いでしょう。
神社でご祈祷をして頂いた後は、お札やお守りが授与されます。
ありがたい物ですから、大切にするのは当然ですが、ここで注意する点があります。
紙の袋に入れられたお札やお守りを、そのまま神棚に納めている人がいますが、必ず袋から出して下さい。
袋はご祈祷を受けた人に渡すまで入れておくものです。
袋に入ったままだと神様も窮屈です。
お札の効果が出にくいということも無いでしょうが、外側の袋から出して神棚に納めましょう。
特に薄い型のお札は半透明の紙で包まれている為、お札の字が見えるので、そのままで良いと考えがちです。
でも、正式にはその薄い紙も剥がします。
家に神職の方に来て頂いてお祓いをして頂いた場合、神職はお札の紙を破いてから帰ります。
一度神棚のお札を調べてみて下さい。
薄いものでも、紙にくるまれて納められているお札があったら、すぐに剥がしてお札自体を出して差し上げましょう。
1. 霧島神宮
主祭神は天津日高彦火瓊瓊杵尊、相殿神は木花咲耶姫尊・彦火火出見尊・豊玉姫尊・鵜がや草葺不合尊・神倭磐彦尊です。
霧島神宮は、天照大御神より、三種の神器と稲穂を奉持して高千穂の峰に降臨された瓊瓊杵尊を主祭神としてお祀りしています。
瓊瓊杵尊が降り立った地は、霧島神宮の後ろに背後に聳えたつ高千穂峰です。
日本書紀にも「筑紫日向の高千穂の久土流多気に天降ります」「日向の襲の高千穂の峯に天降るます」と記されています。
高千穂峰の頂上には、「天の逆鉾」が今でもあり、山の姿の美しさは筆紙に尽くしがたいと言われます、
創建は、神代昔から霊峰高千穂峰に鎮座すると伝えられており、「延喜式」にも日向国諸県郡霧島神社と記載されています。
本宮は元は高千穂峰と噴火口の中間に祀られていましたが、噴火の為に焼失してしまった為、村上天皇の御代に性空上人が高千穂河原に再建しました、
幾度かの焼失、遷座の後、第21代藩主島津吉貴公の寄進に寄って1715年に造営されたのが、現在の社殿です。
広大な境内は花やモミジの名所でもあります。
また、本殿前にはご神木の杉の大木が聳え、願いが叶うとされています。
お祓いは8時から随時行っています。
本殿での正式参拝は予約が必要です。
2. 天之御中主(妙見)神社
妙見神社は、約800年前に薩摩の人々を苦しみから助け、福寿増益を計る為に紀州那智山より神様をお迎えしました。
ご鎮座800年を記念して平成17年に社殿を改築し、ご祭神を新社殿に遷す正遷座祭を斎行しました。
社殿は本殿流造りの拝殿は八棟造りになっており、非常に縁起が良いと言われています。
また、厄除け、八方除け、安産、病気平癒、学業上達、交通安全等古くより霊験あらたかで、人々が絶えることなく参拝している神社です。
現在でもそのご神徳は広く知られています。
御昇殿祈願祭は随時斎行しています。
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