厄年のお祓いは、厄年を迎える前日までに受けると良いとされています。
その為、旧暦の元旦に当たる2/4の前日である節分までに受けるのが良いとされます。
その為、初詣(元旦)から節分までの間に厄払いのご祈祷を受ける人が多いです。
しかし、厄払いは1年中神社で受け付けています。
都合の付く時に御祈祷を受けましょう。
また、御祈祷を受ける時間は午前中が良いとされます。
午後なら、まだ日が高い14時、15時辺りまでに受けましょう。
冬、特に12月は日が落ちるのが早いので、受け付けは16時まででも、ご祈祷中に暗くなってしまうことがあります。
ただ、御祈祷を受け付けている時間帯に受ける分には問題は無いでしょう。
そもそも神社には昼と夜の顔があるという考え方は、暗くなると、魑魅魍魎が依って来やすいと言う昔の考え方で、それが神社のような聖なる場所に対しても当て嵌めた結果のことと思われます。
夜や深夜には神社はご祈祷を受け付けていません。
ですから、神社がご祈祷を受け付けている時間に申し込めば、暗くなってきても神様は守って下さいます。
午後でないとお参り出来ない人も気にすることはありません。
厄払いのご祈祷の時ばかりでなく、神社やお寺にお参りする時は、神様や仏様の前に出るのですから、きちんとした服装と気持ちで行くのが当たり前のことです。
まして、厄を祓って頂くと言う、人間では出来ない神様のお力をお借りするような時ですから、Gパンや普段着で行くのは止めましょう。
男性も女性もスーツにネクタイが基本です。
夏等暑い時はそれに準ずる正装でお参りしましょう。
- 長門国一之宮住吉神社
- 松陰神社
- 赤間神宮
- 山口大神宮
- 白崎八幡宮
- 山口懸護國神社
- 熊野神社
- 忌宮神社
- まとめ
1. 長門国一之宮住吉神社
ご祭神は第一殿に住吉三神である表筒男命・中筒男命・底筒男命、第二殿に応神天皇、第三殿に式内宿禰命、第四殿に神功皇后、第五殿に建御名方命をお祀りしています。
五殿並んだ本殿は国宝に指定されています。
大阪の住吉大社、博多の住吉神社と共に、日本三大住吉の一社です。
旧社格は官幣中社、現在は神社本庁の別表神社に指定されている角の高い神社です。
また、他の2社は神様の平和で優しい側面である和魂(にきたま)をお祀りしているのに対し、こちらの神社は神様の本来の荒々しい姿である荒魂(あらたま)をお祀りしています。
拝殿の額にも「住吉荒魂本宮」とあります。
また、神功皇后の新羅征伐の際、新羅に向かう皇后に住吉三神が神託をして渡海を守護し、帰り道では住吉三神が「我が荒魂を山田邑に祀れ」との神託がり、その場に洞を建てたのが住吉神社の起源とされています。
鳥居をくぐり、参道を進むと階段があります。
階段を上った所には壮麗な楼門が建っていて、それをくぐると境内が目の前に広がります。
五殿並んだ本殿は圧倒的な荘厳さを感じさせ、格式の高い神社であることがよくわかります。
御祈祷料は5,000円からとなっています。
2. 松陰神社
ご祭神は幕末の有名な志士吉田松陰です。
神様としての御名を吉田矩方命(よしだのりかたのみこと)と言います。
その他、伊藤博文命、久坂玄随命、木戸孝允命、高杉晋作命・・・と当時の志士達経53柱が祀られています。
最初は松陰の実家が小さな祠を建てただけの形でしたが、明治40年に公の神社として松陰神社を建立しました。
その後社殿、本殿を建立し、戦後昭和30年にご遷座式祭が斎行されました。
吉田松陰が刑死した安静6(1859)年から150年後の平成21(2009)年、松陰神社宝物殿が建設され、法院の著述、使った物品等を保存・展示しています。
歴史に興味のある人は是非寄ってみると良いでしょう。
厄払いのご祈祷の受付時間は9時から16時半迄。
それ以外の時間をご希望の場合は相談出来ます。
御祈祷料は「お志にて」となっています。
3. 赤間神宮
源平合戦の最後の地である壇ノ浦で、わずか八歳にして亡くなられた安徳天皇をお祀りしているのが赤間神宮です。
安徳天皇の御陵の上に、建久2年、朝廷は御影堂を建立して、先帝の法会を盛大に営みました。
明治以後、官幣中社赤間宮となり、更に昭和15年には官幣大社赤間神宮と改称されました。
赤間神宮の隣にある安徳天皇の御陵(安徳天皇阿弥陀寺陵)は、西日本で唯一の御陵です。
毎年5月3日には先帝祭が盛大に執り行われます。
高松宮喜久子妃殿下の和歌を作曲した神前舞「龍宮」を4人の巫女が乙姫様の様に舞うすがたはとても美しいです。
また、壇ノ浦で多くの女官達が助けられましたが、彼女らが亡くなった後も、地元の人々は安徳天皇の御陵前に礼拝を続け、それが今日の「先帝祭」となりました。
世界で唯一の龍宮造りの「水天門」から上臈の禿に従い、官女、警護、稚児が続く様子は大変美しく、安徳天皇をお慰めしています。
更に、五節の舞姫に倣い、豪華絢爛な外八文字道中が行われます。
境内には平家塚があり、壇ノ浦で滅んだ平家一門の武将たちを祀るので、七盛塚とも呼ばれています。
その隣には、「耳なし芳一」を祀る芳一堂があります。
そうです、平家の亡くなった武将達が芳一の琵琶物語に涙したのは、この地だったのです。
4. 山口大神宮
ご祭神は内宮に天照大神、他に2柱の神様を、内宮別宮は荒祭宮で、荒御魂(天照大神)、ともう1柱の神様を、内宮摂社に事代主命を、外宮に豊受大御神、他に5柱の神様を、外宮別宮に荒御魂ともう1柱の神様をそれぞれお祀りしています。
見ての通り、山口大神宮は、永正17(1520)年に大内義興が勅許を得て、伊勢皇太神宮から分霊を勧請した神社です。
応仁の乱後の京都をよく治めた大内義興は、伊勢神宮に参拝した時にその神霊に心を打たれ、是非山口の地に勧請したいという気持ちを強く持ったと言います。
伊勢神宮から直接分霊を受けて創建された神社は、明治時代になる迄はこの山口大神宮だけだったので、江戸時代には、「西のお伊勢参り」とか、「山口参宮」と呼ばれ、中国地方や九州地方からの参拝者が多くなりました。
厄払いの御祈祷は予約してからの方が良いようです。
受付時間は9時から16時半となっています。
5. 白崎八幡宮
ご祭神は応神天皇、仲哀天皇、神功皇后で、家内安全、災難除け、武運長久、心願成就の神様として信仰を集めてきました。
配祀神の中には素戔嗚尊、事代主命、菅原道真公等がおられ、神徳も高く、創建以来750年以上経った神社です。
創建は建長2(1250)年。
時の領主清縄左衛門尉良兼がこの地に氏族の繁栄と領内安民の守護神として奉斎したのが始まりです。
その後南北朝時代の貞和4(1348)年には、壮麗な社殿を造営し、旧岩国17カ庄の産土神様として領民たちからも深く尊崇されました。
厄除祈願は、申し込みをした後、大安の日に白崎八幡宮のご祭神、応神天皇・神功皇后・仲哀天皇のご神徳に依って厄除祈願を行います。
御祈祷料は5,000円となっています。
郵送での御祈祷も行っており、授与品・送料込みで5,000円で申し込めます。
更に、インターネットでも申し込みを受け付けていますので、遠方の方でもご祈祷をして頂くことが出来ます。
6. 山口懸護國神社
この神社は、日清戦争の後に山口県出身の戦没者を慰霊する為に、明治36年に防長靖献会が設立され、毎年盛大な招魂祭を斎行したことに始まります。
その後昭和14年に護国神社制度が整備されたことに依り、この地に山口県内一円を崇敬者域とする護国神社を送検することが決まり、社殿が建てられました。
県名を冠した護国神社は、山口県内ではここ「山口懸護國神社」一社しかありません。
ペリー提督が伊豆・下田に来航して以降、近代日本は多くの戦乱を闘ってきましたが、その数々の戦で命を落とした山口県出身者52,128柱の御霊をこの神社ではお祀りしています。
また、幕末の長州藩士達もお祀りされています。
吉田松陰・久坂玄随・来島又兵衛・大村益次郎・高杉晋作・月性が維新の折に力を尽くし、殉死したとして合祀されています。
厄払いの御祈祷は、出来るだけ予約をして下さいとのことです。
御祈祷料は5,000円となります。
7. 熊野神社
ご祭神はイザナギノミコトとイザナミノミコト、天照大神、須佐之男命、月読命以下多くの神様です。
開運・事業発展、厄除け・病気平癒、交通安全に特に御利益がある神社として信仰されています。
熊野信仰は最初は浄土信仰、若しくは延命長寿を求めての信仰から始まりましたが、後には八咫烏をシンボルとした熊野牛王宝印と呼ばれる厄除けの護符を配布するようになりました。
これに依って、厄除けの神様として東北地方から沖縄に至るまで広く信仰を集めるようになりました。
社殿は昭和47年に造営され、昭和49年には和歌山県野熊野大社から分霊が勧請されました。
社殿近くの菩提寺山の滝は「九重の滝」と呼ばれ、その水は難病や奇病に霊験が有り、「熊野の御霊水」として知られています。
また、この滝の水は「名水50選」にも選ばれ、フランスの「ルルドの滝」と同じゼロウォーターが多く含まれる為、障碍を受けた細胞機能が再生したり、病原菌の増殖を阻止したり、免疫力を高めて自然治癒を促す効果があります。
厄払いの御祈祷は毎日行っています。
8. 忌宮神社
ご祭神は仲哀天皇・神功皇后・応神天皇です。
新羅討伐に向かわれる為に西下された仲哀天皇と神功皇后は、当地で斎宮をたてて神祇を祀られたのが忌宮の始まりとされています。
また、別の説としては、新羅討伐の途中で急死された仲哀天皇のご遺体を、皇后は武内宿禰に銘じて海路神社の500m南方に移されたと言います。
その天皇の神霊を鎮めた社を豊浦宮と称しましたが、その後、聖武天皇の御代に神功皇后を奉斎して忌宮と称し、更に応神天皇もお祀りして豊明宮と呼ぶ三殿別立の神社となりました。
中世には、火災に依って豊浦宮も豊明宮も消失。
忌宮神社に合祀されたと伝えられています。
境内には、中哀天皇と神功皇后に献身的に使えた武内宿禰が手植えの銀杏の古木もあります。
3代に亘って毎年多くの実を付けるので、開運と子孫繁栄の御利益があると言われています。
その時期になると、神職が1つ1つ殻を剥き、参拝者への授与品となります。
又、長府藩主毛利元義公が、京都の伏見稲荷から分霊を勧請し、境内に荒熊稲荷神社としてお祀りして、産業の発展を祈願しました。
広く信仰され、時には失せ物発見や勝運に霊験あらたかと伝えられます。
厄払いの御祈祷は5,000円からお気持ちで、ということです。
まとめ
山口県にもご神威の高い神社が沢山あります。
土地に住む民人達も、代々神社、神宮を大事にお守りしてきた姿がよく感じられたことと思います。
このような由緒正しい神宮・神社で是非厄払いのご祈祷を受けたいものです。
厄年のお祓いは、厄年を迎える前日までに受けると良いとされています。
その為、旧暦の元旦に当たる2/4の前日である節分までに受けるのが良いとされます。
その為、初詣(元旦)から節分までの間に厄払いのご祈祷を受ける人が多いです。
しかし、厄払いは1年中神社で受け付けています。
都合の付く時に御祈祷を受けましょう。
また、御祈祷を受ける時間は午前中が良いとされます。
午後なら、まだ日が高い14時、15時辺りまでに受けましょう。
冬、特に12月は日が落ちるのが早いので、受け付けは16時まででも、ご祈祷中に暗くなってしまうことがあります。
ただ、御祈祷を受け付けている時間帯に受ける分には問題は無いでしょう。
そもそも神社には昼と夜の顔があるという考え方は、暗くなると、魑魅魍魎が依って来やすいと言う昔の考え方で、それが神社のような聖なる場所に対しても当て嵌めた結果のことと思われます。
夜や深夜には神社はご祈祷を受け付けていません。
ですから、神社がご祈祷を受け付けている時間に申し込めば、暗くなってきても神様は守って下さいます。
午後でないとお参り出来ない人も気にすることはありません。
厄払いのご祈祷の時ばかりでなく、神社やお寺にお参りする時は、神様や仏様の前に出るのですから、きちんとした服装と気持ちで行くのが当たり前のことです。
まして、厄を祓って頂くと言う、人間では出来ない神様のお力をお借りするような時ですから、Gパンや普段着で行くのは止めましょう。
男性も女性もスーツにネクタイが基本です。
夏等暑い時はそれに準ずる正装でお参りしましょう。
1. 長門国一之宮住吉神社
ご祭神は第一殿に住吉三神である表筒男命・中筒男命・底筒男命、第二殿に応神天皇、第三殿に式内宿禰命、第四殿に神功皇后、第五殿に建御名方命をお祀りしています。
五殿並んだ本殿は国宝に指定されています。
大阪の住吉大社、博多の住吉神社と共に、日本三大住吉の一社です。
旧社格は官幣中社、現在は神社本庁の別表神社に指定されている角の高い神社です。
また、他の2社は神様の平和で優しい側面である和魂(にきたま)をお祀りしているのに対し、こちらの神社は神様の本来の荒々しい姿である荒魂(あらたま)をお祀りしています。
拝殿の額にも「住吉荒魂本宮」とあります。
また、神功皇后の新羅征伐の際、新羅に向かう皇后に住吉三神が神託をして渡海を守護し、帰り道では住吉三神が「我が荒魂を山田邑に祀れ」との神託がり、その場に洞を建てたのが住吉神社の起源とされています。
鳥居をくぐり、参道を進むと階段があります。
階段を上った所には壮麗な楼門が建っていて、それをくぐると境内が目の前に広がります。
五殿並んだ本殿は圧倒的な荘厳さを感じさせ、格式の高い神社であることがよくわかります。
御祈祷料は5,000円からとなっています。
2. 松陰神社
ご祭神は幕末の有名な志士吉田松陰です。
神様としての御名を吉田矩方命(よしだのりかたのみこと)と言います。
その他、伊藤博文命、久坂玄随命、木戸孝允命、高杉晋作命・・・と当時の志士達経53柱が祀られています。
最初は松陰の実家が小さな祠を建てただけの形でしたが、明治40年に公の神社として松陰神社を建立しました。
その後社殿、本殿を建立し、戦後昭和30年にご遷座式祭が斎行されました。
吉田松陰が刑死した安静6(1859)年から150年後の平成21(2009)年、松陰神社宝物殿が建設され、法院の著述、使った物品等を保存・展示しています。
歴史に興味のある人は是非寄ってみると良いでしょう。
厄払いのご祈祷の受付時間は9時から16時半迄。
それ以外の時間をご希望の場合は相談出来ます。
御祈祷料は「お志にて」となっています。
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